02.どう見ても上級貴族ばかりのようです
学院へ入舎した翌朝。
「おはようございます、ルシア様」
「おはようございます」
侍女室から、ミーナたちがやって来た。
朝の支度を整えながら、ミーナは今日の予定を確認してくれた。
「本日は第一組での説明の後、神話学の授業がございます」
「神話学ですか」
私は少し考えた。神話は嫌いではない。
ただ、前世の記憶を持つ私にとって、神話とは少し不思議なものだった。
神々が本当に存在するのか、私には分からない。
それでも、遠い昔から人々が語り継いできたことには、何か理由があるのだろう。
身支度を終え、寄宿舎の食堂で朝食を済ませると、テオと護衛騎士がやってきた。
寄宿舎を出て、第一学年の学び舎へ向かう。
「神子候補だ……」
「水公爵家のご息女だ」
どこからか声が聞こえてきた。
敷地内では、他の学年の人ともすれ違う。
私は第一学年第一組の講義室へ向かった。
講義室の前で、テオとミーナとはいったん別れる。
「授業が終わったら迎えに来ます」
「テオも授業があるのでは?」
「終わったら来ます。ルシア様、一人だと迷いそうですし」
「迷いません」
胸を張るテオを見て、少し笑ってしまった。
第一組の講義室はすでに賑わっていた。
大きな窓から朝の光が差し込み、その下には机が整然と並んでいた。
貴族子女たちが思い思いに会話をしている。
「ルシアおはよう!」
聞きなれた声がした。シルフィアだった。
「シルフィア、おはよう」
「今日から授業ね、楽しみだわ」
「ええ」
私は講義室にいる人々を眺めた。見知った顔が何人かいる。
きょろきょろする私にシルフィアは声をかけた。
「やっぱり第一組ね」
「?」
「上級貴族の子は第一組になることが多いのよ。皇族もいるから、護衛や警備の都合もあるみたい」
私は改めて講義室を見回した。
アルヴィン殿下、四大公爵家や侯爵家の子弟たち。
確かにそういわれると納得だった。
アルヴィン殿下を見ると、ちょうど目が合った。
にこりと微笑まれたので、私も微笑み返す。
「ルシア様、おはようございます」
「おはようございます、アルヴィン殿下」
座る席は自由で良いみたいだ。
シルフィアの隣が空いていたので、そこへ座ることにした。
反対隣には、アルヴィン殿下が座っている。
その時だった。
「おや」
聞き覚えのある声がした。
黒髪の少年がこちらを見ている。
火公爵家三男の、ユリウス・イグニスフェル様だった。
「ユリウス様」
「祝賀会以来ですね」
「ええ。その節はありがとうございました」
「こちらこそ。やはり同じ組でしたか」
「ご存じだったのですか?」
「おそらくそうなると思っていました。これで退屈せずに済みそうです」
穏やかに微笑み、ユリウス様は窓際の席に座った。
なんだかマイペースそうな人だ。
さらに一人の少女が駆け寄ってきた。
亜麻色の髪に、大きな瞳と丸眼鏡。髪には光神を象った小さな飾りを付けていた。
「ルシア様ですよね!?」
近い。
少し近い。
「はい」
「やっぱり!」
少女は嬉しそうに頷いた。
「私、エリス・ヴェルナーです!」
「ルシア・アクエリアです」
「知ってます!」
即答だった。
その勢いに少し押される。
「父から、ルシア様のお話を伺っています!」
エリス様のその言葉に首を傾げる。
「父は、神話研究所所長のオットー・ヴェルナーです!」
「あ、あの時の……」
光神大聖堂で、神子候補認定の時にお世話になった大司教兼所長の男性だ。
エリス様は、オットー所長の養女だと聞いている。
なるほど、勢いがよく似ている。
「こちらこそお世話になりました」
「私、神話が大好きなんです!」
「そうなのですね」
「神子候補のルシア様に、ずっとお会いしたかったんです!」
どう返せばいいのだろう。
ちょうどその時、一人の男性が講義室に入ってきた。
三十代前半ほどの若い教師だった。
生徒たちは話をやめ、それぞれ自分の席へ戻っていった。
エリス様も名残惜しそうに私から離れ、少し後ろの席へ向かう。
「おはようございます」
落ち着いた声が響く。
「私が第一組の主任を務めるクラウス・アルセインです」
生徒たちが姿勢を正した。
「本日より諸君の学院生活を預かります」
