第六十六話 健康な人にだけ効く薬を作ったら、大問題になった
ベルナの町では、夕方になると鐘が鳴る。
仕事を終える合図であり、夕食の支度を始める合図でもあった。
だが最近、その鐘が鳴る頃に、決まって体調を崩す人がいた。
「疲れるんです。
急に」
相談に来たのは、パン屋で働く女性だった。
「朝から働いているんだから、疲れるのは当然じゃないか?」
マルクが尋ねると、女性は首を振った。
「そういう疲れじゃないんです。
足が重くなって、頭がぼんやりするんです。
でも一時間くらいすると、元に戻るんです」
別の患者は、農作業をしている男性だった。
さらに、学校の教師にも同じ症状が出ていた。
仕事の内容は違う。
食事も生活時間も違う。
共通しているのは、夕方の鐘の頃に症状が現れることだけだった。
「師匠、何かの病気でしょうか」
ルーシェは検査記録を見つめた。
「可能性はある。
でも、病気だと決めつけるのは早いね」
「じゃあ、まず何をします?」
「時間と場所を調べよう」
二人は症状が出る人の生活を記録した。
鐘が鳴る時間。
どこにいたか。
何を食べたか。
その日の仕事量。
薬を使っていたかどうか。
記録を重ねるうち、ルーシェは一つのことに気づいた。
「師匠。
鐘が聞こえない北の農場では、症状が出ていません」
「鐘そのものか、鐘楼の近くにある何かかもしれないね」
だが、原因が分かるまでには時間がかかる。
その間にも住民は困っていた。
リオンは体の回復を助ける補助ポーションを試作することにした。
「疲れを無理やり消す薬ではありません。
体が休むための働きを補助する薬です」
ルーシェは試作品を光にかざした。
「健康な人に使う薬って、難しいですね」
「そうだね。
病気の人には治療の必要性があるけど、健康な人には薬を使わない選択肢もあるから」
まずは成分と安全性を確認し、医師の監督下で少数の協力者による試験を行うことになった。
一人目の男性には、目立った変化がなかった。
二人目の女性も問題なかった。
三人目の協力者は、町の教師だった。
「少し疲れにくくなった気がします」
試験の翌日、教師はそう話した。
ルーシェはほっとした。
「良かったですね」
ところが、その日の夜。
教師が工房へ駆け込んできた。
「先生、眠れないんです!」
「えっ?」
「体は元気なのに、頭が冴えてしまって。
横になっても全然眠れません」
ルーシェは顔色を変えた。
リオンはすぐに試験を中止し、医師と一緒に教師の状態を確認した。
大きな異常はなかったが、睡眠を妨げる作用が疑われた。
「すみません」
ルーシェは深く頭を下げた。
「私たちの薬が、かえって体調を悪くしてしまいました」
教師は困ったように笑った。
「説明を受けて参加したんです。
責めるつもりはありません。
でも、原因は調べてほしいです」
「必ず調べます」
工房に戻ったルーシェは、試験記録を何度も読み直した。
「成分は同じなのに、どうしてこの人だけ……」
リオンは生活記録を指した。
「夕方に飲んでいるものがあるね」
「濃いお茶?」
「この人、毎日何杯も飲んでいるみたいだ」
ルーシェはお茶の成分と補助薬の反応を調べた。
すると、補助薬が刺激成分の作用を長引かせる可能性が見つかった。
「薬だけ見ていたから、分からなかったんですね」
「薬は、使う人の生活の中に入るものだからね」
ルーシェは試験報告に、失敗の内容を詳しく書き込んだ。
補助ポーションは、当面使わないことになった。
それでも夕方の疲労の原因は残っている。
二人は鐘楼へ向かった。
鐘守の老人は、突然やってきた薬師たちを不思議そうに見た。
「鐘の音が体に悪い? そんな話は聞いたことがないぞ」
「音そのものかどうか、まだ分かりません」
ルーシェは答えた。
「鐘楼を調べてもいいですか?」
老人は鍵を渡した。
階段を上がると、巨大な鐘が夕日の中に浮かんでいた。
鐘の下には、古い魔石が埋め込まれている。
「これ、何に使うんですか?」
「昔からある。
鐘の音を遠くまで響かせるためのものだと聞いておる」
ルーシェは検査石を近づけた。
微かな反応が出た。
「師匠、魔力が漏れています」
「かなり弱いね。
でも、毎日同じ時間に浴び続けたらどうなるだろう」
その瞬間、鐘が鳴った。
ごおん、と重い音が町へ広がる。
ルーシェの検査石が、黄色く光った。
「……反応が強くなりました!」
リオンは鐘の下の魔石を見つめた。
「これだね」
翌日、町長の許可を得て魔石を交換した。
鐘は以前と同じように鳴った。
しかし、夕方に体調を崩す人は、少しずつ減っていった。
数週間後、記録上も症状の減少が確認された。
「結局、薬は必要なかったんですね」
ルーシェは調合台に置かれた補助ポーションを見た。
「そういうこともあるよ」
リオンは瓶を棚に戻した。
「作れる薬を全部使う必要はない。
原因を取り除けるなら、その方がいい」
ルーシェは頷いた。
薬を作ることが、薬師の仕事のすべてではない。
ベルナで学んだことは、いつの間にか増えていた。
そのとき、工房の扉が開いた。
杖をついた老人が、ゆっくり入ってくる。
「リオン先生はおるかのう」
「はい。
どうしました?」
老人は百歳を超えているという。
それでも目だけは、いたずらを思いついた少年のように輝いていた。
「孫の結婚式が近いんじゃ」
「おめでとうございます」
「そこで頼みがある」
老人は杖を持ち上げた。
「もう一度、若い頃みたいに走ってみたいんじゃ」
ルーシェは嫌な予感がした。
「師匠。
今度は、何を作るつもりですか?」
リオンは老人を見つめ、少しだけ笑った。
「まずは、何ができるか調べてみようか」




