第八十六話 寿命を延ばす薬に、思わぬ欠点が見つかった
試験用の植物は、奇妙な姿になっていた。
葉は青々としている。
茎も弱っていない。
だが、枝に小さな傷をつけた部分だけ、いつまでも塞がらなかった。
「老化を遅らせたつもりが、傷の治りまで遅くしてしまった……」
ルーシェは試験記録を閉じた。
「これでは危険ですね」
リオンは頷いた。
「体にとって、変化は全部悪いわけじゃない。
傷を修復することも、新しい細胞に入れ替わることも必要だから」
「止めたい変化だけを選べないんでしょうか」
「それができればいいけど、簡単ではないね」
二人は薬の作用を細かく調べ直した。
試作品は損傷の蓄積を抑える一方、修復に必要な反応にも干渉しているらしい。
薬師組合のバルドは、検査表を見て顔をしかめた。
「十年前の若返り薬とは逆の失敗だな。
あちらは回復を急がせすぎた。
こちらは変化を抑えすぎている」
「ちょうどいいところを探すのが難しいんです」
ルーシェが言うと、バルドは頷いた。
「だから薬は恐ろしい。
少し効くなら、もっと効かせればいいと考えたくなる」
リオンは新しい試作品の使用をすべて停止した。
その知らせはすぐに王都へ広がった。
「研究は失敗したのか!」
「完成を待っている者はどうなる!」
工房の前には、怒った人々が集まった。
中には、病気の家族を支える人もいた。
リオンは彼らの話を一人ずつ聞いたが、安全ではない薬を渡すことはしなかった。
「あと何年待てばいいんですか」
年配の女性が尋ねた。
「分かりません」
リオンは正直に答えた。
「でも、今の薬を使えば危険かもしれない。
それを知っていて渡すことはできません」
女性は目を伏せた。
「待つしかないんですね」
「今できる治療や生活の支援は、医師と一緒に考えられます。
長寿薬ができるまで何もしない、ということではありません」
女性は小さく頷き、帰っていった。
その背中を見送ったルーシェは、拳を握った。
「師匠。
悔しいです」
その夜、ルーシェは失敗した試作品の瓶を一つだけ残した。
ラベルには大きく『人への使用不可』と書く。
「捨てないんですか?」
ノエルが尋ねた。
「次の失敗を防ぐための見本です。
ただし、鍵のかかる棚にしまいます」
リオンはその慎重さに満足そうに頷いた。
研究は希望だけでなく、危険を扱う仕事でもある。
「うん」
「安全な薬を作りたいのに、待っている人の時間は減っていくんです」
「だからこそ、焦って失敗を隠してはいけないんだ」
夜になっても、ルーシェは研究室を離れなかった。
何度も試験記録を並べ替え、反応の強さと修復の速さを比較する。
やがて、彼女は一つの違いに気づいた。
ルーシェは、修復の仕組みを調べるために、病院の医師を訪ねた。
「傷が治るとき、体は何をしているんでしょう」
医師は診療記録を広げた。
「壊れた部分を取り除き、新しい組織を作る。
その途中では、普段とは違う反応が必要になる」
「その反応を全部止めたら……」
「傷は治らない。
感染への対応にも影響するかもしれない」
ルーシェは背筋が寒くなった。
老化に関係する変化だけを狙っているつもりだった。
だが、体の働きは一つずつ独立しているわけではない。
ルーシェは、修復の仕組みを調べるために、病院の医師を訪ねた。
「傷が治るとき、体は何をしているんでしょう」
医師は診療記録を広げた。
「壊れた部分を取り除き、新しい組織を作る。
その途中では、普段とは違う反応が必要になる」
「その反応を全部止めたら……」
「傷は治らない。
感染への対応にも影響するかもしれない」
ルーシェは背筋が寒くなった。
老化に関係する変化だけを狙っているつもりだった。
だが、体の働きは一つずつ独立しているわけではない。
「研究を続けてもいいと思いますか?」
医師はしばらく考えた。
「続ける価値はある。
ただし、成功したい気持ちより、危険を見つける目を大事にしてほしい」
工房へ戻ると、ルーシェは設計図の真ん中に大きく書いた。
『必要な修復を妨げない』
その一文が、次の試作品を作るための新しい条件になった。
「研究を続けてもいいと思いますか?」
医師はしばらく考えた。
「続ける価値はある。
ただし、成功したい気持ちより、危険を見つける目を大事にしてほしい」
工房へ戻ると、ルーシェは設計図の真ん中に大きく書いた。
『必要な修復を妨げない』
その一文が、次の試作品を作るための新しい条件になった。
「……おかしい」
同じ薬を与えた植物なのに、日当たりのよい場所の鉢だけ、新芽の成長が比較的保たれていた。
ルーシェは窓際の鉢を持ち上げた。
「日光が関係している?」
翌朝、リオンと一緒に条件を調べ直した。
光の量だけでなく、水分、温度、栄養、成長段階も違っている。
「一つの条件だけで決めるのは早いよ」
「はい。
でも、体の状態によって薬の作用が変わる可能性があります」
ルーシェは白紙に二つの円を描いた。
一つは、抑えたい損傷。
もう一つは、残したい修復。
「全部まとめて止めるから、失敗するんです」
リオンが図を覗き込んだ。
「じゃあ、どうする?」
「必要な修復が起きているときだけ、薬の働きを弱められたら……」
リオンの目が輝いた。
「体の状態を読んで、作用を切り替えるんだね」
「第34話で作った個人適応型ポーションを応用できませんか」
ルーシェは勢いよく立ち上がった。
「師匠。
今度は私が設計してみたいです」
リオンは微笑んだ。
「もちろん。
研究責任者はルーシェだ」
彼女は驚いた顔をした。
「本当に?」
「うん。
私は、困ったときに相談に乗る係かな」
ルーシェは研究帳の新しいページを開いた。
そこには、今までの失敗を越えるための、まったく新しい設計図が描かれ始めていた。




