22.久しぶりに穏やかな一日のようです
九歳の終わり。春を目前にしたある日。
学院の長期休暇で帰省していた姉に呼ばれ、屋敷の外に出た。
芝生には柔らかな陽射しが降り注ぎ、噴水の水音が静かに響いていた。
「どこへ行くのですか?」
「魔法の訓練よ」
姉は振り返った。陽の光を受けた淡い水色の髪がきらりと揺れ、穏やかに微笑む。
「ルシアも春から学院に入るのだから、少し見てあげようと思って」
「ありがとうございます」
私は嬉しくなった。
姉は優しい。忙しくて一緒に過ごせる時間は少ないけれど、昔からずっと優しかった。
「まずはいつも通りやってみて」
「はい」
私は水球を作った。目の前に直径一メートルほどの水の塊ができあがる。
「動かすことはできる?」
姉が的を指差した。
私は水球が動くように念じた。すると、わずかに前へ進んだところで形が崩れ、大量の水が地面に降り注いだ。
「…………」
「疲れはある?」
「いえ、ないです」
姉はゆっくりと頷いた。
「さすがね。話は聞いていたけれど、ルシアは魔力の量が多いんだわ。普通の子なら、その大きさの水球を作るだけで倒れてしまうわ」
姉に褒められ、思わず口元が緩む。
けれど、姉はまっすぐこちらを見据えた。
「でも、魔力が多いだけでは駄目よ」
「?」
「ルシアは大きな力を持っているわ。でも、大きな力は、それだけ責任も大きいのよ」
「責任……?」
「ええ。だから、自分の力をきちんと扱えるようにならなくちゃ」
姉が両手を広げると、空気中に細かな水の粒が広がった。
淡い水色の髪がふわりと揺れる。
指先を動かすたび、水の粒は意思を持つように空を舞った。
「すごいです……」
姉はにこりと微笑むと、次の瞬間には、水の粒が氷の粒になった。
氷の粒は陽の光を受け、小さな宝石のようにきらめいた。
やがて氷の粒は一か所へ集まり、拳ほどの氷塊へと形を変えた。
姉が的へ指先を向ける。
氷塊は勢いよく飛び、的の中央へ命中した。
私は思わず拍手をした。
すごい。こんなに緻密に動かすことができるんだ。
「大きな魔法を使えるだけでは駄目なの。必要な形にして、思った場所へ動かせることも大切よ」
「魔法の制御……苦手です」
全くできる自信がなかった。
「私もルシアの年のころは、こんなふうには動かせなかったわ。それに、ルシアほど大きな水球も作れなかったもの」
「セシリアさんもですか?」
「ええ。ルシアは頑張り屋さんだから、そのうちできるようになるわ」
姉が小さく拳を作る。
「さ、もう一度やってみましょ!」
そのまましばらく二人で訓練を続けた。
そして昼食を終えて一息ついた頃、姉は今度は私を衣装室へ連れて行った。
「魔法の次は、もう一つ大事なことを教えるわ」
部屋に入ると、皇都から招かれた仕立て職人たちがいた。
机の上には色とりどりの布があり、壁にはドレスの見本が飾られていた。
「これは……?」
「学院では魔法だけじゃないわ」
「?」
「同年代の貴族と過ごすのだから、身なりだって大切よ」
私は姉を見つめた。
「つまり……?」
「学院で着るドレスを新調するわよ!」
……逃げたい。
「ルシア様、お立ちください」
「はい……」
職人に促され、私は台の上へ立った。
肩、腕、腰――次々と採寸されていく。
恥ずかしいしくすぐったい。これまでもドレスを仕立てることはあったが、あまり好きではなかった。
「ふふっ」
口をへの字に曲げた私を見て、姉は笑った。
「布はどちらになさいますか?」
職人が見本帳を広げた。
青、白、銀、水色。様々な色の布がある。
どれも綺麗だけれども、種類がありすぎて困る。
「では……これで」
私は一番落ち着いた青色を指した。
職人は頷くが、姉は顔を横に振った。
「だめよ」
「え?」
私は目を瞬かせた。
「地味すぎるわ」
「地味なのは駄目なのでしょうか?」
好みの問題だろうか。姉は派手なのが好きなのだろうか。
「学院では同年代の貴族たちと会うのよ?」
「はい」
「あなたは公爵令嬢なんだから。少しくらい華やかでいいの」
そういう考え方もあるのか。
私は改めて並べられた布へ目を向けた。
姉は淡い銀糸が織り込まれた布を手に取った。
光に当たると、湖面のようにきらきらと輝く。
「綺麗……」
「でしょう?」
セシリアさんが嬉しそうに笑う。
「でも高そうです」
「そこ?」
職人たちも笑った。
「贅沢するよりも、他のことにお金を充てたいです」
給水所で見た人たちの顔や身なりが、ふと頭をよぎった。
学校を建てるにも、お金は必要だった。
こんなに綺麗な布を見ると、なんだか落ち着かない。
贅沢をする気は起きなかった。
「ルシア……」
姉は私の肩に手を置いた。
「他のことに使いたいという気持ちも分かるわ。でも、公爵令嬢らしく装うことも必要なのよ」
「でも私が着飾っても……」
「服は自分のためだけに着るものではないの。公爵家を代表して人と会うためのものなのよ」
姉は青い瞳で、まっすぐ私を見つめた。
やっぱり私は、公爵令嬢には向いていない気がした。
そっと目を伏せた。
「学院に行けば、少しずつ分かるわ」
「そういうものですか?」
「そういうものよ」
その後、靴や首飾り、髪飾りなどを選び、すべてが終わるころには、日が暮れかかっていた。
窓の外は茜色に染まっている。
「完成が楽しみね」
「はい」
新しい学院生活には不安もあったけれど、少しだけ楽しみになった。
「きっと似合うわ」
「そうでしょうか」
「ええ」
姉は迷わず頷いた。
「だって私の妹だもの」
姉は柔らかく笑った。
その笑顔は、昔から何も変わらない。
私は少し照れくさくなって、窓の外へ視線を逸らした。
開いた窓から春の風が吹き込んだ。
穏やかな一日だった。
春になれば、私も学院へ通う。
セシリアさんが歩いた場所を、今度は私も歩く。
同じ学院へ通えることが、少し嬉しかった。
新しい毎日が、もうすぐ始まる。




