04.くれぐれも無理は禁物のようです
七歳の祝賀儀式から二か月ほどが過ぎ、季節は初夏を迎えていた。
あの日、六属性すべてが強く輝いて以来、屋敷の空気は少し変わった。
教会からは、未だに使者が訪れ、皇都で詳しい検証を受けてほしいという申し入れが続いている。父はそのたびに、丁重に断りの返事を送っていた。
一方で屋敷の中でも、私の教育について話し合いが続いていたらしい。
六属性すべてに強い適性を示した子どもなど、誰も育てたことがない。
魔法教師も文官も騎士たちも、前例のない力をどう扱うべきか、何度も相談を重ねていたという。
そしてある朝、私は父に騎士館の訓練場へ呼ばれた。
青空の下、騎士たちが木剣を打ち合う音が響いている。
訓練場の一角には、父と教育係、それに見慣れない男性が立っていた。
「ルシア」
「はい、父上」
父は隣の男性へ視線を向ける。
「今日から魔法は、この者が教える」
私は思わず教育係を見た。
「先生は……?」
教育係は穏やかに微笑んだ。
「私はこれまで通り礼儀や学問を担当いたします。魔法は専門の先生へお願いすることになりました」
男性が一歩前へ出て、丁寧に名乗り出た。私も挨拶を返す。
「お嬢様は、六属性すべてに強い適正があったと伺っております」
「はい」
「生活魔法程度であれば、闇を除く五属性を扱える者は珍しくありません。しかし、それは強い適性とは別の話です」
先生は続ける。
「二属性や三属性に強い適性を持つ方は珍しくありません。四属性であれば天才と呼ばれるでしょう。私もお教えしたことはあります」
一拍置いて私を見る。
「ですが、六属性すべてに強い適性を持つ方は、見たことがありません」
「そうなのですね」
そんなに珍しいものだったのか。
「私も指導が手探りになりますが、よろしくお願いします」
「よろしくお願いいたします」
先生は頷き、話を続けた。
「まずは、現在のルシア様を知ることから始めましょう。これまでは、水魔法と風魔法を重点的に学んでこられたそうですね」
「はい。コップや木桶へ水をためたり、水球を動かしたり、風を吹かせたりしていました」
教育係が補足する。
「ルシア様は、つい魔力を込めすぎてしまうことがございますので、これまでは制御を重視してお教えしておりました」
「なるほど」
先生は納得したように頷いた。
「では、他の属性はいかがでしょう」
「土魔法は少しだけ試したことがあります。あとは光属性の治癒魔法を練習しています」
「火属性と闇属性は?」
「まだ使ったことがありません」
「理由を伺っても?」
「火は扱いを間違えると危ないと思いました。それに、闇は自分に適性があるとは思っていなかったので……」
この国で闇魔法を扱える者は極めて少ない。
だから私も、自分とは縁のないものだと思っていた。
先生は腕を組み、少し考え込んだ。
「なるほど。つまり、これまで限界まで魔力を使った経験はないのですね」
「はい」
「教育係のご指導は、あくまで制御を身につけることが目的でした。それも必要な訓練です」
先生は父へ一度視線を向け、それから私へ向き直る。
「ですが、今後の訓練方針を決めるには、現在の力の上限も把握しておかなければなりません」
私は少し不安になった。
「危なくありませんか?」
思わず父を見る。
以前、風魔法で部屋を荒らしたように、訓練場を水浸しにしたように、皆が困ったことにならないだろうか。
父は短く頷いた。
「危険だと思ったら迷わず止めろ」
「承知しております」
先生も穏やかに微笑んだ。
先生が見てくださるなら、大丈夫だろうか。
「では、水属性からお願いいたします」
「はい」
私はゆっくりと手を前へ差し出した。
朝の湖を思い浮かべる。
