10.なぜか皇族とお茶会をしているようです
この間、九歳になった。
街道沿いには春の花が咲き始め、若葉をまとった木々が柔らかな風に揺れていた。
父は、給水士養成学校について皇帝陛下へ話を通しておく必要があると言って、私を皇都へ連れてきた。
てっきり私はその付き添いなのだと思っていた。
けれど、道中ずっと教育係から皇子殿下や皇女殿下との受け答えを叩き込まれているあたり、父には別の目的もあるらしい。
皇族が統治する皇都は、公爵領から馬車で五日間ほど。
日が傾いてからも少しだけ進み、光魔法や火魔法で街道を照らしながら、その日の宿泊地を目指した。
途中に訪れる町では、宿屋に泊まれるかと期待していたけれども、公爵家の別邸か、その土地の領主の館に滞在させてもらった。
冒険者たちが集う宿屋、一度見てみたかった。
皇都に到着してからは、皇都の別邸で一泊した。
別邸と言えど、皇都で貴族達との交流に使われる屋敷だからか、とても広く豪勢な造りをしていた。
学院が近いようで、姉と兄も週末の休みを利用して帰ってきてくれた。
お母様はいないけれど、父と姉と兄が同じ食卓を囲むのは久しぶりだった。
明日は家族総出で皇宮に向かう。
「皇子殿下に、皇女殿下……」
この国で一番偉い方の子供たちだと思うと、緊張してきた……。
屋敷の夕食は、いつも以上に教育係の指導が入った。
馬車の中でも延々と皇子との受け答えについて教えられていたので、頭が破裂しそう。
「お前、そんなんで大丈夫かよ」
向かいに座る兄が、呆れたように私を見た。
どうやら、さっきから何度も食器を持ち直しているのを見られていたらしい。
「ルシアは可愛いのだから、多少失敗しても大丈夫よ!」
姉は励ますように微笑んでくれた。
「うぅ……失敗前提で話されてる……」
慰めてくれているのは分かるけれど、あまり安心できない。
翌朝。
窓を開けると、春の柔らかな風が部屋へ流れ込み、庭に咲く花々が朝日に照らされていた。
薬草を浮かべた香りのよい湯で身を清めたあと、私は皇宮へ参るための正装に袖を通した。
七歳の祝賀儀式の時も着飾ったけれど、今日はそれ以上だった。
髪には真珠が幾筋にも編み込まれ、淡い水色のドレスには銀糸が繊細な水紋を描いている。
公爵家の紋章も袖口や胸元、腰帯へさりげなく織り込まれ、鏡に映る私は、いつもの自分とは別人のようだった。
教育係は朝からずっと私の周りを飛び回っていた。
「ルシア様、姿勢!」
「ドレスを踏まないでください」
「いいですか、皇太子殿下の前では――」
まだ続くの……?
皇子たちに会う前から、げっそりとした。
ただ、鏡の前には、見慣れない少女が立っていた。まるでどこかのお姫様のようだった。
……これから、本物のお姫様にも会うのだけれども……。緊張で胃が痛くなってきた。
屋敷から馬車で三十分ほど。皇宮に到着した。
馬車の窓から見える皇宮の庭園では、色とりどりの花が咲き、噴水の周りでは白い花びらが春風に舞っていた。
馬車が皇宮の正門を通ると、衛兵たちは公爵家の紋章を見て敬礼した。
「水公爵閣下、ご到着です」
皇宮の門は、公爵領の城門よりも遥かに大きかった。
白い石造りの壁がどこまでも続いている。
「ようこそお越しくださいました、水公爵閣下」
「セシリア様、アスト様、ルシア様、どうぞこちらへ」
皇宮の侍従は、姉や兄だけでなく私にも丁寧に頭を下げた。
最近はこういうことが増えた気がする。
七歳の頃に魔法属性を鑑定してから、周囲の目が少しずつ変わっていた。
「お疲れでしょう。まずはこちらでお休みください」
使用人に、客室へ案内された。皇子たちに会う前の控室のようだ。
用意されたお茶に口をつける。
まだ皇子たちはいないのに、緊張で手が震えている。
そんな私を見て、姉が小さく笑った。
「そんなに固くならなくても大丈夫よ」
そうも言ってられない。
客室では、教育係が私の最終点検をしている。
「ルシア様、姿勢が崩れていますよ!」
「はいぃ」
既に泣きそう。
しばらくすると、扉が静かに叩かれた。
「水公爵閣下、陛下がお待ちでございます」
いよいよだ。
私は膝の上で握っていた手をそっと開いた。
父に続いて客室を出る。磨き上げられた床を踏み、侍従の案内で長い回廊を進んでいくうちに、せっかく少し落ち着いていた心臓がまた忙しくなってきた。
やがて、一つの扉の前で侍従が足を止めた。
