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救済の神子はまだ知らない  作者: 染井吉野
学院入学編
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06.案外噂だけでは分からないようです



 神話学の講義で、教師は講壇の前で生徒を見回した。


「次回までに、神々について考察文をまとめなさい」


 生徒たちが筆記帳を開き、講義室に羽ペンを走らせる音が広がった。


「創世神話、建国神話、各地の伝承。何を題材にしても構いません。ただし、教本を写すだけでは意味がありません。自分で調べ、自分で考えなさい」


 そうして講義は終わった。


 教本を閉じながら、何を書こうかと考える。

 光神と四大神のことは、もちろん知っている。


 だけど、考察文を書けと言われると難しい。

 図書館へ行った方が良さそうだった。


 ――午後の講義が全て終了した後、私は図書館へ向かった。


 図書館へ入ると、古い紙の匂いと静かな空気に包まれた。


「神話関係の本は……」

「ルシア様」


 本棚を探していると、声を掛けられた。

 振り返ると、エリス様がいた。腕にはすでに何冊かの本を抱えている。


「考察文ですか?」

「そうです」

「やはり」


 エリス様は丸眼鏡を押し上げ、満足そうに頷いた。


「私も神話関係の資料を探しております」

「熱心ですね」

「神話は面白いですから」


 エリス様らしい一言だった。


「同じ神についての神話でも、時代や地域によって細かな違いがありますし、教会ごとに解釈も異なります」


 話しているうちに、エリス様の口調がだんだん早くなっていく。


「父もよく、古い伝承ほど書き手の立場を考えるべきだと――」


 そこまで言いかけて、エリス様がふと視線を上げた。


「あ」


 その先では、セレネ殿下が窓際の席で本を読んでいた。

 こちらに気付いたらしく、紫色の瞳と目が合った。


「こんにちは」


 私が声を掛ける。


「こんにちは」


 セレネ殿下は、目を見開いたあと、返事をしてくれた。

 穏やかな声だった。


「セレネ殿下も考察文ですか?」

「はい」


 そう言って本の表紙を見せてくれた。

 神話について書かれた本だった。


「あの……」


 少し離れた場所にいたエリス様が、おずおずと近づいてきた。

 いつもの勢いがない。


「一つ、お尋ねしてもよろしいでしょうか」

「はい」

「ノクティスの神話についてなのですが……」


 そこまで言って、エリス様は珍しく言葉を止めた。


「お聞きしても、失礼ではありませんか?」


 セレネ殿下が少し目を見開く。


「……構いません」


 その返事を聞いた途端、エリス様の瞳が輝いた。


「ノクティスでも、六柱の神々について語られているのですか?」


 先ほどよりも、一段真剣な声をしていた。


「はい。ですが……ルミナリア皇国とは少し異なります」

「異なるのですか?」


 私が尋ねると、セレネ殿下は静かに答えた。


「はい。特に闇神に関する部分は大きく違います」

「やはり!」


 エリス様の声が静かな図書館に響き、近くの机にいた生徒が顔を上げた。


「あ……失礼しました」


 声を潜めながらも、その瞳の輝きは変わらない。


「文献でその説を読んだことがあります」


 エリス様は一歩身を乗り出した。


「それは正典神話でしょうか?それとも地方伝承でしょうか?」


 既に筆記帳を取り出していた。

 セレネ殿下が目を瞬く。


「正典神話です」

「なるほど……」


 エリス様は何度も頷いた。

 セレネ殿下は少し視線を落とした。


「ルミナリア皇国では、闇神は邪神として扱われていますが……」

「ノクティスでは違うのですか?」


 エリス様が興味深そうに尋ねる。


「はい。……少なくとも、私たちはそう教わっています」

「どう違うのですか?」


 エリス様は羽ペンを構えたまま尋ねた。


「ノクティスでは……夜と安らぎを司る神です」


 セレネ殿下は私たちの反応を窺うように、静かにそう答えた。


「夜を?」

「はい」


 窓から差し込む夕日が黒髪を照らしていた。


「昼のあとには夜が訪れ、人は眠りにつきます。それと同じように、すべての命には始まりと終わりがある。闇神は人々に休息と静寂を与え、生と死の巡りを司る神だと教わっています」


 思っていた闇神の姿とは、あまりにも違っていた。

 皇国では、闇神は人々を惑わせ、災厄を引き起こし、世界を混乱へ導いた邪神として語られている。


 それが夜と安らぎを司る神だというのだから、まるで別の神の話を聞いているようだった。

 前世でも国や地域によって神話は違った。

 けれど、同じ神がここまで違って語られているのを実際に聞くと、不思議な気分だった。


「興味深いですね」


 思わずそう呟く。


「他にも違いはありますか?」

「あります。例えば――」


 普段は静かなセレネ殿下も、話しているうちに少しずつ表情が柔らかくなっていた。

 エリス様は相変わらず、次から次へと質問を重ねている。


 教わってきた神話が違っていても、こうして話をすることはできる。

 そのことが、なぜか嬉しかった。


 しばらくして、セレネ殿下は本を閉じた。


「私でよろしければ、またお話しいたします」

「ぜひお願いします」


 エリス様が即座に頭を下げた。

 完全に研究者の顔だった。


 セレネ殿下は小さく微笑み、図書館を後にした。


「……セレネ殿下とお話してしまいました」


 エリス様は、ふと我に返ったように呟いた。


「どうでしたか?」

「とても親切な方でした。あれほど詳しく教えてくださるなんて」


 その言葉に、私は思わず微笑んだ。


「私もそう思います」


 セレネ殿下の背を見送りながら私は考える。


 邪神を崇める国から来た留学生。

 周囲では、セレネ殿下のことをそう語っていた。


 けれど、実際に話してみれば、穏やかで知的な少女だった。

 噂を聞いているだけでは、分からないこともあるらしい。


 神話も同じなのかもしれない。


 皇国で教わる物語だけが、すべてではない。

 国が違えば、同じ神にも異なる物語がある。


 ……考察文には、このことを書いてみよう。


 私は本を借りて、図書館を後にした。


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