15.このさい町をきれいにするようです
給水所を開設してから、数か月が過ぎた。季節は冬。
光神祭を目前に控えた領都は、いつも以上に活気づいていた。
光神祭とは、新年を祝うお祭りのことだ。
店先には色鮮やかな布や花飾りが並び、町中が新しい年を迎える支度に追われている。
私は父と一緒に、給水所の様子を見て回っていた。
桶を抱えた人々が列を作り、透き通った水面には冬の日差しがきらきらと反射している。
汲み終えた人々は礼を言い合いながら家路につき、新しく来た人が静かに列の最後尾へ並んでいく。
「ルシア様!」
「お水、ありがとう!」
給水所では、子どもたちが笑顔で手を振ってくれた。
最初は緊張していた私も、今では少しだけ慣れてきた。
領都の、特に子供たちの中では、私は公爵家のお嬢様として少し人気が出てきたようだった。
少しむず痒い気持ちになりながらも、その温かさは嬉しかった。
「黒髪黒目だぞ……」
「ノクティス王国の闇の力だ……」
一方で、黒髪黒目だと怪訝な顔で見られることもしばしばあった。
父の側近が帳簿を開く。
「給水所の利用は順調でございます。施療院からも、給水所を利用する地域では腹を下す者が減る傾向が見られるとの報告が届いております。もっとも、原因が給水所にあると断言するには、もうしばらく様子を見る必要がありますが」
父は静かに頷いた。
「焦る必要はない。記録は続けよ」
「はっ」
私は胸を撫で下ろした。
まだ分からないこともあるけれど、少しでも役に立っているのなら嬉しい。
そのまま市場へ向かうと、不意に鼻をつく臭いがした。
市場の裏手だった。
枯れ葉が側溝いっぱいに積もり、その隙間には泥がこびり付いている。
本来なら澄んだ水が流れているはずの側溝は、落ち葉にせき止められ、ところどころで濁っていた。
せっかく水はきれいになったのに。
町には、まだ手が届いていない場所もあるようだった。
「父上」
「どうした」
「ここ、汚れています」
父は辺りを見回した。
「掃除はしないのですか」
「している」
父は短く答えた。
「各家の前は住民が掃除する。市場は商人組合。側溝や排水路は役人が管理している」
「でも、こんなに落ち葉があります」
治水担当の文官が苦笑した。
「役人も定期的に巡回しておりますが、領都は広うございます。どうしても詰まりやすい場所から優先になります」
「全部は回れないんですね」
「はい」
私は少し考え込んだ。
「日本なら町内清掃の日があったな……」
思わず小さく呟いてしまう。
「なんと言った?」
「あ、いえ」
危ない。慌てて誤魔化した。
「えっと……みんなで一緒にお掃除する日は作れないのでしょうか」
父はすぐには答えなかった。
「その日、領民は畑へ出られん。商人は店を閉める。新しいことを始める以上、それ以上の利益が必要だ」
領主としての言葉だった。私は言い返せない。
確かに、半日でも仕事を休めば、その分だけ収入は減ってしまう。
「光神祭の前なら、どうでしょう」
「光神祭?」
「はい。新しい年を迎える前に、町もきれいにしてからお祝いしたいです」
私は父を見上げた。
「光神祭の前は、お店を閉めて準備をする人も多いですよね」
父は黙ったまま私を見つめている。
「それなら、いつものお仕事は減らないと思います」
私は教会の方角へ目を向けた。
「教会もお祭りの前にはお掃除しますよね。だったら、町も水路もきれいにしたら、みんな気持ちよく新しい年を迎えられると思います」
すると治水担当が口を開いた。
「旦那様。市場南側の排水路は、製粉所へ水を引く用水路にも繋がっております」
文官は市場の外れを指差した。
「昨年、市場南側の排水路が詰まり、水車への水量が不足したことがございました。製粉所は二日止まり、水路の復旧には役人十名を動員しております」
父は腕を組んだまま耳を傾けている。
「もし落ち葉が少ないうちに取り除いていれば、ここまで大掛かりにはならなかったかもしれません」
「ふむ……」
父は腕を組んだ。
「毎年、水路の補修にはどれほどの人員を割いている」
「延べ百二十人日ほどになります」
「共同清掃を行うとすれば、どれほど必要だ」
「市場周辺だけであれば、半日ほどで終えられるかと存じます。参加者が多ければ、さらに短く済むでしょう」
父はしばらく考え込んだ。
「……大規模に始める必要はないな」
その言葉に、思わず父の表情を見つめる。
「旦那様。光神祭前であれば、商人組合や町内ごとの代表も集まります。呼びかけもしやすいかと」
「なるほど」
父は行き交う荷馬車や商人たちへ視線を巡らせた。市場は多くの人で賑わっている。
その人の流れを眺めながら、何か思案しているようだった。
「市場周辺、給水所、教会前」
父は領都の地図を思い浮かべるように目を細めた。
「その三区画だけで試験的に実施する」
治水担当はすぐに手帳へ書き留める。
「効果と必要な人員を記録しろ。また、例年の水路補修に掛かる労力とも比較する。利益が認められるなら、光神祭前の恒例行事として正式に取り入れる」
「承知いたしました」
私は思わず父を見つめた。
「本当に、試してくださるのですか」
「ああ」
父は静かに答えた。
「だが、成功するかどうかは別だ」
父は私を真っすぐ見つめる。
「良い考えでも、続かなければ意味はない」
少し間を置いて続けた。
「領地を良くするとは、皆が無理なく続けられる仕組みを作ることだ」
私は大きく頷いた。
「ありがとうございます、父上」
新しい年を迎える前に、町をきれいにする。
一人では難しくても、みんなでならできるのかもしれない。
そんな当たり前が、この領地に根付いてくれたら嬉しい。
給水所では今日も人々が水を汲み、冬の日差しを受けた水面が静かに輝いている。
新しい年を迎える準備に追われる領都には、子どもたちの笑い声が響いていた。




