第三十九話 七日しか生きられない薬師の遺言
日誌を書いた薬師の名前はエドガー。
十年前、王宮研究所から姿を消した人物だった。
「亡くなったんでしょうか」
「記録上はね」
リオンは日誌の余白に描かれた奇妙な図を見つめた。薬液の調合図に見えて、実際には王都の水路図と一致している。
「これ、地図ですか?」
「うん。何かを隠した場所だ」
二人は古い排水路へ向かった。水の引いた地下通路の奥に、小さな研究室が残っていた。
机には完成していない薬と、録音魔石が一つ。
ルーシェが魔石に触れると、疲れ切った男の声が響いた。
『私の薬は失敗した。治療の代償を見えない誰かに押しつけていた』
声は続いた。
『副作用を消す方法は見つからなかった。だが、負担の行き先を追跡する方法は残せた』
リオンは装置を起動した。壁に王都の地図が浮かび、赤い点が次々に灯る。
「……こんなに?」
ルーシェが息を呑む。
赤い点は数百。薬の負担を受けている人々の位置だった。
地図の中央、王宮の地下だけが不自然なほど白かった。
地下通路には湿った石の匂いが満ちていた。ルーシェが灯りを掲げるたび、天井から落ちる水滴が光った。
「師匠、ここ、本当に安全ですか」
「安全とは言えない。足元を見ろ。帰り道の印も残しておこう」
二人は古い研究室の扉を開けた。壁には日付が刻まれている。一日目、二日目、三日目。七日目の横だけ、深い傷が残っていた。
机の上には未完成の薬瓶と、家族宛ての手紙があった。
『私は人を救う薬を作ったつもりだった。若さを失う恐怖につけ込み、結果だけを誇った。苦しみを受け取った人々の顔を、一度も見なかった』
ルーシェは声に出せなくなった。
録音魔石を起動すると、男の荒い呼吸が響いた。
『初めは成功だと思った。患者の傷が塞がり、老人が走った。だが、町の別の場所で病人が増えた。私は偶然だと決めつけた』
しばらく沈黙があった。
『私は逃げた。研究所の命令からも、患者からも。ここに隠れ、せめて仕組みだけでも解こうとした』
声が震える。
『もしこれを聞く薬師がいるなら、私を許さなくていい。患者を先に救ってほしい。私は自分の薬で、自分の体を壊した』
リオンは黙っていた。ルーシェが尋ねる。
「この人は、悪い人だったんでしょうか」
「やったことは許されない。でも最後に残した情報で誰かを救えるなら、俺は使う」
日誌には、負担を追跡するための手順が書かれていた。完成していないため、誤検出の危険もある。
二人は古い装置をそのまま信用せず、持参した検査液で動作を確かめた。最初は地図全体が赤く染まり、調整を重ねると数百の点が浮かんだ。
「これだけの人が……」
ルーシェの声がかすれる。
王宮地下の白い空白は、まるでそこだけ病気が存在しないようだった。
リオンは魔石を止め、エドガーの手紙を封筒に戻した。
「この人の後悔を、次の患者の犠牲で終わらせない」




