第三十五話 十年前の若返り薬が、今になって牙をむいた
王宮研究所の封印印を見た途端、リオンの表情が変わった。
「この印、今は使われていないはず」
ルーシェは老人の古い薬瓶を光にかざす。
「偽物ですか?」
「本物だから困る」
二人は老人の診察を始めた。毛根だけでなく、肌の再生速度まで極端に低い。
若返り薬を飲んだ直後は十歳ほど若く見えたという。
「十年間、体の回復力を前借りしていたんだ」
リオンの声は低かった。
「若返りって、借金だったんですか?」
「そう。利息まで取られてる」
ルーシェは唇を噛んだ。リオンが最も嫌う種類の薬だった。
解毒を急げば老人の体が耐えられない。
リオンは個人適応型の試作品を薄め、少しずつ調整した。
三時間後、老人の指先に血色が戻る。
「治ったんですか?」
「今日できるのはここまで。明日も来てください」
老人は何度も礼を言った。帰り際、ぽつりと漏らす。
「同じ薬を飲んだ仲間が、あと十二人おります」
「十二人?」
「最近、みんな急に老け始めたんです」
ルーシェはリオンを見る。リオンは新しい紙を取り出した。
『十年前の若返り薬・使用者調査』
その夜、王宮研究所から封書が届いた。
『当該製剤の調査を直ちに中止されたし』
翌日、老人は息子に肩を支えられて現れた。前日は自力で上がれた工房の三段の階段で、今日は足が止まった。
「父は昔、町で一番足が速かったんです」
息子の声は悔しそうだった。「若返り薬を飲んでから、みんなに羨ましがられました。でも今は、朝、靴を履くのにも時間がかかる」
老人は笑おうとして、うまく笑えなかった。
「若返った十年を、先に使ってしまったんでしょうか」
リオンは答えを急がなかった。脈を測り、爪の色を見て、傷の治癒速度を確かめる。
「そうかもしれない。でもまだ決めつけない。俺たちは、残っている回復力を守る方法を探す」
「治りますか」
「今すぐ元通りとは言えない」
息子が顔を上げた。老人はむしろ安堵したようだった。
「十年前の薬師は、絶対に安全だと言いました」
その言葉にルーシェは手元の記録紙を強く握った。
検査は細かく分けられた。
安静時の反応、少量の栄養補給後の反応、皮膚の再生。
最初の調合では薬液が急に赤くなり、リオンが即座に中止した。
「師匠、失敗ですか」
「投与する前に止められた。だから患者には何も起きてない」
二度目はさらに薄くした。老人の指先が少し温かくなるまで、二人は一時間待った。
「少し楽です」
老人がそう言ったとき、ルーシェは喜びかけた。だがリオンが首を振る。
「今日の改善が明日も続くかは分からない。記録を取ろう」
帰り際、老人は息子に支えられながら振り返った。
「同じ薬を飲んだ仲間がいます。私よりひどい人もいる」
彼は十二人の名前を書いた紙を差し出した。数人には既に歩けないほどの症状があるという。
「皆に、もう遅いと言わないでください」
リオンは紙を受け取った。
「俺が約束できるのは、見捨てないことだけだ」
その夜、研究所の封書を読み終えたルーシェは怒りで震えた。
調査中止命令には、患者の状態について一行も書かれていなかった。