「水公爵閣下ご一行をお連れしました」
中から応じる声があり、両開きの扉が開かれる。
案内されたのは、小謁見室だった。
高い天井からは魔石灯を嵌め込んだ燭台が下がり、磨き上げられた白い石床の中央には、深紅の絨毯が真っ直ぐ奥まで延びている。
壁には皇国の紋章と歴代皇帝の肖像画が並び、その奥、一段高くなった場所に皇帝陛下が座っていた。
大きな儀式に使われる謁見の間ではないと聞いていたけれど、私には十分すぎるほど立派だった。
部屋の奥に皇帝陛下の姿を見つけた途端、練習してきた礼の手順が頭の中から飛びそうになった。
父に続いて前へ進み、家族揃って礼をする。
……転ばなくて良かった。
「お招きいただきありがとうございます、陛下。水公爵アルベルト・アクエリアにございます」
「よく来たな」
「長女セシリアにございます」
「学院生活はどうだ?」
「はい。多くのことを学ばせていただいております」
そう言って、姉は綺麗なカーテシーを見せた。
「長男アストにございます」
「おお、息子から話は聞いているぞ。相変わらず仲良くしているようだな」
「恐れ入ります」
兄と第一皇子である皇太子殿下は、学院で同じ学年らしい。
皇太子殿下と友人だなんて、兄はやはりすごい。兄の男性式の礼が、いつもよりかっこよく見えた。
私は声が震えないようになんとか抑えながら、発言した。
「水公爵家の次女、ルシアにございます」
「君がルシアか。話は聞いている。給水士養成学校を考えたのは君だそうだな」
「はい」
皇帝陛下が私のことを知っていらっしゃる……!?
「興味深い試みだ」
「恐れ入ります」
教わった通りに頭を下げる。
「さて、公爵。給水士養成学校について聞こうか」
「はっ」
「セシリア嬢たちは、息子たちのところへ案内させよう」
皇帝陛下の言葉を受け、控えていた侍従が私たちのそばへ進み出た。
「皆様、こちらへどうぞ」
父を残し、姉と兄に続いて小謁見室をあとにする。
皇帝陛下の前から離れたことで少しだけ息をつけたものの、今度は皇子殿下たちが待っている。緊張がなくなったわけではなかった。
いくつかの回廊を進み、近くのサロンへ案内された。
扉が開くと、大きな窓から春の日差しが差し込み、その向こうには色とりどりの花が咲く庭園が広がっていた。
そして、窓辺を囲むように置かれた椅子には、四人の子供たちが座っている。
――皇太子殿下たちだ。
「水公爵家の皆様をお連れいたしました」
侍従の声に、四人の視線が一斉にこちらへ向く。
せっかく落ち着きかけていた心臓が、また大きく跳ねた。
姉に倣って、私もカーテシーをする。
「学院では昨日も会ったな、アスト」
最初に口を開いたのは、金色の髪の少年。皇太子殿下――レオンハルト殿下だった。
「そうですね」
「なんだ、堅苦しいな」
「皇宮でお会いするのは久しぶりなので……」
「ふむ。それもそうだな」
皇太子殿下は腕を組み、兄は困ったように笑った。
なるほど、兄も同い年の友人に対しては、年相応の少年みたいに笑うんだな。
皇太子殿下はにこやかに兄と言葉を交わしている。思っていたより気さくそうな少年だった。
「セシリア嬢も、皇宮で会うのは久しぶりですね」
「お招きいただきありがとうございます、殿下」
姉は皇太子殿下とも落ち着いて話している。やっぱりすごい。
「して、君がルシア嬢か」
「はい。お初にお目にかかります、殿下」
いざ自分へ話しかけられると、また背筋に力が入った。
教育係から教え込まれた言葉を、頭の中で必死にたどる。
「あなた、本当に給水士養成学校を考案したの!?」
「えっ」
しまった。思わず間の抜けた声が出た。
薄桃色の瞳を輝かせながら身を乗り出して尋ねてきたのは、第二皇女――クラウディア殿下だった。
皇太子殿下が呆れたように妹を見る。
「いきなりだな」
「だって気になるじゃない」
皇女殿下は少し不満そうに唇を尖らせた。
それまで黙っていた二人の皇子が口を挟む。
「とりあえず座りましょうよ」
「まったくです」
第三皇子アルヴィン殿下と、第四皇子セヴェリン殿下だった。
促されるまま、私たちも席に着く。
「それで?本当にルシア様が考えたの?給水士養成学校!」
「はい」
「まだ九歳なのに?」
「私は提案しただけで、実際に作るのは父上です」
着席早々、皇女殿下の質問攻めにあった。……受け答え、間違ってないよね…?
