第五話:記憶補助薬
翌朝の工房。
床の焦げ跡の隣で、男は縄で縛られたまま転がっていた。
「……で、これどうするんですか?」
ルーシェが恐る恐る尋ねる。
男はまだ意識が朦朧としているが、呼吸は安定している。
リオンは薬草をすり潰しながら、淡々と答えた。
「捨てるか、吐かせるか、情報を取るか」
「軽いですね……」
「死んでないしな」
リオンは手を止めることなく続ける。
「むしろ生かしてる方が手間かかってる」
ルーシェは男を見下ろした。
黒い外套は破れ、装備はすべて外されている。
「この人、まだ動く可能性は……」
「ある」
即答だった。
ルーシェの背筋が少し冷える。
「でも動ける状態にはしてない」
リオンは瓶を一つ取り出した。
透明な液体。
「神経系の再調整薬。しばらくは指一本まともに動かせない」
「そんなのまであるんですか……」
「薬屋だぞ」
さらっと言う。
その時――
「……ぐ……」
男がうめいた。
ゆっくりと目を開ける。
視線がリオンとルーシェを捉える。
「……失敗、か」
「質問していい?」
リオンはしゃがみ込み、目線を合わせた。
「誰の依頼だ?」
男は唇を噛む。
沈黙。
ルーシェの肩がわずかに強張る。
リオンはため息をついた。
「まぁ、言わないよな」
そして、机の上から一本の小瓶を取り出した。
黒い液体。
男の目がわずかに動く。
「……何をする気だ」
「安心しろ。毒じゃない」
「これは不能になる薬だよ」
男は青ざめる
「あなたは一生 不能で生きていくんだよ」
「よ…よせっ やめてくれ」
「ルーシェを襲った罰だからあきらめな」
「ていうのは冗談で…」
リオンは軽く振る。
「“逆流促進薬”だ」
「……は?」
「飲ませない。嗅がせるだけ」
リオンは瓶の栓を少しだけ開けた。
ふわり、と薬草の匂いが広がる。
男の呼吸が乱れる。
「……っ、これは……」
「記憶補助系だ」
リオンは淡々と説明する。
「脳の“直前の思考”を引っ張り出す」
ルーシェが息を呑む。
「そんなこと……できるんですか?」
「完全じゃないけどな」
リオンは男を見た。
「ただ、今の状態なら十分だ」
男の額に汗が滲む。
視線が揺れる。
「……やめ……ろ……」
「依頼主の顔、見えたろ」
リオンの声は静かだった。
「名前じゃなくていい。立場でもいい」
男の呼吸が荒くなる。
そして――
「……“内”だ……」
掠れた声。
「……家の……中だ……」
ルーシェの表情が凍る。
「やっぱりね」
リオンは立ち上がった。
「外の暗殺じゃない。内戦だ」
男は震えながら続ける。
「……上……位の……誰か……までは……知らない……」
「十分」
リオンは小瓶を閉じた。
男の意識がまた落ちていく。
ルーシェが小さく呟く。
「……やっぱり、家の中で」
「だろうね」
リオンは平然としていた。
「むしろ分かりやすくなった」
「分かりやすい、ですか……?」
「外敵なら逃げればいい」
リオンは机に戻る。
「でも内側なら――全部、構造で崩せる」
ルーシェの目が揺れた。
「構造……?」
リオンは新しい紙を取り出し、線を引く。
そこに、ルーシェ家の“戦場地図”が描かれていく。
「誰が動かすか。誰が止めるか」
「薬と同じだ」
静かに続ける。
「原因が分かれば、分解できる」
ルーシェはその図を見つめた。
ただの家ではない。
ひとつの“戦場”として描かれている。
「……こんなふうに見えるんですね」
「職業病だ」
リオンは軽く言った。
そして、縛られた男を一瞥する。
「この人はもう“証拠”だ」
「……どうするんですか?」
「しばらく寝てもらう」
リオンは瓶を軽く振った。
「次に起きたときには、自分の立場を後悔するかもな」
ルーシェは少しだけ息を吐いた。
そして、静かに言う。
「……もう戻れませんね」
「最初から戻る場所じゃなかった」
リオンは短く答えた。
窓の外では、王都の朝が始まっていた。
だがこの工房だけは、もう“治療室”ではない。
戦場の指揮所になりつつあった。




