17.それでも家族は変わらないようです
交流会を終えて屋敷へ戻ると、姉と兄も学院から帰ってきていた。
皇都の屋敷は、学院から馬車で一時間ほどの距離にある。
父と私が皇都にいる間は、二人とも学院の寮には戻らず、屋敷から通ってくれている。
部屋へ戻る間もなく、姉に呼ばれた。
姉の部屋には午後の日差しが差し込み、窓辺を柔らかく照らしていた。
「ルシアー!認定おめでとう!!」
声を弾ませた姉が、勢いよく抱きついてきた。
澄んだ湖面のような青い瞳が、すぐ近くできらきらと輝いている。
「セ、セシリアさん」
昔から変わらない。
嬉しいことがあると、姉は距離が近くなる。
「すごいじゃない!本当に神子候補になったのね!」
「まだ候補です」
「それでもよ!こっちに座って!」
姉に促され、寝台へ並んで腰を下ろした。
「認定式はどうだった?」
「水瓶から光が出る、よくわからない現象が起きました」
「また何か起きたの!?ルシアらしいわね!」
姉はとても嬉しそうだった。
「セシリアさんは、私が神子になったら嬉しいですか?」
「そうねぇ。もちろん嬉しいわよ!」
姉は迷う様子もなく、私をまっすぐ見つめた。
「でも、なってもならなくてもどっちでも嬉しい!」
「なんですか、それ」
「ルシアはルシアってことよ!」
よく分からないが、姉が楽しそうなのでまぁいっか。
「そう言えば、今日は交流会だったのよね?」
「はい。エレオノーラ様と、他にも数名お会いしました」
「そうなのね!ルシアもエレオノーラと仲良くなってくれると嬉しいわ!」
姉はぱんっと両手を合わせ、嬉しそうに身を乗り出した。
「セシリアさんは、本当にエレオノーラ様のことが好きなんですね」
「ええ。優しくて頑張り屋さんで、自慢のお友達だわ!」
そう話す姉の顔には、優しい笑みが浮かんでいた。
「でも、最近は神子候補のお仕事が忙しいみたいで、あまり会えていないのよ。元気そうだった?」
「はい。ただ……」
交流会で見たエレオノーラ様の顔を思い出す。
「少し疲れているようにも見えました」
「そう……」
姉は表情を曇らせた。
ほどなくして、夕食の準備が整ったと侍女が知らせに来た。
姉と一緒に食堂へ向かうと、兄はすでに席についていた。
「よ、神子候補さま」
「……からかわないでください」
「偉くなったな」
「なってません」
兄の口元がわずかに緩む。
姉はあんなに喜んでくれたのに、兄はいつもと何も変わらない。
やがて父もやってきて、食事が始まった。
蒼い髪はいつも通りきっちりと撫でつけられている。執務を終えたばかりなのだろうが、疲れた様子は見せなかった。
湯気の立つ料理が並び、銀食器が静かな音を立てる。
「交流会は滞りなく終わったか」
「はい」
父の質問に答えながら料理を口へ運ぶ。
相変わらず教育係は、私がナイフを置く角度まで見逃してくれない。
それでも、皇帝陛下への謁見から始まった皇都での予定も、今日の交流会でひと区切りついた。しばらくは大きな予定もない。そう思うと、今日はいつもより料理の味を楽しむ余裕があった。
料理を口へ運んでいた兄が、何気なく尋ねてきた。
「交流会では何をしたんだ」
「お茶会みたいなもので、ひたすらお喋りをしました」
「大変だな」
「なぜですか?」
「女が集まる」
意味が分からず首を傾げた。
「今失礼なこと言わなかった?」
姉が呆れたように兄を見る。
「事実だ」
「まったくもう」
姉は肩をすくめた。
そんな私たちのやり取りを聞いていた父が、静かに口を開いた。
「今後、教会からの要請は増えるだろう」
「はい」
「無理に応じる必要はない」
それだけ告げると、父は再び食事へ視線を落とした。
◇
「じゃあ俺は先に失礼する」
早々に食べ終えた兄は、席を立った。
「もう戻られるのですか?」
「学院の課題がある」
「いま何を学ばれてるんですか?」
「戦術課題だ」
「戦術?」
「砦防衛の想定演習だ。二百人で砦を守る想定」
「……難しそうです」
「難しい」
公爵家を継ぐ兄には、こういう勉強も必要なのだろう。
私も、もっともっと勉強しないと。
食事を終えたあとも、父と兄の反応が少しだけ気になっていた。
セシリアさんはあんなに喜んでくれたのに、二人とも神子候補になったこと自体にはあまり触れなかった。
むしろ父は、教会からの要請を警戒しているように見えた。
神子候補になるというのは、そんなに大変なことなのだろうか。
私は屋敷の図書室へ向かった。
過去の神子や聖女について書かれた本があるかもしれない。
高い書架の向こう、窓際の机に見慣れた人影があった。
魔道灯の柔らかな光に、灰青色の髪が照らされている。
「あ、アストさん」
「おう」
図書室には、既に兄がいた。
本を脇へ置き、机いっぱいに資料を広げ、紙へ何やら数字を書き込んでいる。
戦術課題を考えているのだろう。
私は兄の向かいに立った。
「……アストさんは、嬉しくないのですか?」
「なにが」
兄は紙から視線を外さない。
けれど、さっきまで迷いなく動いていたペン先が、ほんの少しだけ遅くなった。
「私、神子候補になりました」
「別に、なんとも」
「そうですか……」
さらさらとペンの走る音が戻る。
「面倒なものを背負わされたな、とは思う」
「面倒ですか」
「教会も皇族も、お前を放っておかなくなる」
兄の眉間に、わずかに皺が寄った。
「だから嫌なんだ」
兄は短く息を吐いた。
「神子候補でも神子でも、お前は変わらないだろ」
「けど、神子ですよ?」
「だから何だ」
「神子は、人々や世界を救うんですよね?」
返事はすぐには返ってこなかった。
兄は何かを書き込みながら、わずかに唇を引き結んだ。
「そうらしいな」
「なら、なれたほうがいいですよね」
そう言うと、兄の手が止まった。
「……誰にとってだ」
低い声だった。
「え?」
「いや」
兄はようやく紙から視線を上げた。
「お前はなりたいのか」
藍色の瞳がまっすぐ私を見る。
普段はどこか気だるげなその目が、この時だけは妙に真剣だった。
「……分かりません」
神子になりたいのかと聞かれると、よく分からない。
そもそも、神子がどういうものなのかも、まだよく分かっていない。
「でも、人を救えるなら。それは良いことじゃないですか」
私は当たり前のことを言ったつもりだった。
けれど、兄の眉がわずかに寄った。
すぐには何も言わず、しばらく私を見ている。
「お前は……」
そこで言葉が途切れた。
「?」
兄は口を開きかけたものの、何も言わず、手の中のペンを一度転がした。
兄がこんなふうに言葉を探すのは珍しい。
「自分のことは考えないのか」
「自分……ですか?」
私は首を傾げた。
兄はしばらく私を見ていた。
やがて、小さく息を吐く。
「……いや、忘れろ」
再び紙へ視線を戻す。
けれど、すぐにはペンを動かさなかった。
「無理はするなよ」
「?」
「回収するのが面倒だ」
「私、落とし物ですか」
兄は答えなかった。
再び紙に向かい、何やら数字を書き始める。
アストさんは何を心配しているのだろう。
神子になることと、自分のことを考えることに、どんな関係があるのだろう。
誰かを助けられるのなら、それは良いことのはずなのに。