「クラウディア、少し落ち着きなさい。――しかし、父上も興味を持っていた。市民に魔法を教える発想は珍しい」
「そうなのでしょうか」
「少なくとも私は聞いたことがない」
兄が皇太子殿下へ視線を向けた。
「殿下は最初から賛成だったんですか?」
「……君に殿下と呼ばれるのはむず痒いな」
皇太子殿下が困ったように笑った。
「驚きはしたが、賛成だった。魔法を使う者が増えれば、それだけ新しい使い方も見つかるだろう。私は面白いと思う」
「魔法好きの殿下らしいお考えですね」
そこで、皇女殿下はカップを受け皿へ戻した。
「私は最初、反対だったわ。市民にまとまった魔法教育をすれば、戦いに使えるほど上達する者も出てくるでしょう?井戸を増やしたり、水路を整えたりする方が先だと思ったわ」
先ほどまでの弾んだ調子とは違い、声が少し落ち着いている。
「でも、水公爵領で本当に病人が減っているなら、無視はできないわ。危険があるなら、危険を抑える仕組みも一緒に考えればいいのでしょう?」
言い終えると、皇女殿下はカップへ手を戻した。
その後、皇太子殿下と皇女殿下、姉と兄の間では、魔法はもともと貴族を中心に教えられてきたとか、以前、市民出身の強力な魔法師が現れた時には何があったとか、そんな話になった。
……昔の話まで出てきて、だんだんついていけなくなる。
「ルシア様。こちらの焼き菓子、美味しいですよ」
アルヴィン殿下が、焼き菓子の載った皿をこちらへ寄せてくれた。
「ありがとうございます」
アルヴィン殿下は私と同い年だと聞いている。先ほどから話についていけていない私を気にしてくれていたらしい。
話題が一段落した頃、皇女殿下がアルヴィン殿下へ目を向けた。
さっきまで難しい話をしていたのが嘘のように、頬を膨らませる。
「あーあ。アルヴィンはルシア様と同じ年よね、いいなぁ。来春からは学院で一緒よね。私も同じ学年なら面白かったのに」
「年齢はどうしようもありませんよ」
アルヴィン殿下は慣れているのか、困ったように肩をすくめた。
ふと窓へ目を向ける。
春風に乗って、花びらが庭園を舞っていた。
皇族とのお茶会と聞いて、もっと恐ろしいものを想像していた。
けれど、目の前の人たちは思っていたよりも年相応で、少しだけ肩の力が抜けた。
それでも、私とは見ているものが少し違う。
給水士の学校ひとつについても、魔法の発展や領地の安全、それに過去の出来事まで考えている。
そういえば、父上もそうだった。
私が「人を助けたい」と言っただけでは、学校を作ってくれなかった。
誰が教えるのか。お金はどうするのか。本当に給水士を育てられるのか。
一つずつ確かめて、それからようやく動き始めた。
私は、人を助けられるなら、それでいいと思っていた。
でも、人の上に立つというのは、その先まで考えることなのかもしれない。