クラウス先生は講義室を見渡した。
「この学院には様々な立場の者がおります。皇子、公爵家、侯爵家、高位聖職者の縁者、有力家門の子弟。しかし講義室にいる間は皆、生徒です」
穏やかな口調だった。
けれど自然と耳を傾けたくなる。
「互いを尊重し、共に学びなさい」
その後、講義予定や学院内の説明が行われた。
続いて生徒たちの簡単な自己紹介が行われた。
アルヴィン殿下。ユリウス様。エリス様。シルフィア。
聞き覚えのある名前が続いていく。
私も立ち上がった。
「ルシア・アクエリアです。よろしくお願いいたします」
短く名乗ると、拍手が起きた。
「では本日の最初の授業は神話学です。担当教師をお呼びします」
クラウス先生と入れ替わるようにして、一人の老教師が入室した。
細い銀縁の眼鏡越しに生徒たちを眺め、神話学を担当すると名乗った。
机の上に神話学の教本と筆記帳、インク壺、羽ペンを並べる。
「本日は最初の授業です」
教師はゆっくりと教壇へ立つ。
「まず諸君に問います。神話から学ぶべきことは何でしょう」
……いきなり難しそうな質問をされた。
生徒たちが顔を見合わせる。
教師は最前列へ視線を向けた。
「アルヴィン殿下」
アルヴィン殿下が立ち上がる。
「先人の歩みです」
迷いのない声だった。
「神話には史実と異なる部分もあるでしょう。しかし、その時代を生きた人々が何を成し、何を残そうとしたのかを知ることは、後の世を担う者にとって重要だと思います」
「うむ」
教師は頷いた。
さすが皇子というべきなのだろうか。私には思いつかなかった答えだった。
「シルフィア嬢」
今度はシルフィアだった。
「人を思いやる心だと思います」
柔らかな声が響く。
「神話の英雄は強いだけじゃありません。困っている人を助けたり、大切な人を守ったりしています。だから語り継がれているのだと思います」
「なるほど」
先生は満足そうに頷いた。
シルフィアらしい、優しい意見だった。
「他にはどうだ」
「はい!」
勢いよく手が上がった。エリス様だった。
「では、エリス嬢」
「神々への感謝です!」
元気な声だった。
「私たちは光や水や大地の恵みを受けています。そのことを忘れないために神話があると思います!」
「なるほど」
教師は微笑む。
「ではユリウス殿」
ユリウス様はゆっくり立ち上がった。
「英雄譚そのものではなく、なぜそれが後世に残されたのか、です」
教師が興味深そうに目を細めた。
「神々や英雄について語られていることが、すべて事実だったとは限りません。人は出来事をそのまま残すとは限りませんから」
ユリウス様は淡々と続ける。
「後から意味を加えたり、都合よく解釈したりもします。人々が何を正しいと考え、何を称賛し、何を戒めようとしたのか。そこに時代の価値観が表れるのだと思います」
「興味深い意見だ」
教師は満足そうに頷いた。
私も思わずユリウス様を見た。
ずいぶん大人びた考え方をする人だ。
けれど本人は何でもないことのように席へ戻った。
「ルシア嬢」
私は立ち上がり、少しだけ考えた。
「私は、人々が何を願ったのかを学ぶためだと思います」
教師が続きを促すように頷く。
「神話がどこまで事実かは分かりません」
何人かがこちらを見る。
「でも、その物語を語り継いだ人たちは、そこに何かを託したのだと思います」
豊かな実り。家族の無事。平和。
神話には、人々が願ってきたものが残っている。
「だから私は、神話から人々の願いを知りたいです」
「なるほど」
教師は静かに頷いた。
「願い、か」
そう呟いてから講義室を見回した。
「諸君の答えはどれも間違いではない。神話学とは、物語の筋書きや神々の名を覚えるだけの学問ではない。そこに託された歴史と価値観を読み解く学問だ」
そうして神話学の授業は進んでいった。
私は教本を開いた。
建国神話の最初の頁には、光神と地水火風の神々が描かれていた。
本当に神々がいるのかは、今の私には分からない。
けれど、この物語を信じ、語り継いできた人々は確かにいた。
その人たちが何を願い、何を残そうとしたのか。
それなら、少し知ってみたいと思う。
私は羽ペンを取り、筆記帳の最初の頁に日付を書き入れた。




