第七十四話 原因を調べたら、国全体が実験場だった
「患者が苦しんでいるのに、秘密だから見せられない?」
ルーシェの声が、役所の廊下に響いた。
管理官は顔色一つ変えなかった。
「国家機密です。
私の一存では公開できません」
「では、誰なら決められるんですか?」
「王都の中央管理局です」
「今から連絡したら、何日かかります?」
「早くても五日でしょう」
五日。
少女の熱は、今日も上がっている。
ルーシェは言い返そうとしたが、リオンがそっと手を挙げた。
「管理官さん。
秘密を守る理由は分かります。
でも、秘密を守るために患者さんを危険にさらすなら、別の判断が必要だと思います」
管理官の表情が揺れた。
「あなたは、あの施設が何なのか知っているのですか?」
「いいえ。
だから教えてほしいんです」
リオンは少女の診療記録を机に置いた。
「この子の状態は悪くなっています。
もし施設が関係しているなら、対策を考えるために情報が必要です」
管理官は記録を見つめた。
長い沈黙の末、彼は鍵束を取り出した。
「……私が案内します。
ただし、触れてはいけない装置があります」
鐘楼の地下には、古い石階段が続いていた。
空気はひんやりとして、壁には細い光の筋が走っている。
「これ、魔力の導管ですね」
ルーシェは壁に埋め込まれた管を見つめた。
「鐘楼の中だけじゃない。
町の外へ続いています」
地下室の中央には、巨大な装置があった。
幾重にも重なった魔石の輪が、ゆっくり回転している。
床には複雑な紋様が描かれ、天井からは低い振動音が響いていた。
「……こんなものが町の下に」
ルーシェは言葉を失った。
管理官は壁に掛けられた地図を指した。
「これは百年前、疫病対策として作られた施設です」
地図には、国内の町すべてに同じ印があった。
「全部、つながっているんですか?」
「はい。
鐘楼は、各地の装置の起動時刻を知らせる役目も担っています」
リオンは地図を見つめた。
「国全体が、一つの巨大な魔法装置になっているんだね」
管理官は頷いた。
「当時、この国では疫病が広がっていました。
治療薬が足りず、医師も薬師も追いつかなかった。
そこで研究者たちは、病気の進行を遅らせる装置を作ったのです」
「病気の進行を……」
ルーシェは装置の輪を見た。
「患者の状態を一定時間前へ戻せば、治療する時間が増える。
そう考えたんですね」
「そのとおりです」
しかし、リオンは眉をひそめた。
「問題は、病気だけを戻せるかどうかだね」
管理官は答えなかった。
ルーシェは胸の奥が冷たくなるのを感じた。
「治療の結果まで、戻してしまう……」
装置の輪が、低い音を立てた。
管理官は重い口を開いた。
「当初は、これほどの問題は起きませんでした。
薬の効力が弱く、治療の変化も小さかったからです。
しかし近年、各国のポーションが進歩し……」
「装置が強い治療反応にまで干渉し始めた」
リオンが言葉を継いだ。
「それだけではありません」
地下室の隅には、百年前の技術者が使った作業台が残っていた。
ルーシェはそこに、細かな刻み目のついた木札を見つけた。
地上へ戻る途中、ルーシェは石段に座り込んだ。
「町の下にあんな装置があるなんて、誰も知らなかったんですね」
「知らなくても暮らせるように作られたんだろうね」
「でも、知らないままで良かったんでしょうか」
リオンは答えを急がなかった。
装置が人を救った時代もあった。
今は人を苦しめている。
どちらか一方だけを語っても、真実にはならない。
「だから、記録を残して次の人が判断できるようにするんだよ」
「これは何ですか?」
「各地の鐘楼から届いた報告を記録するための札だ」
管理官は古い箱を開いた。
中には、何百枚もの木札が積まれていた。
「昔は、毎日の装置の反応を手で書いていたんです。
今は中央管理局へ自動で送られるので、ほとんど使われていません」
ルーシェは札を一枚取り上げた。
百年前の日付。
装置の状態。
薬が効いたかどうか。
患者の数。
「この人たちも、毎日記録していたんですね」
「ええ。
装置が完成したあとも、何十年も」
リオンは古い札を見つめた。
「装置を作った人は、いつか問題が起きるかもしれないと考えていたんだろうね」
管理官は目を伏せた。
「最近は、装置が動いているかどうかしか見ていませんでした。
患者に何が起きているか、確認していなかった」
ルーシェは責めなかった。
代わりに、新しい記録用紙を取り出した。
「これからは、装置の数字と患者さんの状態を、同じ日に並べて書きましょう」
管理官は驚いた顔をした。
「あなたは、私を責めないのですか?」
「責めても、装置は直りません。
でも記録が増えたら、直す方法が見つかるかもしれません」
リオンは小さく笑った。
弟子は、もう自分が言わなくても大切なことを知っている。
管理官は地図の中央を指した。
「先月、中央管理局から新しい部品が送られました。
装置の反応を強めるためのものだと聞いています」
ルーシェは顔を上げた。
「鐘守さんが言っていた部品ですね!」
管理官は頷いた。
「それを交換してから、各地で異常が増えました」
「なぜ交換したんですか?」
「中央管理局の指示です。
理由は知らされていません」
ルーシェは拳を握った。
誰かが命令し、誰かが従い、結果として患者が苦しんでいる。
「装置を止めましょう」
彼女が言うと、管理官は慌てた。
「できません! 百年間、装置には大量の魔力が蓄積されています。
急停止すれば、反動がどこへ流れるか分からない!」
リオンは導管の流れを調べた。
「確かに、急停止は危険そうだね」
「では、どうするんですか?」
ルーシェは師匠を見た。
「止めずに、作用だけ変える方法を探そう」
そのとき、地下室の奥で足音がした。
「ようやく、そこまで気づいたか」
振り向くと、白髪の男が立っていた。
長い研究服の袖には、古い薬師の紋章が縫い付けられている。
「私はヴァイス。
この装置を作った研究者の子孫だ」
男は、埃をかぶった一冊の日誌を差し出した。
「君たちに、百年前の失敗を見せよう」




