09.今度は人を育てる必要があるようです
私は食事の席で、父に慈善事業の活動の話をした。
修道院でパンを配ったこと、孤児院で洗濯をしたこと、施療院で祈りを捧げたこと。
そして、給水所の利用者から、お腹を下す人が減ったと聞いた話をした。
「こちらの記録でも、給水所の周辺では病人が減っている」
そう、確かな数字を述べてくれて、嬉しくなった。
「給水所をもっと増やせませんか?」
「増設は検討している。ただ、井戸を掘れる場所なら井戸の方がいい。給水所は水魔法士が水を補い続けねばならんからな」
「では、井戸では足りないところに給水所を作るのですか?」
「ああ。井戸から十分な水を得られない場所や、水質に問題のある場所には増やしたい。だが、水魔法士が足りん。今は騎士や使用人に、本来の仕事の合間を縫って給水させている」
給水だけを仕事にしている人がいるわけではない。
「市民の中から、給水を仕事にする人を雇うのは難しいのですか?水魔法士は、そんなにもいないのですか?」
「ああ。コップ一杯分の水を出す、少量の洗濯をするぐらいならできる者も多いだろうが、貯水槽の水を満たすほどの人材はそう現れん」
私は、ふと疑問に思ったことを伝えた。
「……そもそも、市民の人たちは、どこで魔法を習うんですか?」
生まれつきある程度使えるものなのだろうか。
……そう言えば、私はそんな感じだった。魔法を暴発させていた過去を思い出す。
「どこで、と言われてもな」
父は少し考えた。
「使えるかどうかは本人の素質次第だが、職人なら親方から教わる。鍛冶師なら火を、石工なら地を。使用人も同じだな。仕事に必要なものは、奉公先で覚えることが多い」
なるほど。だから洗濯場の侍女たちは水や風の魔法を使えるし、厨房の料理人は火魔法を使えるのか。
考えてみれば、この世界では、市民は仕事をしながら必要なことを覚えていく。
貴族が通う学院のように、市民を集めて何かを教える場所は見たことがない。
でも、それなら――。
「給水も、同じように教えたら駄目なんですか?」
「同じように?」
「学校を作るんです」
「……市民のためにか?」
「はい」
「市民を仕事から離して、一か所へ集めて教育するというのか」
父は険しい顔をした。
なにか、まずいことを言っただろうか。
「……ルシア。それがどういう意味か分かっているか」
「え?」
「これまで市民の魔法は、それぞれの職業に必要な範囲で教えられてきた。それを公爵家が人を集め、まとめて教えるとなれば話が違う」
何が違うんだろう。私は首を傾げた。
「魔法は武器にもなる。領主自ら市民の魔力を高めるとなれば、警戒する者も出る」
そうか。
私には職業訓練のつもりでも、この世界では魔法は武力にもなる。
「でも、戦うためじゃなくて、人を助けるための魔法だけを教えるのです」
「戦闘に使える魔法は?」
「教えないようにします」
父はすぐには頷かなかった。そう簡単に切り離せることではないのだろう。
手にしていた杯を静かに食卓へ戻し、しばらく考え込む。
「水魔法を学んだ者が他領へ流れたらどうする」
……そこまでは考えていなかった。
「えっと……教えてもらう代わりに、しばらく給水士として働くことを義務付けるのはどうでしょうか」
義務付けたところで、どれだけ効力があるか分からないけど……。
「教師は誰が務める」
次の問題が飛んできた。私は思わず背筋を伸ばす。
父は私を責めているというより、私がどこまで考えているのか確かめているようだった。
「……今、給水所を担当している騎士さまや使用人の方では駄目ですか?」
……いや、みんな忙しいよね。どう言ったら父を納得させられるだろうか。
「学費は誰が払う」
「……公爵家からお金は出せないですか?」
言いながら、自分でも苦しい答えだと思った。
料理はまだ残っているのに、さっきからほとんど手が止まっている。
父は難しい顔のまま、しばらく黙っていた。
「市民の子を何年も学校へ通わせるのか。その間、その家は働き手を一人失うぞ」
「……子供じゃなくてもいいと思います」
「何?」
「水魔法を使える大人の人でもいいですし、働きながら通うことはできませんか?」
「働きながら?」
「毎日、一日中通わなくてもいいと思います。午前だけとか、何日かに一度とか」
前世では、学ぶために一日中学校へ通うとは限らなかった。