風ひとつない静かな水面。鏡のように空を映し、ゆっくりと波紋が広がる景色。
その水をそっと掬い上げるように魔力を流す。
空気中の水滴が少しずつ集まり始める。
一粒、また一粒。
やがて掌の上で丸く形を整え、澄んだ水球が静かに浮かび上がった。
「結構です。次は風属性を」
水球を霧のようにほどき、意識を切り替える。
初夏の草原を吹き抜ける風。
頬を優しく撫で、草花を揺らす、穏やかな風景を思い描く。
前髪がふわりと揺れた。
掌の上へ空気が集まり、小さな渦となって回り始める。
その瞬間。思ったより強い風が訓練場を吹き抜けた。
先生の外套が大きくはためき、手帳のページが一気にめくれ上がる。
近くに立っていた騎士も思わず腕で顔を庇った。
「あっ」
私は慌てて魔力を弱めた。
「……失礼いたしました」
騎士たちから小さな笑い声が漏れる。
教育係が苦笑した。
「いつものことです」
先生も笑って頷いた。
「なるほど。確かに制御を重視された理由が分かりました」
先生は外套を正した。
「水と風は十分ですね。土属性をお願いいたします」
風をほどき、大地へ意識を向ける。
雨を受けた畑。
柔らかな土の匂い。根を支える力強い大地。
掌の前で土が静かに盛り上がり、拳ほどの土塊となって浮かび上がった。
「ありがとうございます。最後に光属性を」
土を静かに崩し、今度は胸の奥へ意識を向ける。
夜道を照らす優しい灯火。
暗闇を追い払うのではなく、人を安心させる穏やかな光。
小さな光が掌に宿り、昼間でもはっきりと分かる淡い光球となって輝いた。
先生は満足そうに頷く。
「では。ここから少しだけ難しくいたします」
私は先生を見る。
「水、風を同時に維持してください」
「……はい」
できるだろうか。
私は小さく息を吸った。今まで同時に維持したことはない。
でも、やってみよう。
水球を浮かべ、その隣へ風の渦を生み出す。
二つの魔法は互いに干渉することなく、静かに宙へ並んだ。
「よろしい。では、土も」
さらに土塊を生み出す。
三つの魔法が目の前へ並ぶ。
「問題ありません。では光も」
私は頷き、最後に光球を灯した。
水。風。土。光。
四つの魔法が私の前で静かに揺れている。
周囲の騎士たちが思わず息を呑んだ。
「四属性を……」
「七歳で……」
先生も目を見開く。
「……素晴らしい」
私は返事をする余裕もなく、四つの魔法へ意識を向け続けた。
水面がわずかに揺れる。水へ魔力を送る。
すると風の流れが乱れた。風を整える。
今度は土塊の表面に小さな亀裂が入る。土へ魔力を回す。
その間に光が少しだけ弱くなった。
一つを支えれば、一つが揺らぐ。
四つとも同じように見えて、それぞれ必要とする魔力の流れが少しずつ違う。
まるで四人と同時に会話をしているようだった。
誰か一人へ意識を向ければ、別の誰かを待たせてしまう。
だから全員の様子を見ながら、少しずつ言葉を返すように魔力を巡らせる。
もっと滑らかに。もっと均等に。もっと安定させたい。
四つの魔法は静かに揺れながら、私の前で輝き続けていた。
「そのまま」
先生が言う。
私は頷いた。
もっと安定させたい。
全部崩したくない。
「ルシア様」
先生が声を掛けた。
私は返事をしない。
少しでも気を逸らしたら、崩れてしまいそうだった。
「ルシア」
父の声だった。
返事をしようとしたが……できない。
今返事をすると、水が崩れる。
今はまだ。あと少しだけ。
もっと安定させたい。
「ルシア」
二度目の声。
私はようやく顔を上げた。
「はい……?」
「終わりだ」
「ですが、まだできます」
父は静かに頷いた。
「知っている」
父はゆっくりと私の前まで歩いてきた。
「父上?」
父は四つの魔法には目もくれず、私の顔を見つめていた。
