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救済の神子はまだ知らない  作者: 染井吉野
学院入学編
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05.思ったより学院は広いようです

 

 翌日の最後の講義が終わると、生徒たちはそれぞれ帰り支度を始めた。

 私も教本を鞄へしまう。


「ルシア様」


 隣の席に座っていたナイアさんが立ち上がる。


「寄宿舎へ戻られますか?」

「その予定です」


 ナイアさんとシルフィアと一緒に講義室を出ようとした時だった。


「ルシア様!」


 突然呼ばれた声に振り返ると、蜂蜜色の髪を高い位置で結んだ少女が立っていた。

 同じ第一組の生徒だ。


「えっと……」

「ミラ・グランです!」


 私が名前を思い出すより先に、少女は元気よく名乗った。たしか、冒険者ギルド総長の娘だ。

 そういえば、まだきちんと話したことはなかった。


「ミラ様」

「ひゃっ」


 名前を呼んだだけなのに、ミラ様は小さな悲鳴を上げた。


「どうかされましたか?」

「い、いえ!」


 ミラ様は慌てて首を振った。


「だ、大丈夫です!」


 全然大丈夫そうには見えなかった。

 なぜか顔が少し赤い。


「その……」


 言葉を探すように視線をさまよわせたあと、ミラ様は意を決したように口を開いた。


「実はすごく緊張してます!」

「え?」


 思わず聞き返すと、隣にいたシルフィアとナイアさんも驚いたようにミラ様を見ていた。


「水公爵家のご令嬢ですよね!?神子候補の!」

「はい」


 ミラ様は、今度はシルフィアを見た。


「風公爵家ですよね!?」

「そうですが……」


 そして、ナイアさんを見る。


「水侯爵家ですよね!?」

「はい」


 ミラ様は両手で頭を抱えた。


「本物だ!やっぱり緊張します!」


 どうやら本当に緊張しているらしい。

 けれど、緊張している人は普通、こんなに勢いよく話しかけてこない気もする。


「ですが、話しかけてくださいました」

「それは好奇心が勝ちました!」


 即答だった。

 なるほど。そういう人なのかもしれない。


 シルフィアが小さく笑う。


「面白い方ですね」

「よく言われます!」


 誇らしげだった。褒め言葉なのだろうか。


「それで、ご用件は何でしょう?」

「あ、そうでした!」


 ミラ様は我に返ったように頷く。


「皆さん、学院を探検しませんか?」

「探検ですか?」

「はい!」


 元気よく頷いた。


「学院って広いじゃないですか!」


 それは確かにそうだ。

 まだまだ知らない場所の方が多い。


「図書館も温室も見てませんよね?」

「見ていません」

「ですよね!」


 なぜか嬉しそうだった。


「なので行きましょう!」


 どうやら最初から断られるとは思っていなかったらしい。

 私はシルフィアとナイアさんを見た。


「少し興味があります」

「私もです」


 二人とも頷いた。


 こうして私たちは学院を探検することになった。

 迎えに来てくれたテオや護衛騎士たちは、静かに後ろから付いてきていた。


 最初に向かったのは中央広場だった。

 中央には巨大な噴水があり、その向こうには白い光神像がそびえていた。


 私は像を見上げた。


「大きいですね。入学祝典の日は人が多くて見えませんでした」

「夜は魔道灯で照らされるみたいです!」

「詳しいのですね」

「昨日探検しました!」


 どうやら既に一度探検済みらしい。

 行動力がすごい。


 続いて向かったのは学院大聖堂だった。

 白い石造りの壮麗な建物。光神大聖堂を思わせる荘厳な造りだった。


「毎朝こちらで朝の祈りが行われています」


 ナイアさんが教えてくれた。


「全員参加なのですか?」

「自由参加です」


 その答えを聞いて安心した。毎朝早起きするのは無理だ。


「次はこちらです!」


 ミラ様が案内した先には、ガラス張りの大きな建物があった。


「温室です!」


 中へ入ると、外よりも暖かな空気が頬に触れた。

 色とりどりの花の間には、見覚えのない植物や薬草らしいものまで植えられている。


「綺麗ですね」

「私、ここ好きです!」


 ミラ様は花の間を覗き込みながら、昨日見つけたという珍しい植物を次々に教えてくれた。シルフィアも風領では見かけない花を見つけたらしく、いつの間にか二人で奥へ進んでいる。


