09.ずいぶん第二皇女はまっすぐなようです
午後の講義まで、まだ少し時間があった。
私は本を一冊抱え、学院の庭園へ向かっていた。
シルフィアとナイアさんは、課題を進めるため図書館へ行っている。私も一緒に行こうかと思ったのだけれど、今日は天気が良かったので、たまには外で本を読むことにしたのだ。
庭園へ続く回廊を抜けようとしたところで、声がかかった。
「ルシア様!」
庭園の小道を、クラウディア殿下がこちらへ向かって歩いてきていた。
春の風を受け、淡い桜色に銀の光沢を帯びた長い髪がさらりと靡く。こちらを見つけた薄紅色の瞳が嬉しそうに輝き、歩みが少しだけ速くなった。
「クラウディア殿下」
「やっとお会いできました!」
侍女を引き連れて、足早にこちらへやってきた。
「私を探していらしたのですか?」
「はい!お兄様から、ルシア様は昼休みに図書館にいることが多いと聞いたので、何度か探しに行ったのです」
「そうだったのですか」
知らないところで何度も探されていたらしい。
「今日は図書館にいらっしゃらなかったので、こちらまで来てみたのです」
「申し訳ありません」
「どうしてルシア様が謝るのですか?」
クラウディア殿下が不思議そうに首を傾げた。
「今日は外で本を読もうと思いまして」
抱えていた本を見せると、クラウディア殿下が納得したように頷いた。
「そうなんですね!少しお時間をいただいてもよろしいですか?」
「もちろんです」
「良かったです!」
クラウディア殿下は大きく口元を綻ばせた。
そのまま二人で庭園へ向かう。
色とりどりの花が咲く小道を進み、噴水の近くにある長椅子へ腰を下ろした。
「それで、何かご用でしたか?」
「お話ししたかったのです!」
ずいぶん元気よく言い切られた。
皇都でお会いしたときと変わらず、とても明るい方だった。
「学院には慣れましたか?」
「はい。新しいお友達もできました」
「それは良かったです!ご学友は大切ですからね」
クラウディア殿下は嬉しそうに頷く。
そして、こちらへ身体を向けた。
「私も、ルシア様ともっと仲良くなりたいです!」
「ありがとうございます。私もです」
「では、私のことをクラウディアと呼んでいただけませんか?」
「えっ」
さすがに皇女殿下を呼び捨てにはできない。
「それは、ちょっと……」
「では、クラウディア様ではいかがですか?」
「それでしたら……」
殿下を付けなくてもいいのだろうか。
少し迷ったものの、本人がこれほど期待した目でこちらを見ているのだから、断るのも申し訳ない。
「……クラウディア様」
「はい!」
満面の笑みが返ってきた。
「ありがとうございます!」
そんなに嬉しいことなのだろうか。
「ルシア様も、私のことをお友達だと思ってくださいね」
「はい」
さすがに友達と思うのは、恐れ多い気がする。
でもそのご好意はとても嬉しかった。
私の返事に、クラウディア様は満足そうに笑った。
「先日、お兄様と図書館でお話しされていましたよね」
「レオンハルト殿下とですか?」
「はい」
数日前のことを思い出す。
「魔法についてお話ししました」
「やっぱり!お兄様は魔法がお好きですから」
クラウディア様はどこか誇らしげな顔をした。
「そうみたいですね。魔法そのものというより、それを何に使えるのか考えるのがお好きなようでした」
「昔からそうなのです。新しい魔道具を見つけると、仕組みを調べるだけでは終わらないのですよ。これはどこで使えるだろう、何に使えるだろう、とずっと考えています」
その姿は容易に想像できた。
「研究所への配属も楽しみにしていらっしゃるのでしょうか」
「とても楽しみにしていますよ。以前から、どの研究所を希望するか考えているくらいです」
高学舎へ進めば、研究所へ所属して専門的なことを学ぶ機会も増える。
レオンハルト殿下なら、魔法理論研究所を選ぶのだろうか。
「クラウディア様も、魔法がお好きなのですか?」
「好きですよ。でも、お兄様ほどではありません」
クラウディア様は少し考えてから、花壇へ目を向けた。
「私は、魔法より人の方に興味があります」
「人、ですか?」
「はい」
少し意外な答えだった。
「学院にも、皇都にも、領地にも、色々な人がいるでしょう?何をして暮らしているのか、何に困っているのか、どんなことを望んでいるのか。そういうことを知る方が好きです」
皇都を案内してもらったときのことを思い出す。
クラウディア様は市場でもよく周囲を見ていた。
店の人とも気軽に話していたし、私の知らないこともたくさん知っていた。
「だから統治学も好きなのです」
「統治学がお好きなのですか?」
「はい。難しいですけれど」
クラウディア様はあっさり認める。
「税のことも、法律のことも、領地による違いも、知らないことばかりです。でも、知らなければ、何を変えればいいのかも分からないでしょう?」
「変えるのですか?」
「変えたいことがたくさんありますから」
迷いのない答えだった。
「困っている人がいても、私一人でできることは少ないです。でも、仕組みを変えれば、一人だけではなく、もっとたくさんの人を助けられるかもしれません」
先ほどまで楽しそうに話していたクラウディア様の表情が、少し真剣になる。
「だから私は、その人たちの力になれるようになりたいのです」
私はクラウディア様を見つめた。
ふと、レオンハルト殿下との会話を思い出した。
「クラウディア様は、将来何になりたいのですか?」
クラウディア様は、少しも迷うことなく答えた。
「私は女帝になります」
「……女帝?」
思いがけない答えに、すぐには言葉が出なかった。
