16.ためしに皆で町を掃除してみるようです
数日後。
光神祭を翌日に控えた領都は、朝からいつもとは違う賑わいを見せていた。
教会では司祭様たちが祭壇を磨き、鐘楼では鐘守が鐘の手入れをしている。
商店では店先の飾り付けが進み、露店には冬の花々が並んでいた。
そんな中、市場の広場には、箒や熊手、木桶を手にした人々が集まっていた。
「本当に掃除をするのか?」
「公爵様のお達しらしいぞ」
「ルシア様のご提案だとか」
あちこちでそんな声が聞こえる。
私も父と姉と兄と一緒に市場へやって来た。
姉は学院の長期休みで帰ってきていた。掃除をするからと、今日は普段より動きやすい服装をしている。
母は、体調が優れないため屋敷で静養している。
「緊張しているのか?」
兄が少し笑いながら尋ねる。
「……少しだけです」
「大丈夫だ。父上がいる」
そう言って兄は私の頭を軽く撫でた。
私の発案を、父が形にしてくれた。無事に終わるだろうか。
父の後ろには治水担当の文官や騎士たちが並び、その横では商人組合の代表や町内の世話役たちが顔を揃えている。
思っていたより大勢だ。
父は集まった人々を見回した。
「本日は試験的に、市場周辺、給水所、教会前の清掃を行う」
市場が静まり返る。
「参加は強制ではない」
父はゆっくりと言葉を続けた。
「だが、水路が詰まれば、役人だけではなく、商人も職人も農民も困る」
市場の奥では製粉所の職人たちが頷いている。
「今日の結果を見て、今後も続けるべきか判断する」
父の言葉が終わると、人々は互いの顔を見合わせた。
すると、一人の初老の商人が前へ出る。
「市場の掃除なら、わしら商人も手伝いましょう」
「おお、俺もやるぞ」
「教会の前くらいならすぐ終わる」
少しずつ賛同の声が広がっていく。
私はほっと胸を撫で下ろした。
「では始める」
父の合図で、人々が一斉に動き出した。
商人たちは店先の落ち葉を集め、役人は側溝に溜まった泥を掻き出していく。
騎士たちは重い土砂を運び、子どもたちは小さな箒で落ち葉を集めていた。
私も侍女から小さな箒を受け取る。
「ルシア様、お手を汚されます」
「私が言い出したことですから」
そう答えると、侍女は困ったように笑い、小さな籠を持って隣に立った。
私は教会前の石畳に積もった落ち葉を掃き集める。
冷たい風が吹くたび、落ち葉がさらさらと音を立てて転がっていく。
「ルシア、そっちは俺がやる」
振り返ると、兄が側溝へ詰まっていた太い枝を持ち上げていた。
「ありがとうございます」
「力仕事は任せろ」
そう言って笑う兄の横では、子どもたちが目を輝かせていた。
「ルシア様も掃除してる!」
子どもたちが嬉しそうに駆け寄ってきた。
「一緒にやりましょう」
「うん!」
気が付けば、子どもたちも競うように落ち葉を集め始めていた。
小さな女の子も、私の真似をして箒を動かし始めた。
「こう?」
「そうです。上手ですね」
「えへへ!」
その子のお母さんが慌てて頭を下げる。
「申し訳ありません、ルシア様」
「大丈夫です。一緒にお掃除してくれて嬉しいです」
周囲からも笑い声が上がった。
「ルシア、髪に葉っぱが付いているわよ」
「あ、本当です」
姉は笑いながら私の髪から枯れ葉を摘まみ取ってくれた。
「頑張り過ぎよ」
「でも、まだ終わっていません」
姉は苦笑しながら、近くで掃除をしていた子どもへも声を掛ける。
「無理をしないでね。疲れたらちゃんと休むのよ」
「はーい!」
そういうところは、お母様にそっくりだと思った。
やがて側溝に詰まっていた落ち葉が取り除かれると、それまで淀んでいた水が音を立てて流れ始める。
「おお」
誰かが思わず声を上げた。
澄んだ水は冬の日差しを受け、きらきらと輝きながら用水路へ流れていく。
「流れたぞ!」
「こんなに違うものか」
治水担当の文官は帳簿へ何かを書き留め、父は静かにその様子を見つめていた。
昼頃には三区画すべての清掃が終わった。
市場には落ち葉一枚落ちておらず、教会前の石畳も明るく見える。
側溝の水は澄み、心地よいせせらぎが耳に届いていた。
「父上」
兄が声を掛ける。