塾や通信講座のように、必要な時間だけ学ぶこともできたはずだ。
「それでは習得に時間がかかる」
「でも、お家の仕事も続けられます」
父はわずかに眉を寄せ、何かを考えるように視線を落とした。
「学校など建てずとも、騎士団で訓練させれば済む話ではないか」
私は少し考えた。
確かに、水魔法を教えるだけなら騎士団でもできるのかもしれない。
「でも、騎士の方たちは戦う魔法や戦術を専門としていますよね」
「そうだ」
「給水士が覚えることは、水魔法だけではないと思います」
「それだけではない?」
「貯水槽の管理とか、水を配る量とか……給水士に必要な勉強があると思います」
まだ細かいところは考え切れてはいない。
でも、口にしながら、少しずつ考えがまとまっていく。
「給水士になるために必要なことを、まとめて教える場所にした方がいいと思います」
「……育てれば、貯水槽を満たせるほどになるのか」
私は少し考え込む。
水魔法の素質があるからと言って、ある程度の水を出せるようになるものだろうか。
……魔法を扱える人達の、魔法の基準を知らない。
「……分かりません」
「生まれ持った魔力量が足りなければ、いくら教えても無理だぞ」
それは、そうなのかもしれない。
でも――。
「それでも、教わる前から無理だと決めてしまうのは違うと思います」
誰もが志望校に合格できるわけではない。勉強したからといって、望んだ仕事に就けるとも限らない。
「誰でも給水士になれるとは思っていません。でも、教わったこともない人が、できるかどうかなんて分からないですよね」
学ぶ前から道を閉ざされるのは違うと思う。学びの場は広く開かれるべきだ。
「だから、学びたい人には、学べる場所があった方がいいと思います」
そう言うと、父は首を振った。
「学ぶ機会を与えるだけでも金がかかる。その間に失われる労働もある。領主は、機会を与えたいというだけで領民の税を使うわけにはいかん」
要するに、それだけのお金を使う意味があると、父にはまだ思えないのだろう。
「ですが……もし、給水のできる水魔法士が育てば、給水所が増えれば……。たくさんの人が綺麗な水を使えます。遠い井戸まで行かなくてもよくなります」
「遠くまで水を汲みに行く時間が減る、か」
父は腕を組んだ。
「お前の話は理想論だ」
「うっ」
返す言葉もなかった。
私は前世の文化を持ち込もうとしているだけで、きっと、この世界で生きている人たちの現実に寄り添えていないのだろう。
「穴だらけだ。……だが、理想だけとも言い切れん」
父はしばらく考え込んだ。
「文官たちと検討してみよう。だが期待するな。実現できるかは分からん」
「……ありがとうございます!」
そう言って、父は少し微笑んだ。
私は期待しつつも、子どもの思いつきを否定しないための言葉なのだろうとも思った。
数ヶ月後。父に呼ばれた。
部屋へ入ると、机の上には書類が山のように積まれていた。
見覚えのある領地の地図には赤い印がいくつも書き込まれ、その横には建物の見取り図らしい羊皮紙が広げられている。
さらに別の書類には、『給水士養成学校 計画案』という題が記されていた。
父は椅子へ腰掛けたまま、その書類を一枚手に取る。
「文官と会計官、それに騎士団とも話し合った」
父は一枚の書類を私の前へ置いた。
「まず、領都と周辺の村から、水魔法を扱える者を募った」
「それで、給水士になれるか分かるのですか?」
「実際に水を出させた。一定の大きさの桶を用意して、一度に出せる水量や、どの程度続けて使えるかを調べている」
書類には名前と年齢、現在の職業のほかに、最初に出せた水の量や、訓練を始めてからの日数が記されていた。
その横には、少しずつ大きくなっていく数字が並んでいる。
「何度も調べたのですか?」
「その中から見込みのある者を選び、騎士団にしばらく指導させた」
「学校を作る前に?」
思わず聞き返すと、父は私を見た。
「お前が言ったのだろう。教わったこともない者が、できるかどうかは分からないと」
「……言いました」
「ならば、まず教えて確かめればいい」
もっともな話だった。
私は学校を作ることばかり考えていたけれど、父はその前に、本当に教育する意味があるのかを確かめていたらしい。
「全員ではないが、短期間の指導でも水量が増えた者がいる。中には、給水に必要な水量へ届きそうな者もいた」