なりたい、ではなかった。
なります、と言った。
「はい!この国には、変えたいことがたくさんありますから」
女帝。
つまり、クラウディア様が皇帝になるということだ。
けれど、皇帝になるのは――。
「レオンハルト殿下は……?」
思わず名前が出てしまった。
第一皇子であるレオンハルト殿下が、いつか皇帝陛下の跡を継ぐのだと思っていた。
「お兄様がいらっしゃるからですか?」
「はい」
しかし、クラウディア様は特に気を悪くした様子もなかった。
「お兄様にも話していますよ」
「そうなのですか?」
「はい。なりたいのなら、そのために必要なことを学べばいいと言われました」
レオンハルト殿下らしい。
けれど、反対しなかったというのは少し意外だった。
「大変ではありませんか?」
「大変でしょうね」
大変だと言いながら、その顔はどこか楽しそうだった。
「ですが、やりたいのです」
まっすぐな言葉だった。
風が吹き抜け、銀桜色の長い髪が肩の後ろへ靡く。
「皇帝になったら、何をしたいのですか?」
「たくさんあります!」
「たくさん?」
「はい。いっぱいあります!」
クラウディア様は胸の前で両手を小さく握り、意気込むように力を込めた。
本当に、いっぱいあるらしい。
「法律ももっと勉強したいですし、税のことも知りたいです。各地を見て回って、それぞれの土地にどんな問題があるのかも知りたいです」
「ご自分で見に行くのですか?」
「もちろんです。報告を読むことも大切ですけれど、それだけで国のことを全部分かったつもりにはなりたくありませんから」
確かにそうだ。父も、忙しい合間を縫って、よく各地を視察している。
「私も、実際に見た方がいいと思います」
「ルシア様なら、そうおっしゃると思いました!」
クラウディア様が嬉しそうに笑う。
「どうしてですか?」
「だって、給水所のことをお話しされていたときも、領地の人たちの暮らしをよく見ていらっしゃいましたもの」
褒められているようで、なんだか気恥ずかしい。
「いつか一緒に色々なところへ行きましょう」
「私とですか?」
「はい!」
あまりにも当然のように答えるので、思わず瞬きをした。
クラウディア様とは、まだそれほど長く一緒に過ごしたわけではない。それなのに、彼女の中では、私と出かけることはすでに決まっているらしい。
「ルシア様は、将来何をなさりたいのですか?」
先ほどの私の質問が返ってきた。
「……まだ、分かりません」
「神子になることは、ルシア様のしたいことではないのですか?」
「神子になることが誰かのためになるのであれば、そうありたいとは思っています」
「ルシア様のやりたいことは?」
「やりたいこと、ですか……」
考え込む私に、クラウディア様は不思議そうに首を傾げた。
「ルシア様は、人の役に立ちたいのだと思っていました」
「え?」
「困っている人がいると、すぐに何かできないか考えるでしょう?」
「そうでしょうか」
「そうです!」
どこでそう感じたのだろう。
以前お会いした時に、給水所や学校の話をしたからだろうか。
「確かに、人の役に立ちたいとは思っています」
「それなら、それがルシア様のやりたいことなのでしょうね」
「でも、私は何になりたいのかは分かりません」
「今は、それでもいいのではありませんか?」
「そうでしょうか」
「私は女帝になります。でも、女帝という立場が欲しいわけではありません。女帝になって、したいことがあるからなりたいのです」
クラウディア様は胸元に手を添えた。
「ルシア様は、人を助けたいとは思っているのでしょう?」
「……はい」
「なら、それでいいと思います」
クラウディア様はそう言って笑った。
私はしばらく、その顔を見つめた。
自分が何をしたいのかを知っていて、そのために何になりたいのかまで決めている。
私にはないものを、クラウディア様は持っている。
「クラウディア様は、すごいですね」
「どうしてですか?」
「自分のやりたいことも、なりたいことも、明確なので」
「やりたいことなら、ルシア様にもあるではありませんか」
「一つだけです」
「これから増やせばいいのです!」
あまりにも簡単に言うので、思わず笑ってしまった。
「増えるでしょうか」
「増えます!」
「どうして分かるのですか?」
「だって、ルシア様はまだ十歳でしょう?」
「……クラウディア様も十二歳ですよね」
「二年も違います!」
ずいぶん大きな差のように言われた。
「それに、これから知らないものをたくさん見ればいいのです。色々なところへ行って、色々な人とお話ししたら、やりたいことだって増えるかもしれません」
「そうでしょうか」
「はい!私も一緒に探します!」
「クラウディア様もですか?」
「もちろんです!」
クラウディア様が薄紅色の瞳を楽しそうに細める。
その表情につられて、私も口元が綻んだ。
やがて、昼休みの終わりを告げる鐘が響いた。
「あら、もうこんな時間です」
「戻りましょうか」
「はい!」
二人で立ち上がり、学び舎へ向かう。
隣を歩くクラウディア様は、午後の講義について楽しそうに話している。
自分の進みたい道を知っていて、そこへ向かうことに迷いがない。
まるで太陽のような人だと思った。
その横顔を見ながら、私は自分のことを考えた。
数日前、レオンハルト殿下から聞かれたときには分からなかった。
何になりたいのか。
その答えは、今も見つかっていない。
けれど、何をしたいのか。
人を助けたい。
それだけは、考えるまでもなく答えられる。
クラウディア様のように、その先へ続く道が見える日は、いつか私にも来るのだろうか。




