第三話:路地裏に来た死
その夜、工房の灯りは遅くまで消えなかった。
「……毒の残留反応、あと少しだね」
リオンは試験管を覗き込みながら呟く。
机の上では、ルーシェが静かに眠っていた。
薬の影響で、体力が落ちているのだ。
――そのとき。
カツン。
路地に、乾いた足音が響いた。
リオンの手が止まる。
「……来たか」
次の瞬間。
ドンッ、と工房の扉が内側へ弾けた。
黒い外套の男が、無言で踏み込んでくる。
顔は見えない。
だが“仕事”の匂いがした。
「……随分早いね」
リオンはゆっくり立ち上がる。
「貴族の護衛にしては、手際がいい」
男は答えない。
代わりに、手が動いた。
――銀の針。
毒針。
即死ではない。
確実に“弱らせてから殺す”タイプだ。
「なるほど。やっぱりそういう連中か」
リオンは棚に手を伸ばした。
「ここは薬屋なんだけどね」
男が踏み込む。
速い。
だが――
リオンは瓶を投げた。
パリンッ。
床で割れた瞬間、白い煙が広がる。
「……っ!?」
男の動きが一瞬だけ鈍る。
「催眠系じゃない。筋肉弛緩薬だ」
リオンの声は冷静だった。
「吸いすぎると呼吸が止まるから、急げよ」
男の目がわずかに揺れる。
だが、まだ動く。
踏み込む。
――だがその瞬間。
「遅い」
リオンはもう一本の瓶を投げていた。
今度は青い液体。
空中で割れる。
パッ、と閃光。
男が反射的に目を閉じた。
「視覚攪乱ポーション」
リオンは淡々と説明する。
「目眩ましじゃなくて、“距離感を狂わせる”やつだ」
男の動きが崩れる。
壁に手をつくが、位置が合わない。
「――くっ」
初めて声が漏れた。
その隙に、リオンは机の下から小さな瓶を取り出す。
中身は黒い液体。
「本当は医療用じゃないんだがね」
ポン、と軽く栓を抜く。
「“神経加速毒”だ」
男の眉が跳ねた。
「お前……錬金術師じゃないのか」
「薬師だよ」
リオンは静かに言う。
「ただし、“治すために何でも使う薬師”だ」
瓶が床に落ちる。
黒い霧が一瞬で広がった。
男が後退するが、遅い。
霧を吸った瞬間――
足が止まる。
「……体が」
動かない。
正確には、“動かし方が分からない”。
「神経の伝達だけを一時的に加速させてる」
リオンは冷静に続ける。
「脳と体のズレが大きくなりすぎて、まともに動けなくなる」
男の膝が崩れた。
音もなく、床に倒れる。
沈黙。
「縛り上げておくしかないわね」
倒れた男を縄でギッチギチに縛り上げ柱に括りつけた。
工房に静けさが戻る。
リオンはゆっくり息を吐いた。
「……やりすぎると死ぬから、嫌なんだけどね」
そのとき。
「……リオン、さん」
背後から声。
ルーシェが起きていた。
青ざめた顔で、縛り上げられた男を見ている。
「今の……」
「安心して。殺してない」
リオンは短く言う。
「たぶん朝までは動けない」
ルーシェは震えた声で言った。
「……あれは、私を殺しに来た人ですか」
「だろうね」
リオンは倒れた男を一瞥する。
「貴族の毒ってのは、だいたい“失敗しないように保険”がある」
「保険……?」
「逃げた場合の処理役だ」
ルーシェの顔が強張る。
「つまり、私は……」
「まだ狙われてるってことだ」
リオンは静かに言った。
そして、少しだけ間を置いてから続ける。
「でも逆に言えば、面白くなってきた」
「……面白い?」
「普通の毒じゃない。暗殺者まで動いてる」
リオンは机に向かい、新しい瓶を取り出した。
「つまり、“上等な顧客”ってことだ」
「顧客……?」
「毒を治すだけじゃ足りないね」
彼女はゆっくりと振り返る。
「次は、“守る薬”を作る」
ルーシェの目が揺れた。
「守る……薬?」
「攻撃にも、防御にも使える」
リオンは瓶を軽く揺らす。
「安全で、効く。そして――戦える」
倒れた暗殺者を見下ろしながら、静かに言った。
「この世界、薬だけじゃ足りないらしい」
工房の灯りが、ゆっくりと揺れた。
そしてその夜、錬金薬師の“ポーション”は――
治療ではなく、戦闘に使われた。




