14.せっかちな教会に呼ばれました
皇子たちとのお出かけから翌日。
姉と兄は学院で授業を受けている。
私はというと、父に連れられて光神大聖堂へ向かっていた。
地水火風の神々を統べる光神を祀る、教会の総本山。この国最大の大聖堂である。
どうやら、私を神子候補として迎えたいらしい。
父はこれまで、私を教会の神子候補として扱わせることに反対していた。
けれど、領内だけでなく皇都でも私の噂は広がり、教会からの正式な申し入れまで無視し続けるのは難しくなったらしい。
本当は公爵領に帰りたい。
水務局で見たことを整理して、水問題や給水士養成学校について考えたいのに。
水公爵領で試したいことが、たくさんある。
――皇都の郊外に、大聖堂を中心とした広大な区画があった。大聖堂区と呼ぶらしい。
周囲を高い石壁が囲んでいる。門をくぐると、そこはもう一つの街だった。
水公爵家の本邸よりずっと大きい。
司祭や修道士、たくさんの巡礼者や信徒たちが行き交い、鐘の音が響いている。
大聖堂は、眩しいほど白い石で造られていた。
屋根には、無数の尖塔が並んでいる。
中心には、ひときわ高い塔が天を突いていた。
「あれが光神の塔です」
出迎えてくれた司祭が、そう教えてくれた。
周囲には、地・水・火・風を象徴する四塔が建っているらしい。
正面には大聖堂が構えているが、まず案内されたのは、傍にある聖職者の執務棟だった。
入口では、白髪交じりの初老の男性が出迎えてくれる。
「ようこそお越しくださいました、水公爵閣下。ルシア様」
父は短く礼を返した。いつもより、少し表情が硬い。いつも硬いけど。
男性は、大聖堂区を束ねる総大司教だと名乗った。
教会の実務を取り仕切る、教皇の右腕とも呼ばれる人物らしい。
彼の表情に笑みはあった。しかし、その視線だけは少しも揺るがない。
私ではなく、神子候補としての私を見定めているようだった。
応接室に通され、目の前にお茶を出される。
父の護衛騎士達は廊下で待機することになった。
「ルシア様は、初めて皇都にいらしたのでしたな。皇都はいかがでしたか」
「とても勉強になりました。皇子殿下方に皇都をご案内いただきましたが、どこも活気に満ちていて驚きました。領地とは違う課題や工夫も多く、大変興味深かったです」
頭の隅に教育係を浮かべながら、受け答えをする。このような答えで良いだろうか。
父を横目に見ると、小さく頷いていた。よかった。
総大司教は、私の返答を聞くと、ゆっくりと頷いた。
「神子候補認定についてお話しする前に、大聖堂をご覧になりますか」
「必要がありますか」
間を置かず、父が問い返した。
「今後、ルシア様に関わる場所となる可能性があります。何も知らぬまま話を進めるより、ご覧いただいた方がよいでしょう」
しばらく返事はなかったが、やがて小さく息を吐く。
「……分かりました」
総大司教は、傍に控えていた案内役に声をかけた。
「ヴェルナー大司教を」
そして案内役は、生真面目そうな細身の男性を連れてきた。
眼鏡をかけており、なにやら古い本を抱えている。
「神話研究所所長、大司教のオットー・ヴェルナーでございます」
私と目が合った瞬間、その目がわずかに輝いた気がした。
まるで珍しい資料でも見つけたような視線に、私は思わず首を傾げる。
神話研究所の所長なのだから、珍しいものには目がない人なのかもしれない。
なんだか珍獣扱いされているみたいで居心地が悪い。
ここからは総大司教ではなく、所長が案内してくれるようだった。
まずは大聖堂区の正面に構える大聖堂を拝見した。
とても高い天井に、巨大な礼拝空間。光神像と、五属性の紋章。
ステンドグラスには、光神と四属性の神々と、威厳のある男女が描かれている。
祈りを捧げる人々の声は小さく、広い礼拝堂には静かな空気が満ちていた。
「あれは誰ですか?」
私はステンドグラスを指差した。
「建国神話に登場する初代皇帝と、光神の祝福を受けた乙女とされています」
所長が嬉しそうに説明する。
「神子ですか?」
「後世の解釈では、そう呼ばれることもあります」
「神話には、さまざまな解釈があるのでしょうか」
「そうですね。時代を経て変わっていくこともあります」
