第六十話 ポーションを作らなくても、人を救える世界
それから一年が過ぎた。
王都の薬師組合には、各地から調合記録が集まるようになった。
失敗例を共有する制度が広まり、薬の品質検査も当たり前になっていた。
山奥の村には共同の調合箱が置かれ、病院では貼る薬や交換式の薬剤容器が使われている。
リオンの工房も変わった。
棚には以前ほど大量のポーション瓶が並んでいない。
その代わり、研究資料と検査記録が山のように積まれていた。
「師匠、今月の売上です!」
ルーシェが帳簿を差し出す。
「薬の直接販売は減りました。でも講習と検査の依頼が増えています!」
「いい傾向だね」
「それから、私の担当患者さんも増えました!」
ルーシェは得意げに胸を張った。
「もう発毛薬だけじゃありません。回復薬も、検査薬も、基本的な調合なら任せてください!」
リオンは笑った。
「頼もしくなったね」
そのとき、工房の扉が開いた。
小さな少女が母親と一緒に入ってくる。
「薬をください」
少女は膝に小さな擦り傷を作っていた。
ルーシェは傷を洗い、清潔な布で保護した。
「このくらいなら、特別なポーションは必要ありません。傷を清潔にして、様子を見ましょう」
母親は安心した顔で礼を言った。
二人が帰ると、リオンが尋ねた。
「薬を売らなかったね」
「必要なかったので」
「売上にならないよ?」
ルーシェは少し笑った。
「師匠が教えてくれたんですよ。薬を売ることより、人を安全に助けることが大事だって」
リオンは静かに頷いた。
「そうだったね」
夕暮れの光が工房に差し込む。
棚の一番上には、リオンが最初に作った安全型ポーションが一本だけ残されていた。
誰にも買われなかった、小さな青い瓶。
ルーシェはそれを見上げた。
「師匠。あの薬がなかったら、私たちは出会っていなかったんですよね」
「そうだね」
「最初は売れなかったのに、今は王国中に同じ考え方が広がってます」
リオンは瓶を手に取った。
「薬の価値は、強さだけじゃない」
「安全で、確実に効くこと」
「それから?」
ルーシェは少し考えた。
「必要な人に、ちゃんと届くことです」
リオンは満足そうに笑った。
「正解」
その日の工房は、いつもより早く閉店した。
二人は温かいお茶を飲みながら、次の研究について話し合った。
「ところで師匠。次は何を作るんですか?」
「薬を作らなくても病気を防げるようにする」
「……それ、薬師の仕事がなくなりませんか?」
「なくなるなら、それでもいいと思う」
ルーシェは目を丸くした後、声を上げて笑った。
「師匠らしいですね!」
窓の外では、夕暮れの町を人々が行き交っている。
誰かが薬を必要とする日もある。
誰も薬を必要としない日もある。
どちらの日も、人々が安心して暮らせるように。
リオンとルーシェの研究は、明日も続いていく。