「どう思われますか」
「悪くない」
父は短く答えた。
「続けられるのであればな」
その言葉に兄は静かに頷いた。
父は治水担当へ視線を向ける。
「どうだ」
「予定より一刻ほど早く終わりました」
文官は帳簿を確認する。
「役人だけで行うより、必要な人員も大幅に少なく済みそうです」
父は満足そうに頷いた。
「記録は続けろ」
「はっ」
その言葉だけだったけれど、私は嬉しかった。
父が、この取り組みを前向きに考えてくれている。
それが分かったからだ。
昼になると、領都中の鐘が高らかに鳴り響いた。
私たちは家族で水神大聖堂へ向かう。
教会の前では、侍女に付き添われた母が待っていた。
「お母様」
私はそばに歩み寄った。
母は少し顔色こそ青白いものの、優しく微笑んで私を抱きしめてくれた。
「今日は来られたのですね」
母はあまり体調が優れないため、屋敷で静養していることが多い。
「ええ。三人とも、とても頑張ったと聞きましたから」
母は私と姉と兄を順番に見つめた。
「見届けたくなってしまいました」
「私は少し手伝っただけです」
姉は控えめに微笑んだ。
兄も照れくさそうに肩をすくめた。
「大したことはしていません」
「そんなことありません」
母は首を横へ振る。
「人のために動こうと思うことが、とても大切なのですよ」
父は母の隣へ歩み寄る。
「無理はするな」
「少しだけです」
母は安心させるように微笑んだ。
「家族みんなで新年を迎えたかったのです」
父も小さく頷く。
「……そうか」
その一言だけだったけれど、とても優しかった。
教会の中には領民たちが静かに集まり、水神様の像の前には白い花が供えられている。
祭壇の水盤には澄んだ水が満たされ、冬の日差しが水面を青く照らしていた。
司祭様が祈りを捧げる。
「神々よ。今年も我らへ恵みを」
澄んだ聖歌が堂内へ響き渡る。
私も父と母、そして姉と兄の隣で手を組んだ。
今年も、みんなが笑って暮らせますように。
病気になる人が少なくなりますように。
そんな願いを込めて目を閉じた。
翌日の光神祭当日。領都は祭り一色だった。
楽師が陽気な音楽を奏で、人々は笑顔で踊っている。
屋台には焼きたてのパンや温かなスープ、甘い焼き菓子が並び、香ばしい匂いが辺りへ漂っていた。
「ルシア」
兄が私を呼んだ。
「あれを見てみろ」
指差した先では、子どもたちが昨日掃除した給水所の周りで遊んでいた。
「町、きれいになったね!」
「水もきれい!」
嬉しそうにはしゃぐ声が聞こえてくる。
少し離れたところでは、おばあさんが桶へ水を汲みながら微笑んでいた。
「今年も安心して水が飲めるねぇ」
その言葉に胸が温かくなる。
「ルシア」
母は私の手を優しく握った。
「皆さん、とても良いお顔をしていますね」
私は領民たちを見渡す。
「……はい」
「どうしてだと思いますか?」
私は少し考える。
「町が綺麗になったから、ではないのでしょうか」
母は穏やかに微笑んだ。
「それもあります」
母は給水所の前で笑い合う人々へ視線を向ける。
「でも、それだけではありません」
私は首を傾げた。
「ルシアが皆さんのことを思ったからですよ」
「私が……?」
「ええ。誰かを思ってしたことは、ちゃんと相手へ伝わるものです」
母は私の頭を優しく撫でた。
「だから、皆さんはこんなに素敵な笑顔なのでしょうね」
父は賑わう町を見渡し、小さく口を開く。
「悪い景色ではないな」
兄が笑う。
「来年はもっと多くの人が参加するかもしれませんね」
「ああ」
父は短く頷いた。
「きっと参加してくださいます」
姉も町を見渡しながら微笑む。
「皆、とても楽しそうですもの」
母も静かに頷いた。
「ええ。笑顔は笑顔を呼びますから」
「お母様の言う通りですね」
姉は母によく似た顔で微笑んだ。
「皆さんが笑っていると、私まで嬉しくなります」
母も静かに頷いた。
私は家族と領民たちを見回した。
一人では難しいことも、みんなで力を合わせればできる。
新しい年が、この笑顔とともに続いていけばいい。
そう願いながら、私は冬空の下、賑わう領都の景色をいつまでも見つめていた。




