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救済の神子はまだ知らない  作者: 染井吉野
学院入学編
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03.思えば学院の昼食も大切な時間のようです


 午前最後の講義が終わると、それまで静かだった講義室が一気に賑やかになった。


 教本を閉じる音に椅子を引く音が重なり、あちらこちらで話し声が上がる。


「ようやく昼食ね」


 シルフィアが小さく息を吐いた。


「学院の食堂、楽しみにしていたの」

「私も少し気になります」


 朝は寄宿舎の食堂で食べたけれど、学院の食堂はまた違うのだろうか。


「ルシア様」


 聞き慣れた声がした。

 振り向くと、深い青色の髪を真珠の髪飾りでまとめた少女がいた。

 水面を思わせる青い瞳が穏やかに細められる。


「ナイアさん」


 ナイア・アクアヴェール。

 水侯爵家の嫡女で、領内の行事や父上同士の会談の折には、何度も顔を合わせてきた相手だった。


「昼食へ行かれるのでしょう?私もご一緒してよろしいですか?」

「もちろんです」


 昨日の入学祝典でも顔を合わせ、同じ組になったことを喜んだばかりだ。

 ナイアさんは私の隣にいるシルフィアへ視線を向けた。


「昨日はゆっくりご挨拶できませんでしたね。ナイア・アクアヴェールと申します」

「シルフィア・ストラトヴェインです。お会いできて嬉しく思います」


 二人は丁寧に挨拶を交わした。


「ルシア様は、昨日から迷われませんでしたか?」

「迷っていません」

「まだ一日目ですものね」

「ナイアさんまで……」


 私が不満そうに言うと、ナイアさんは楽しそうに笑った。


 三人で講義室を出る。


「お二人は以前から親しいのですね」

 

 シルフィアが目を細める。


「同じ水領で育ちましたから」


 私が答えると、ナイアさんも頷いた。

 水公爵家を中心に、水属性の貴族たちが治める一帯を水領と呼ぶ。ナイアさんの家も、その一つだ。


 上級貴族食堂は学び舎の傍にあった。


 中へ足を踏み入れた瞬間、思わず周囲を見回す。


 高い天井に、大きな窓。磨き上げられた床。

 食堂というより、小さな宮廷の食事会場のようだった。


「想像以上ですね」

「ええ」


 シルフィアも頷いた。


 食堂の中では、生徒たちが思い思いの席へ向かっている。

 決められた席はないらしい。


 私たちは窓際の空いている卓を選び、向かい合って腰を下ろした。

 ほどなくして、給仕が昼食を運んでくる。


 白身魚の香草バター焼きに、春野菜のスープ。焼きたての白パンからは、まだ温かな湯気が立っていた。


「美味しそう」


 シルフィアは目を輝かせながら、さっそく魚を口に運んだ。


「あ、このバター、風領のものかも」

「分かるの?」

「たぶん。家で食べるものと似ているもの」


 私も魚を口に運んでみた。

 香草の香りと、少し塩気のあるバターがよく合っている。


「お魚は水領のものだったりして」

「それは私にも分かりません」


 そう答えると、シルフィアが笑った。


 料理を味わいながら話しているうちに、シルフィアがナイアさんへ顔を向けた。


「水領でも、ルシアはよくあちこち見て回っていたのですか?」

「ええ。町へ出るたび、なかなか先へ進みませんでしたわ」

「どうして?」

「市場でも、井戸でも、職人の仕事でも。気になるものを見つけると、すぐ足を止めるのですもの」

「ふふ。やっぱりルシアね」

「ナイアさん」

「事実でしょう?」


 二人が顔を見合わせて笑う。


 なんだか私の話で意気投合している。

 気恥ずかしいような、少し居心地の悪いような。


 そんな中、近くの席から会話が聞こえてきた。


「セレネ様をご覧になりましたか?」

「ノクティス王国の王女ですよね」

「ええ」


 セレネ・ノクス・レギナ殿下。

 今朝、第一組で名乗っていたノクティス王国の王女だ。


「邪神を信仰しているのでしょう?」

「少し怖いです……」

「闇魔法を使うのかしら」

「分かりませんわ」


 周囲の席でも、似たような話題が聞こえていた。


「皆さん、気になるのですね」


 私がそう呟くと、ナイアさんは少し不思議そうにこちらを見た。


「そうですね」

「五十年前までは敵国だった国だからでしょうか?」


 長く争ってきた国なのだから、警戒するのも無理はないのかもしれない。


「それもあると思います。ですが、あの国は邪神を崇めておりますから」


 あまりにも自然な口調だった。

 まるで、空は青いと言うのと同じくらい当たり前のように。


 その言葉が、少しだけ引っかかった。


 ルミナリア皇国では光神を崇め、ノクティス王国では邪神である闇神を崇めている。

 私も、幼い頃からそう教わってきた。


 それでも、まだ言葉を交わしたことすらない相手を、信じている神が違うというだけで怖がるのは少し不思議だった。


 その時、食堂に長い黒髪を腰まで流した少女が入ってきた。

 今しがた話題に上っていたノクティス王国の王女、セレネ・ノクス・レギナ殿下だ。

 食堂の入口には、ノクティスの装いをした侍女と護衛が控えていた。


 周囲の会話が、ぴたりと止まる。

 先ほどまで聞こえていた囁き声も消えた。


 セレネ殿下は表情を変えない。

 誰も近寄らない中、一人で食堂の隅へ向かっていく。


 慣れているのだろうか。

 それとも、気にしていないだけなのだろうか。


 私には分からなかった。


 そんな彼女の姿を見つめていると、長い黒髪の隙間から覗く紫の瞳が、ふとこちらを向いた。


 けれど彼女はすぐに視線を逸らし、静かに席へ着いた。


 皇国とは違う国で育った王女は、どのようなことを考えているのだろう。


 まだ一度も言葉を交わしていない。

 けれど、いつか話してみたいと思った。


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