前世の宗教でもいろいろな宗派や考え方があったし、この世界の宗教も一つの真実があるわけではないのだろう。
祈りを捧げる信徒たちを背にし、次に神話研究所を訪れた。
大聖堂区内の一角にある、石造りの静かな建物だ。
天井まで届く書架には古い書物が隙間なく並び、机では研究員たちが静かに羽根ペンを走らせている。
「こんなにたくさん、何を調べているのですか」
「神話、聖人伝、過去の神子や聖女達、聖遺物、古代の記録です」
「神話は、どこまで本当なのですか」
「それを調べるのが、我々の仕事です」
次に、研究所の地下の聖遺物庫を案内された。
重く厳重な扉は、複数の鍵がかけられていた。
所長だけでは開けられず、保管担当の司祭も立ち会う。
窓のない石室には魔導灯だけが灯り、静寂が満ちている。
聖遺物は一つ一つ箱に納められ、厳重に封印されていた。
初代司祭の聖杖、五色の聖杯、古い祭具など。
所長は淡々と説明しようとするが、だんだんと熱が入り、説明が早口になる。
「こちらは第三代教皇の祭具とされます。ただし年代測定では――」
父が咳払いをする。
「――失礼しました」
どうやら熱が入ると周りが見えなくなる研究者のようだった。
「伝承と記録が違うこともあるのですか」
「あります。ですから、調べるのです」
所長は眼鏡を押し上げた。
「次に、こちらは聖女の首飾りでございます」
「聖女と神子は違うのですか?」
「明確な定義はありません」
私が興味を示すと、所長は嬉しそうに解説してくれた。
「後世の記録では、強い治癒の力を持つ方を聖女と呼ぶことが多いですね。神子はさらに特別な存在として扱われますが、時代によって解釈が異なります」
「聖女や神子はたくさんいるのですか?」
「聖女と呼ばれる方は、各時代に数人から数十人ほどいます。ただし、神子は数百年に一人の存在だとされています」
なるほど。だから領内で癒しの力を使った私は、「水の聖女」と呼ばれるようになったのか。
「こちらは、聖泉の水瓶と呼ばれております」
銀白色の小さな水瓶の中には、透明な水があった。
「どれだけ汲んでも水が尽きることがありません。五百年ほど前の神子が、干ばつの際、人々を救った時に用いたと伝えられる聖遺物です」
私は思わず眉を顰めた。そんな不思議な物が存在するのか。
「本当に減らないのですか?」
「記録上、枯れたことはありません」
「どういう仕組みなのですか」
所長が少し困ったように笑った。
「分からないから研究しているのです」
所長は水瓶へ視線を向けたまま続ける。
「昔は神の御業とされていましたが、近年は魔道具に近い構造があることが分かりました。ただし、まだ一般の方にはそのような情報は伝えていません」
「なぜですか?」
「まだ不確かなことですし、魔道具とするのは不敬だと考える聖職者たちもいるからです」
どのような仕組みになっているのだろう。
私は観察するために、水瓶に一歩近づいた。
「ルシア」
「見るだけです」
父に注意されたが、少し近づいてみた。
すると、水瓶の水面がほんの少し揺れた。
誰も触れていないのに、淡く光が走る。
所長は水瓶と私を何度も見比べた。
眼鏡の奥の瞳が、先ほどまでとは比べものにならないほど強く輝いていた。
「……今のは」
「見間違いでしょう」
父が間髪入れずに言葉を重ねた。
所長は口を開きかけて閉じた。
だが、その視線だけは何かを確かめるように、いつまでも私から離れなかった。
その他、敷地内を散策した。
中には入らなかったものの、敷地内には大聖堂の他にも、様々な施設があった。
図書館、修道院や孤児院、神学校、施療院、巡礼者用の宿舎など。
案内が終わり、応接室へ戻ると、さきほどの総大司教が待っていた。
窓から差し込む午後の日差しは、先ほどより少し傾いていた。
「どうでしたかな」
「不思議な聖遺物がたくさんあり、とても面白かったです。聖堂区内も一つの街のようで、見ていて楽しかったです」
総大司教は小さく頷いた。
「それは何よりです。この通り、教会では神話や聖遺物の調査を続けております」
その口調は終始落ち着いていた。
「神子とは、ただ奇跡を起こす者ではありません。その存在が国や教会、時には民衆にまで大きな影響を与えます」
父の眉がわずかに寄る。
