08.おやおや第一皇子は好奇心が旺盛なようです
魔法学の実技から数日後。
昼休みに、私は図書館へ来ていた。
学院の図書館は広い。水公爵家の図書室も十分大きかったが、それでも比べものにならないほどだ。
高い本棚がいくつも並び、大きな窓から差し込む光が、長机の上を柔らかく照らしている。
私は借りていた本を返し、次に読む本を探していた。
「ルシア嬢」
名前を呼ばれて振り向く。
少し離れたところに、金色の髪の少年が立っていた。
「レオンハルト殿下」
「少しお時間よろしいですか?」
「はい」
近くの閲覧席へ移動し、向かい合って腰を下ろす。
「先日の魔法学の実技を拝見しました」
「見ていらしたのですか?」
「ええ。別の講義へ向かう途中でしたので、少しだけですが」
ということは、あの水球も見られていたのだろう。
「最後は訓練場を水浸しにしてしまいました」
「確かに、あれは大変そうでしたね」
レオンハルト殿下は、あのときの光景を思い返すように目を細めた。
「ですが、私が気になったのは、その前です」
「その前?」
「あれほどの水を一度に生み出せることです」
レオンハルト殿下は机の上で指を組み直した。
「ルシア嬢は、領内に給水所を整備されていますよね」
「はい」
「以前お話を伺ったときも興味深いと思いましたが、先日の実技を見て、他にも使い道があるのではないかと思いまして」
「使い道ですか?」
「例えば、大きな火災が起きたときです。井戸から水を汲んで運ぶより、魔法で直接水を出せれば消火に使えるかもしれません」
言われてみれば、その通りだ。
「ですが、あの水球をそのまま落とすわけにはいきませんね」
「そうですね」
訓練場に広がった水を思い出す。
あれを燃えている建物へ落としたら、火を消す前に別の被害が出そうだ。
「一度に大量の水を出すだけではなく、必要な場所へ必要な量を送る制御が必要になります。広い範囲へ散らしたり、反対に一か所へ集中させたりできれば、使い道も増えるでしょう」
「畑に水を撒くこともできそうですね」
「ええ。ただ、作物を傷めない程度に広く均等に撒くとなると、消火とはまた違った制御が必要になりそうです」
同じ水魔法でも、使い方によって求められるものが違うらしい。
私はまだそこまで緻密に制御することはできない。
レオンハルト殿下は、まだ何かを考えているようだった。
「魔法がお好きなのですね」
「ええ。好きですよ」
思っていたよりも迷いのない返事だった。
「魔法そのものも面白いのですが、私は、それで何ができるのかを考えるのが好きなのです」
少しだけ声が弾んでいる。
皇都を案内してもらったとき、魔道具工房で随分詳しく説明してくれたことを思い出した。
あのときも、新しい魔道具がどのような仕組みなのかだけではなく、それがどこで使われているのかまでよく知っていた。
「魔道具工房がお好きだったのも、それでですか?」
「そうかもしれません。研究されたものが、実際に人の暮らしの中で使われているのを見るのが好きなのです」
レオンハルト殿下はそう言って、近くの本棚へ目を向けた。
「最近は、魔法理論研究所で行われている研究についても調べています」
「ケイン様の叔母様が所長をされているところですよね」
「ご存じでしたか」
「先日の講義で聞きました」
「そうでしたか」
レオンハルト殿下は少し嬉しそうに頷いた。
「研究所では、古い遺跡から発見された魔法陣についても調べているそうです」
「古い魔法陣?」
「ええ。現在使われているものとは、構造がかなり違うそうです」
魔法陣なら、私も本で見たことがある。
魔道具にも使われているし、魔法を補助するために用いられることもある。
「何が違うのですか?」
「詳しいことは、まだ分かっていないそうです。ただ、複数の魔法陣が繋がっているように見えるものや、途中で途切れていて用途を推測できないものもあるとか」
そんな魔法陣があるのか。
「何に使われていたのでしょう」
「それが分からないから研究しているのでしょうね」
レオンハルト殿下は楽しそうだった。
「分からないものが、少しずつ分かっていくのも面白いですが、その仕組みを今の魔法にも使えるようになれば、できることはもっと増えるかもしれません」
「例えば?」
「それを考えるのが楽しいのです」
少しだけ笑って答える。
なんとなく、ケイン様とは違うと思った。
ケイン様なら、古代の魔法陣そのものを見たがる気がする。
どんな線が引かれていて、どうしてそんな形をしているのか。きっと、そういうことを知りたがる。
レオンハルト殿下は、その先を考えている。
それが何に使えるのか。
人の暮らしをどう変えられるのか。
「研究者みたいですね」
私が言うと、レオンハルト殿下は一瞬だけ目を瞬いた。
「そうでしょうか」
「はい。研究のお話をされているとき、楽しそうです」
レオンハルト殿下は、一度だけ視線を落とした。
嬉しそうにも、困っているようにも見える。