 私も後を追いながら、薬草の札を覗き込んだり、見たことのない花に足を止めたりしていた。


 温室を一通り見て回った後、私たちは再び外へ出た。


「……今、学院のどの辺りにいるのでしょう」

「ルシア様?」


 ナイアさんがこちらを見る。


「ここから学び舎へ戻れと言われても、自信がありません」

「……ルシア様らしいですわ」


 失礼な。


「やっぱり」


 テオの声が少し離れたところから聞こえた。


「聞こえていますよ」


 そう指摘をすると、テオはバツの悪そうな顔をした。


 最後に向かったのは図書館だった。

 石造りの巨大な建物。中へ入ると、本の匂いがした。


「すごい……」


 思わず声が漏れる。

 高い本棚がどこまでも続いている。

 何万冊あるのだろう。皇都で見た図書館と同じくらい広かった。


 本棚の間を歩いていると、勉強している生徒の姿もちらほら見えた。


「あ」


 シルフィアが小さく声を上げた。

 視線の先では、亜麻色の髪を二つの三つ編みにまとめた少女が、窓際の席で本を読んでいた。


 エリス様だ。


 机の上には分厚い本が何冊も積まれている。

 こちらに気づいたのか、丸眼鏡の奥の瞳が私たちへ向いた。


「こんにちは」

「こんにちは!」


 初めてお会いした時同様、とても元気な声だった。


「何を読んでいらっしゃるんですか?」

「建国神話と創世神話です!」

「両方ですか?」

「はい!建国神話と創世神話は混同されがちですが、実は別物なんです!」

「違うのですか?」

「全然違います! 創世神話は世界と六柱の神々についてのお話で、建国神話はルミナリア皇国ができるまでのお話です。成立した時代も――」


 そこから先は止まらなかった。


 机の上の本を一冊開いたかと思えば、すぐに別の本まで引き寄せる。


「こちらの記述では――」


 目を輝かせて本を見せてくる姿が、以前会ったオットー所長と妙に重なった。


 熱心に話すエリス様を見ていると、ふとその向こうに黒髪の少女が目に入った。

 セレネ殿下だった。


 周囲の席だけが、不自然なくらい空いていた。

 セレネ殿下は本から顔を上げることなく、静かに頁をめくっている。

 何を読んでいるのだろう。


「それでですね、この二つが混同されるようになったのは――」

「あ、はい」


 エリス様の声に、私は慌ててそちらへ向き直った。


 やがて、大聖堂から夕方の鐘の音が聞こえてきた。


「もうそんな時間ですか」


 気付けば空は赤く染まり始めていた。

 私たちはエリス様と別れ、図書館を後にする。


「楽しかったです!」


 寄宿舎へ戻る道中、ミラ様は満足そうだった。


「学院は思っていたより広いですね」

「まだ研究棟も訓練場もありますよ!」

「まだあるのですか」

「あります!」


 ずいぶん力強い返事だった。

 けれど、ミラ様はそこで少し視線を落とした。


「あと、その……」

「はい?」

「ミラ様はやめてください」


 ミラ様は言い切ると、私の返事を待つようにこちらを見た。


「ですが」

「ルシア様たちにそう呼ばれると、ものすごく落ち着かないんです!」

「では、なんとお呼びすれば?」

「ミラさんで!」


 ずいぶん迷いのない返事だった。


「……それなら、私もルシアさんで」

「それは無理です!」


 自分は「様」をやめてほしいのに、私は駄目らしい。

 基準がよく分からない。

 けれど、本人がそう呼んでほしいというのなら仕方がない。


「では、ミラさん」

「はい!」


 ミラさんの顔がぱっと明るくなった。

 シルフィアがくすりと笑う。


「良かったですね、ミラさん」

「はい!」


 昨日までほとんど話したこともなかったのに、今日は一緒に学院中を歩き回っていた。


 学院生活は始まったばかりだ。

 まだ話したことのない人も、行ったことのない場所もたくさんある。


「今度は研究棟ですね!」


 ミラさんが楽しそうに言う。


「その前に、今日通った道を覚えないといけません」

「ルシア様は、まずそこからですね」


 ナイアさんに言われ、私は何も返せなくなった。


 どうやら学院を一通り覚えるまでには、まだ時間がかかりそうだ。


 皆の笑い声を聞きながら、私は寄宿舎への道を歩いていった。


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