「ルシア」
「はい」
父は私の顔を見つめたまま言う。
「息をしてみろ」
言われて初めて、自分へ意識を向けた。
息が浅い。肩が上下している。
腕も少し震えていた。
額には汗が滲んでいる。
「……あ」
私は慌てて四つの魔法を消した。
大きく息を吸う。ようやく胸が楽になった。
先生も小さく息を吐いた。
「旦那様」
「どうだ」
「十分です」
先生は静かに頷いた。
「ここまで確認できれば、今後の指導方針は立てられます。四属性を同時に維持できたことにも驚きました。しかし、それ以上に分かったことがあります」
「何だ」
「ルシア様は、魔法へ集中すると、ご自身の状態への意識が薄くなります」
先生は私を見た。
「六属性を持つ方は、これから複数の属性を組み合わせる場面が増えるでしょう。その時に最も大切なのは、魔法ではなく、ご自身を見失わないことです」
父は静かに頷いた。
「だから止めた」
「はい」
先生は深く一礼する。
「今日の診断で十分です。火属性と闇属性は、焦って習得する必要はございません」
私は少しだけ肩を落とした。
火魔法も、闇魔法も、少し楽しみにしていた。
その様子を見ていた父が、小さく笑う。
「不満そうだな」
「……少しだけです」
「もっと続けたかったか」
「はい」
魔法がもっとうまくなれば、病気で苦しむ人を助けられるかもしれない。
母の力にもなれる。
神子候補として期待してくれている領民もいる。
私にできることがあるなら、その期待にも応えたい。
父は私の頭へ手を置いた。
「焦るな」
「……はい」
「力は逃げん」
私はしぶしぶ頷いた。
父が私を案じているだろうことは分かっている。
けど、はやく誰かの力になりたい。
そんな気持ちでいっぱいだった。
訓練場を出ると、初夏の風が頬を撫でた。
屋敷へ戻る途中、父は珍しく口を開く。
「疲れたか」
「少しだけです」
「よく頑張った」
父からそう言われることは滅多にない。
それだけで胸が少し温かくなった。
屋敷へ戻ると、庭園の東屋で母がお茶を飲んでいた。
白い花が風に揺れ、母は花壇を眺めながら穏やかに微笑んでいる。
私たちに気付くと、優しく手を振った。
「おかえりなさい」
「ただいま戻りました、お母様」
「魔法のお勉強はいかがでしたか」
「今日は四つの魔法を同時に使いました」
母は少し目を丸くした。
「まあ」
その一言だけだった。
驚いてはいるけれど、六属性だからと特別視している様子はない。
いつもの母だった。
「でも、父上に止められてしまいました」
私が少しだけ唇を尖らせると、母はくすりと笑った。
「そう。悔しかった?」
私は少し考え、小さく頷いた。
「……はい。もっと続けられると思いました」
母は私の頭をそっと撫でる。
「悔しかったのね」
その一言だけで、胸の奥にあった悔しさが少しだけ和らいだ。
父が静かに口を開く。
「必要だった」
「ええ」
母は微笑んだまま頷く。
「あなたが止めた理由も分かっています」
父は何も答えない。
母は私の顔を覗き込んだ。
「でも今日は、四つも同時に魔法を使えたのでしょう?」
「はい」
母は嬉しそうに笑った。
「頑張ったのね」
その一言だけだった。
褒められたのは、四つの魔法ではない。
私だった。
なんだか胸が温かくなる。
「ちょうどお昼の時間ですね」
母が立ち上がる。
「今日は料理長に、庭園の木苺でタルトを焼いてもらったのよ。ルシアが好きでしょう?」
「本当ですか?」
「ええ」
思わず顔がほころぶ。
その様子を見た母も笑い、父も小さく口元を緩めた。
「参りましょう」
三人で屋敷へ向かう。
父は前を歩き、母は私の隣を歩いていた。
初夏の柔らかな風が庭を吹き抜け、花々が静かに揺れていた。