「では……」
「ああ。人を育てるというお前の考えには、試すだけの価値がある」
胸の奥がぱっと明るくなる。
けれど、父の話はそこで終わらなかった。
「もっとも、お前の案をそのまま使うつもりはない」
「え?」
父は机に広げられた別の書類へ手を伸ばした。
「誰でも受け入れる学校にはせん。まず水魔法の適性を調べ、給水士として育つ見込みのある者を選ぶ」
「学びたい人なら、誰でもというわけではないのですね……」
「税を使う以上、当然だ。希望する者すべてに教育を施す余裕はない」
父はさらに別の書類へ目を落とした。
「授業については、お前の案にも使えるところがあった。仕事を続けながら通えるよう、毎日ではなく日を分ける」
私が最初に思い浮かべていた学校とは、少し違う。
誰でも希望すれば通える場所ではなく、給水士になる人を選び、そのために必要なことを学んでもらう場所なのだ。
「では、魔法以外のことは?」
「水魔法の訓練だけなら騎士団で足りる。だが、給水所で働かせるなら、それだけでは足りん。管理や記録までまとめて教える場所が要る」
「だから学校を設けるのですね」
父が地図の一点を指した。
「領都郊外に建てる予定だ。水魔法の指導には当面、騎士団から人を出す。給水所の管理については担当の文官に教えさせる」
私は地図と書類を交互に見た。
「学費はどうするのですか?」
「取らん」
「でも、それでは公爵家が全部負担することになりますよね?」
「その代わり、修了した者には一定期間、公爵家の給水士として勤めてもらう。給水所を増やすために育てるのだから、当然だ」
「なるほど……」
教えて終わりではない。
学ぶ側はお金を払わずに技術を身につけられる。その代わり、身につけた技術で領地のために働く。
私が思いつくままに口にした案を、父たちは一つずつ確かめ、現実に動かせる仕組みへ作り直していた。
「父上、本当に実現なさるのですか?」
「そのためにここまで調べた」
「……本当に実現できるとは思っていませんでした」
そう言うと、父は呆れたように眉をひそめた。
そして、机の端に置かれた書類の束へ視線を向けた。
「建設費も運営費も安くはない。だが、給水所の周辺では病で仕事を休む者が減り、水汲みに費やす時間も短くなっている」
そこで父は、私へ視線を戻した。
「給水所が必要な場所へ増やせば、同じ効果が見込めるところもあるだろう。利益が出るとはまだ言わん。だが、費用をかけるだけの価値はある」
「……ありがとうございます」
「礼を言うのはまだ早い。始めてみなければ、うまくいくかは分からん」
厳しい言葉だったけれど、父の前にはもう『給水士養成学校 計画案』と記された書類がある。
「給水士を育てることは、慈善だけで終わる話ではない。領地にとっても意味がある」
父は学校設立を公爵家の事業として進めた。
けれど、どういうわけか私が言い出したことまで領民の間に伝わっているらしい。
後日。
私は、下見をするために、領都郊外にある建設予定地を訪れた。
まだ何もない草地だった。
けれど一年後には、ここで誰かが魔法を学んでいるのだろう。
測量士が土地を測り、その傍らでは司祭たちが工事の無事を祈る儀式の準備をしていた。
珍しいのか、道沿いには近くの村からやって来た人々も集まっている。
「神子候補さまだ!」
「給水所を作ったお嬢様だ!」
「ルシア様の学校ができるんだってな!」
私の学校、というのは少し違う。
私は思いつきを口にしただけで、実際に調べ、計画を立てたのは父や文官たちだ。
「水の聖女さまー!」
給水所を作り、今度は給水士養成学校まで建てることになったからだろう。
領民の間では、「水の聖女」と呼ぶ声も聞こえるようになっていた。
水神を祀るこの地においては、大変名誉な呼び名であった。
水の聖女という呼び名は、まだ少し照れくさい。
でも、神子候補と呼ばれるより、その方がずっと嬉しかった。
水公爵家の娘として、少しは認めてもらえたような気がした。
私は建設予定地を見つめた。
もしこの学校で誰かが水魔法を学び、その誰かがまた誰かを助けてくれるのなら。
それはきっと、お母様の残したものの続きになる。
まだ何もない草地に、秋の風が吹き抜けていく。
ここから、たくさんの人を助けられる人が育ってくれたらいい。
私は、そんな未来を思い浮かべた。




