第八十一話 百歳の老人を診察したら、寿命を延ばす方法を思いついた
オルドが工房を訪れたのは、秋の風が薬草の葉を揺らす朝だった。
「先生。
わしは、あと何年生きられるかのう」
いつも冗談ばかり言う老人が、その日は真顔だった。
リオンは乾燥薬草を束ねる手を止めた。
「それは、私にも分かりません」
「世界一の薬師でもか?」
「世界一かどうかは知りませんが、寿命を数える薬は持っていません」
ルーシェが椅子を引いた。
老人は礼を言って座ると、膝をさすった。
「孫のエマに子どもが生まれるんじゃ。
ひ孫の顔を見たい。
できれば、その子が歩き始めるところもな」
以前、孫の結婚式で無理に走ろうとして転んだ老人だった。
その後は約束を守り、畑仕事も休憩を挟んで続けている。
「最近は、朝起きるだけで疲れる。
大きな病気はないと言われたが、体が少しずつ言うことを聞かなくなる」
リオンは医師の診療記録を確認した。
持病は管理され、急を要する異常も見当たらない。
ただ、傷が治るまでの日数は延び、筋肉の回復も遅くなっていた。
「病気を治すことと、老いることを止めるのは違いますね」
ルーシェが呟く。
「そう。
体は毎日少しずつ傷み、それを修復している。
年を重ねると、その釣り合いが変わっていく」
「修復を強くする薬なら作れるのでは?」
その問いに、リオンは首を振った。
「昔、似た発想で失敗したよ。
回復力を前借りする若返り薬だ。
あれは見た目を変えた代わりに、あとから大きな負担を残した」
ルーシェは古い記録を覚えていた。
十年若返ると宣伝された薬が、使用者の髪を抜けさせた事件。
薬が起こす変化には、必ず理由がある。
「なら、修復を無理に増やすのではなく、傷む速さを遅くしたら?」
リオンが顔を上げた。
「……面白いね」
「思いつきですよ?」
「研究は、思いつきを確かめるところから始まるんだ」
オルドが身を乗り出した。
「つまり、わしも長生きできるのか?」
「まだ何も分かりません。
まず研究ができるかどうかです」
「なら、わしを試してくれ」
工房に戻る途中、ルーシェはエマとすれ違った。
彼女はお腹を大切そうに押さえながら、祖父のための柔らかな靴を探しているという。
「おじいちゃん、最近は無理しなくなったんです。
でも、毎朝畑を見に行くのはやめなくて」
「楽しみがあるんですね」
「はい。
赤ちゃんに見せたい花があるんですって」
その話を聞いたルーシェは、研究帳の最初のページに一文を加えた。
『長く生きることだけでなく、暮らしの質を守る』
どんな薬を作るのか。
そこを間違えたくなかった。
「それはできません」
即答され、老人は口を尖らせた。
「けちじゃのう」
「安全だと確かめる前に使ったら、ひ孫に会える時間を逆に減らすかもしれません」
リオンの言葉に、老人は黙った。
研究を始める前に、ルーシェは中央病院へ出向いた。
高齢の患者たちが、何に困っているのかを知りたかったからだ。
「昔より歩くのが遅くなった」
「眠りが浅くなった」
「手の傷が治りにくい」
話は似ていても、望みは一人ずつ違った。
ある女性は庭仕事を続けたいと言い、別の男性は孫に木彫りを教えたいと言った。
帰り際、院長が声を掛けた。
「寿命を延ばす研究か。
医師としては期待している。
しかし、薬ができたからといって、すべての衰えを病気扱いしないでほしい」
「どういうことですか?」
「年を取ることは、必ずしも治すべき欠陥ではない。
本人がどう暮らしたいか、それを忘れないでくれ」
ルーシェは深く頷いた。
研究を始める前に、ルーシェは中央病院へ出向いた。
高齢の患者たちが、何に困っているのかを知りたかったからだ。
「昔より歩くのが遅くなった」
「眠りが浅くなった」
「手の傷が治りにくい」
話は似ていても、望みは一人ずつ違った。
ある女性は庭仕事を続けたいと言い、別の男性は孫に木彫りを教えたいと言った。
帰り際、院長が声を掛けた。
「寿命を延ばす研究か。
医師としては期待している。
しかし、薬ができたからといって、すべての衰えを病気扱いしないでほしい」
「どういうことですか?」
「年を取ることは、必ずしも治すべき欠陥ではない。
本人がどう暮らしたいか、それを忘れないでくれ」
ルーシェは深く頷いた。
工房に戻ると、リオンは彼女の帳簿を見て微笑んだ。
「いい取材をしてきたね」
「取材じゃありません。
薬を作る前に、困っている人の話を聞いてきたんです」
「私が教えること、もうないかもしれないね」
「まだあります。
研究費の計算、師匠が担当してください」
リオンは急に黙った。
工房に戻ると、リオンは彼女の帳簿を見て微笑んだ。
「いい取材をしてきたね」
「取材じゃありません。
薬を作る前に、困っている人の話を聞いてきたんです」
「私が教えること、もうないかもしれないね」
「まだあります。
研究費の計算、師匠が担当してください」
リオンは急に黙った。
帰り際、オルドは扉の前で振り向いた。
「急がなくていい。
だが、諦めんでくれ」
「約束します。
危険な近道はしません」
老人を見送ったあと、ルーシェは研究帳を開いた。
老化による変化を、筋肉、皮膚、血管、魔力の循環に分ける。
同じ年齢でも、傷み方は人によって違う。
すべてを一度に変える薬は、かえって危険かもしれない。
「師匠、長寿薬が完成したら、何歳まで生きられるんでしょう」
「それも分からない。
でも、何年延びるかより、元気に過ごせる時間が大切かもしれないね」
ルーシェは窓の外を見た。
オルドは杖をつきながらも、道端の子どもに笑顔で手を振っていた。
「研究名はどうします?」
「『長寿ポーション』では期待させすぎる。
まずは『加齢変化の抑制に関する研究』かな」
「地味ですね」
「地味な方が、失敗したときに説明しやすいよ」
二人は笑った。
その日の夕方、最初の実験計画を作り終えたところで、工房の外に馬車が止まった。
見事な金の紋章をつけた馬車だった。
降りてきた男は、まだ挨拶もしないうちに言った。
「ここが寿命を延ばす秘薬を作っている工房か?」
ルーシェは研究帳を抱え直した。
「……誰がそんな話をしたんですか?」
男は答えず、分厚い予約台帳を差し出した。
「完成したら、我が主人を最初の客にしていただきたい」
まだ薬瓶すら一本も作っていない。
それなのに、寿命を買おうとする人間が、もう現れていた。




