第八十三話 若返り薬ではなく、老けなくなる薬だった
「あなたは、また同じ失敗を繰り返すつもりかね」
工房を訪れた老薬師は、挨拶より先にそう言った。
名はバルド。
かつて王都の薬師組合で、若返り薬の事故調査に関わった人物だった。
「十年前、あの薬を飲んだ者がどうなったか覚えているだろう」
リオンは頷いた。
「覚えています。
だからこそ、今回の研究では同じ仕組みを使わないようにしています」
「仕組みが違うと言えば、危険が消えるのか?」
ルーシェは口を開きかけたが、リオンが手で制した。
「消えません。
研究結果を見ていただけますか」
バルドは腕を組んだまま研究室へ入った。
二人は試験用の鉢を並べた。
一方には古い若返り薬に似た作用を示す試験液、もう一方には新しい抑制薬の試作品を使っている。
「こちらは一時的に葉が鮮やかになりますが、根の状態が悪くなりました」
ルーシェが説明した。
「こちらは見た目の変化が小さい代わりに、葉の傷みが遅い。
ただし、新芽の成長を妨げる問題が見つかっています」
「問題があるのに、なぜ続ける?」
「問題を見つけるために研究しているからです」
バルドは初めてルーシェを見た。
「口だけは達者だな」
「師匠の弟子なので」
リオンは咳払いをした。
老薬師は古い記録を広げた。
事故に遭った人々の症状、時間の経過、回復までの記録が並ぶ。
「昔の薬は、回復力を先に使ってしまった。
あのときの私たちは、見た目が若くなることばかり見ていた」
バルドの声は苦かった。
「だから今度は、見た目だけで評価しません」
リオンは答えた。
「私たちが目指しているのは、若返る薬ではありません。
老化に関係する損傷の蓄積を減らせるかもしれない薬です。
ただし、寿命が延びるかどうかはまだ分からない」
バルドはしばらく黙っていた。
「その言葉を、金を積んで待っている連中にも言えるか?」
「何度でも」
老薬師は研究帳を閉じた。
「なら、私にも手伝わせろ。
昔の失敗を知る者として、危険を見つける役くらいはできる」
ルーシェの表情が明るくなった。
バルドが帰る前、ルーシェは尋ねた。
「昔の事故の記録を読むのは、つらくありませんか?」
老薬師は少しだけ目を伏せた。
「つらいとも。
だが、読まなければ忘れたことになる。
忘れれば、同じことを繰り返す」
ルーシェは古い記録帳を丁寧に棚へ戻した。
そこに書かれた人々の名前は、ただの数字ではなかった。
「本当ですか?」
「ただし、少しでもごまかしたら研究を止めさせる」
「望むところです!」
その日の夕方、オルドがやってきた。
「研究は進んだかのう」
リオンは正直に答えた。
「一歩進んで、二歩戻ったところです」
翌日の公開説明会には、若返り薬の事故を経験した男性も訪れた。
「十年前、私は見た目が若くなると言われて薬を飲みました」
男性は帽子を取った。
髪は薄く、額には深い皺が刻まれていた。
「髪が抜けたことより、説明されていなかったことが悔しかった。
自分で選んだつもりだったのに、危険を知らなかったんです」
ルーシェは頭を下げた。
「今回の薬も、まだ分からないことが多いです。
そのことを隠さず伝えます」
「それなら、待てる」
男性は穏やかに笑った。
「もう一度騙されるのは嫌だが、慎重に調べる人がいるなら応援したい」
翌日の公開説明会には、若返り薬の事故を経験した男性も訪れた。
「十年前、私は見た目が若くなると言われて薬を飲みました」
男性は帽子を取った。
髪は薄く、額には深い皺が刻まれていた。
「髪が抜けたことより、説明されていなかったことが悔しかった。
自分で選んだつもりだったのに、危険を知らなかったんです」
ルーシェは頭を下げた。
「今回の薬も、まだ分からないことが多いです。
そのことを隠さず伝えます」
「それなら、待てる」
男性は穏やかに笑った。
「もう一度騙されるのは嫌だが、慎重に調べる人がいるなら応援したい」
バルドはその背中を見送り、リオンに言った。
「研究室の中だけで薬を評価するな。
飲むのは、数字ではなく人間だ」
「はい」
リオンの返事は短かった。
ルーシェはその日の研究帳に、男性の言葉を書き留めた。
薬の効果だけでなく、患者が何を知り、何を選べるか。
それも安全の一部なのだと、改めて思った。
バルドはその背中を見送り、リオンに言った。
「研究室の中だけで薬を評価するな。
飲むのは、数字ではなく人間だ」
「はい」
リオンの返事は短かった。
ルーシェはその日の研究帳に、男性の言葉を書き留めた。
薬の効果だけでなく、患者が何を知り、何を選べるか。
それも安全の一部なのだと、改めて思った。
「何じゃ、それは」
「危険なことが分かったので、やり直しているんです」
老人は椅子に座り、杖を抱えた。
「わしを試験に使ってもよいぞ」
「まだ使えません」
「頑固じゃのう」
「オルドさんほどではありません」
老人は笑ったあと、ふと真顔になった。
「わしは若い顔が欲しいわけじゃない。
エマの子どもが生まれるまで、少しでも元気でいたいだけなんじゃ」
ルーシェは老人の手を取った。
「だから、急いで危険な薬を飲んでほしくないんです」
オルドは小さく頷いた。
翌朝、バルドが研究室に現れ、試験記録の端を指した。
「ここだ。
葉の傷みは減っているのに、修復の指標も下がっている」
「やはり、同じ反応を使っている……」
リオンが呟く。
「別々に調整できればいいんですが」
ルーシェは考え込んだ。
そのとき、工房の扉が激しく叩かれた。
「王宮からの召喚です!」
使者が差し出した封書には、赤い封蝋が押されていた。
『長寿薬に関する緊急協議。
王侯貴族の代表者を招集する』
バルドは顔をしかめた。
「研究室より、よほど危険な場所へ行くことになりそうだな」
ルーシェは封書を見つめた。
薬はまだできていない。
それでも、薬を奪い合う人々の争いだけは、すでに始まっていた。