何かおかしなことを言ってしまっただろうか。
「……そうかもしれませんね」
返ってきた声は、先ほどまでより少し静かだった。
それきり、しばらく何も言わない。
何を考えているのだろう。
顔を上げたときには、いつもの穏やかな表情に戻っていた。
「ルシア嬢は、将来何になりたいのですか?」
「将来、ですか?」
思いがけないことを聞かれた。
どうして急に、そんなことを聞くのだろう。
私は少し考える。
けれど、すぐには答えが浮かばなかった。
「分かりません。神子になるかもしれませんし、ならないかもしれません。まだ、何も決まっていませんから」
黒髪黒目。
六属性。
神託に示された特徴に、私は当てはまっている。
けれど、正式に神子だと決まったわけではない。
「ただ、皆が望むなら、そのようになるのだと思います」
私にできることなら、応えたい。
困っている人がいるのなら、助けたい。
神子になることでそれができるのなら、私もそうありたいと思う。
レオンハルト殿下は、すぐには何も言わなかった。
先ほどまで柔らかく細められていた目が、少しだけ真剣になる。
「それは、ルシア嬢が望むことですか?」
「私が、ですか?」
聞かれて、少し戸惑った。
「はい」
「……そうですね」
私は考える。
皆が神子を必要としている。
そして、もし私にその力があるのならば。
「私にできることで誰かを助けられるのなら、そうしたいです。ですから、皆が神子を必要としていて、私がそうなれるのなら、私もそうありたいと思います」
誰かが困っているのに、自分にできることがあるなら、何もしないでいる方が嫌だ。
けれど、レオンハルト殿下はすぐには頷かなかった。
「……そうですか」
いつもの穏やかな返事だったのに、なぜか少しだけ引っかかった。
何かおかしなことを言っただろうか。
私には、よく分からなかった。
しばらくして、レオンハルト殿下が静かに口を開いた。
「国には、様々な役割があります。皇族にも、貴族にも、騎士にも、魔法使いにも、それぞれ求められるものがある。国に必要な役割を果たす者が、その座に就くべきだと思っています」
レオンハルト殿下は、次に続く言葉を選んでいるようだった。
「ですが、役割だけで人を決めてしまうのは、少し寂しい気もします」
そう言って浮かべた微笑みは、いつもより少しだけ寂しげに見えた。
「役割だけで、ですか?」
「ええ。神子になれば、人々はルシア嬢を神子として見るでしょう。ですが、それだけがルシア嬢ではないでしょう」
言われて、少し考える。
水公爵家の令嬢。
神子候補。
学院の生徒。
確かに、私にもいくつもの立場がある。
「だから、神子になるかどうかとは別に、ルシア嬢自身がしてみたいことはないのかと思ったのです」
「私自身が……」
本を読むのは好きだ。
知らないものを見るのも楽しい。
領地で何か問題を見つければ、どうすれば良くなるのかと考える。
けれど、それを将来何になりたいのかと聞かれると、答えが出てこない。
「……分かりません」
「そうですか」
レオンハルト殿下は、それ以上尋ねなかった。
私は少し気になって、今度はこちらから尋ねた。
「レオンハルト殿下は、どうなのですか?」
「私ですか?」
「はい。将来です」
尋ねてから、少し変な質問だったかもしれないと思った。
レオンハルト殿下は第一皇子だ。
いつか皇帝陛下の跡を継ぐのだろう。
「私には、皇族として果たすべき役目がありますから」
レオンハルト殿下は穏やかに答えた。
「これから学ばなければならないことも、たくさんあります」
「魔法の研究もですか?」
「ええ。もちろんです」
その返事は、少しだけ早かった。
「新しい魔法や魔道具が、一つの町の暮らしを変えることもあります。けれど、何か新しいものを生み出さなくても、今ある魔法の使い方を変えるだけで、人の暮らしは変えられる」
「今ある魔法の使い方?」
「ええ。ルシア嬢の給水所がそうでしょう。水魔法そのものは昔からありますが、それを多くの人へ水を供給する仕組みにした」
レオンハルト殿下の声が少し弾んでいる。
「私は、そういうことを考えるのが好きなのです」
魔法について話しているときのレオンハルト殿下は、やはり楽しそうだった。
皇帝になれば、今よりずっと忙しくなるだろう。
それでも、こうして魔法や魔道具について調べ続けるのかもしれない。
やがて、昼休みの終わりが近づいてきた。
「そろそろ戻りましょうか」
「はい」
レオンハルト殿下とともに席を立つ。
「今日はありがとうございました」
「こちらこそ。また話に付き合っていただけますか?」
「もちろんです」
図書館を出ながら、先ほどの言葉を思い返した。
――役割だけで人を決めてしまうのは、少し寂しい気もします。
神子候補。
水公爵家の令嬢。
学院の生徒。
それらを全部取り払ったら、私は何をしたいのだろう。
考えてみたけれど、今の私にはまだ答えが見つからなかった。