「だからこそ教会は、神子候補を正式に記録し、保護する責務があります」
「保護ですか」
「はい。力ある者は称賛される一方で、恐れられもします」
総大司教は、背筋をまっすぐ伸ばしたまま両手を組む。指先はほとんど動かない。
落ち着いた声には一切の迷いがなく、一つ一つ言葉を積み重ねるように話した。
「教会が正式に神子候補として認定することで、その存在に責任を持つことができるのです」
父はわずかに顎を上げた。表情は変わらない。
けれど、その低い声だけがわずかに重くなる。
「娘はまだ幼い。神子候補という名がどれほど重いか、分かっておいでか」
総大司教はゆっくりと頷いた。
「だからこそ、教会が責任を持って保護し、記録しなければなりません」
「保護とは聞こえが良い。娘を教会に置くという意味ですか」
総大司教は、組んでいた指をわずかに解いた。
「いいえ。少なくとも現時点では、水公爵家から離すつもりはありません」
よかった。まだ公爵領でやりたいことがたくさんある。
「あの」
私は横から口を挟んだ。膝の上で手を握り締める。
「神子候補になれば、私の生活は何が変わるのですか?」
「大きく変えるつもりはありません」
その回答に胸を撫でおろす。
「ただ、定期的に教会へ報告をいただきたいのです。どのような奇跡が起きたか。体調に変化はないか。力がどのように現れるのか」
「記録するためですか?」
思わず首を傾げた。
「それもあります。過去の神子に関する記録は極めて少ない。だからこそ、後世へ残さなければなりません」
総大司教の声が、わずかに低くなった。
「そして、もしルシア様の力が人々を救う可能性を持つなら、その力を正しく理解する必要があります」
横を見ると、父の表情は固いままだった。
「閣下。認定を拒み続ければ、かえって噂を呼びます」
総大司教はまっすぐ父を見据えた。
「水公爵家が神子を隠している。教会から遠ざけている。そう考える者も出るでしょう。教会が正式に候補として扱えば、少なくとも無責任な噂は抑えられます」
二人とも声を荒らげることはなかった。
それでも、部屋は少しずつ静まり返っていく。
窓の外から聞こえる鐘の音だけが、やけに大きく響いている。
私は無意識に唇を噛みしめた。
「教会が娘を管理しやすくなるだけでは」
低い声が、静かな応接室に落ちた。
「教会が管理しやすくなるというご指摘も、その通りです」
否定しないんだ。
「しかし、力ある者を放置すれば、教会だけでなく国家も混乱します。だからこそ、我々には正しく把握し、記録し、守る責任があります」
言葉が途切れ、応接室に沈黙が落ちた。
父はしばらく総大司教を見据えていた。
やがて、その視線が私へ向く。
私の考えを聞こうとしているのだと分かった。
父はいつだって私を守ろうとしてくれる。
それでも今は、私自身がどうしたいのかを知ろうとしていた。
神子候補と呼ばれることには、まだ慣れていない。
正式に認定されると言われても、いまひとつ実感が湧かなかった。
そもそも神子が何なのかも、まだよく分かっていない。
教会にも思惑はある。
だけど、私にできることがあるのなら――断る理由はないように思えた。
私は大きく一呼吸つき、父を見据えた。
「私に何ができるのかは分かりません。でも、もし私にもできることがあるのなら、協力したいです」
父は一度目を閉じ、深く息を吐いた。
それから、静かに口を開く。
「……あくまでも、助力という形です。公爵家からは出しません」
「ありがとうございます。教会も、水公爵家のお考えを尊重いたします」
総大司教が一礼すると、窓の外から大聖堂の鐘が静かに鳴り響いた。
張り詰めていた空気はゆっくりとほどけ、午後の柔らかな陽光が応接室を静かに照らしていた。
「本日すぐに認定するものではありません。正式な儀は後日、日を改めて行います」
こうして私は、神子候補認定の話を受け入れることになった。
神託も、神子も、今日見た聖遺物も、分からないことばかりだ。
神子候補と言われても、まだよく分からない。
どうして私なのだろう、とは思う。
それでも、誰かが私に何かを期待してくれているのなら、それは嬉しいことだった。
その期待に応えることで、少しでも誰かの役に立ちたいと思う。




