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10.はじめて友人ができたようです


 四歳になった。


「あなたが、ルシア様?」

 そう、若葉色の髪の少女が言った。

「はい。おはつお目にかかります、シルフィア様」


 ――今日は、我が公爵家にお客様が訪れた。

 ストラトヴェイン公爵家。地水火風の四大公爵家のうちが一つ、風の公爵家の一族である。


 公爵夫人は少し目を見開いた。

「まぁ、ルシア様はしっかりしているわね」

 夫人の隣には先ほどのシルフィア様が座っている。


 今は庭園で、公爵家と昼食を取っているところだ。


 庭園には色鮮やかな夏の花々が咲き、白い東屋にはつる薔薇が絡まっていた。

 白い天幕の下には長い食卓が設えられ、冷たい果実水や湖で獲れた魚料理が並んでいる。


 父親同士は別のところで、何やら難しい話をしているみたい。


 私の横には兄、その隣に母がいる。姉は春から学院に通い始めた。

 学院は、公爵領から馬車で五日ほどかかる皇都にある。そのため、姉は寄宿舎に入っているので、今は屋敷にはいない。


 庭園の向こうには大きな湖が広がっている。

 水神の末裔を名乗るアクエリア公爵家の象徴のような景色だった。

 

 陽の光が差し込んで、水面がキラキラと反射している。

 私はこの景色がとても好きだった。


 最近、兄が使用人と一緒に釣りをしているので、私ももう少し大きくなったら釣りをしてみたいなぁ。


「久しぶりに屋敷に来てくれてありがとう」

 母が夫人に微笑みかける。

「こちらこそ。シルフィアももうすぐ五歳ですもの。長旅にも耐えられるようになったわ」

 どうやら母とストラトヴェイン公爵夫人は古くからの友人らしい。

 そしてシルフィア様は、私より一つ年上だった。


「ミレイアも大きくなったら連れてこれるのだけれど……」

「ミレイアさま?」

「シルフィアの妹ですわ。ミレイアは最近三歳になったばかりなの」

 どうやらストラトヴェイン家には、娘が二人おり、一人はお留守番をしているらしい。


「シルフィアさまのお家は、近いのですか?」

「お母さまが、三日くらいって言ってました、ルシアさま」

 小さな手で器用に食べながら、シルフィア様は答えてくれた。

 まだ私は正式な淑女教育は受けていないので、見様見真似でナイフとフォークを使い、食べ物を口に運ぶ。


「子供たちは遊んでいらっしゃい」

 食後に母に言われた。


「俺は騎士団のとこいってくる」

 兄は最近、剣術の練習にはまっているようだった。

 私も、そのうち見学させてもらおう。 


「ルシアさま、お水は好きですか?」

「好きです」

「じゃあ、いっしょに行きましょう!」

 シルフィア様に手を引かれ、湖のほうに移動した。

 石畳の小道を歩く。夏の日差しは強かったけれど、湖から吹いてくる風はひんやりとしていて気持ち良かった。


「ボートに乗ってみたいです!」

 シルフィア様が、湖に浮かぶ小舟を指差した。

 使用人に漕手になってもらい、侍女とシルフィア様と私の三人が乗り込んだ。


 湖面には入道雲と白い水鳥が映り、櫂が水を切るたび、幾重もの波紋が広がった。

 小舟が岸を離れると、水面を渡る風に髪が揺れた。


「ルシア様の髪、きれいです」

「え?」

「夜みたいです!」

「……ありがとうございます、シルフィア様」


 黒髪を見て、怖いとか、珍しいとか、神子とか、災いとか。

 そんな言葉をたくさん聞いた。

 でも、きれいだと言われたのは初めてだった。

 胸の奥が少しくすぐったくなって、なんだか照れくさかった。


「シルフィア様の髪も、森の色みたいで綺麗です」

「ありがとうございます!」

 湖から吹く風が、若葉色の髪をさらりと揺らした。


「あっ、お魚!」

「本当ですね」

「ストラトヴェインには、こんなにお魚はいません」

「そうなのですか?」

「かわりに、お馬さんがいっぱいいます!」

 シルフィア様が身を乗り出した。

「わ、」


 ボートが揺れ、跳ねた水が私の服を濡らした。

「ごめんなさい……」

「だいじょうぶですよ」

 侍女が慌てて手ぬぐいで私の服を拭いた。


「わたしが乾かしてあげる!」

 シルフィア様はそう言って、服に手をかざした。

 柔らかな風が服の裾をふわりと持ち上げた。木陰を吹き抜ける風のように心地よかった。


「すごい……風魔法が使えるのですか?」

「最近ちょっとだけ使えるようになりました!」

 風に揺れる若葉色の髪は、本当に風の公爵家のお嬢様らしく見えた。


 ――私も魔法は使えるには使える。

 けれど、あの時のことを思い出すと人前で使う気にはなれなかった。


「ありがとうシルフィア様、おかげで乾きました」

「よかったです!」

 シルフィア様は、自分のことのように嬉しそうに笑った。

 その笑顔を見ていると、私まで嬉しくなる。


「……ルシア様、」

「?なんでしょう?」

「ルシア様、優しいです」

「そうでしょうか?」

「はい。服が濡れても笑ってくれました」

「シルフィア様も、魔法で乾かしてくれて優しいです」

 シルフィア様の丸い瞳が大きく開かれた。

「……えへへ」

 はにかむようにシルフィア様が笑った。


「ルシア様と一緒にいると、楽しいです」

「私もですよ、シルフィア様」


 シルフィア様は少しだけ視線を泳がせた。


「……私、ルシア様とおともだちになりたいです」


 一瞬、なんと言えばいいのか分からなかった。

 乳母の子であるテオとは仲が良い。

 屋敷には、たまに水公爵家にゆかりのある侯爵家や子爵家が訪れることもある。


 けれど、同じ年頃の貴族令嬢から「友達になりたい」と言われたのは初めてだ。


「お友達?」

「はい。だから、シルフィアって呼んでほしいです」

 シルフィア様は頬を染め、羽飾りの帽子を照れくさそうに被り直した。


「……ありがとう、シルフィア。

 わたしのこともルシアって呼んでください」


「はい、ルシア!」

 シルフィアがぱっと笑った。


 それからシルフィアたちは数日滞在したあと、風公爵領に帰るようだった。


 ――そして別れの日。


「また来年も来ます!」

「私も楽しみにしています」

「本当ですか?」

「はい」

 なんだか少し名残惜しい。


「そのときも一緒に遊びましょう!」

 シルフィアは可愛らしい顔で微笑んだ。

「ええ。また来年」

「約束です!」

「はい!……水神の恵みがありますように、シルフィア」

「ルシアにも、水神の恵みがありますように!」


 母たちが別れ際によく口にする祝福の挨拶を、真似してみた。


 夏空には白い雲が浮かび、湖を渡る風が馬車の旗を揺らしていた。

 シルフィアは窓から何度も身を乗り出して手を振る。


 馬車はゆっくりと屋敷を離れ、砂利道を進んでいく。

 若葉色の髪が風になびき、その姿が見えなくなるまで、私は手を振り続けた。


 湖を渡る風だけが、静かに残っていた。


 来年が、少しだけ待ち遠しい。


 シルフィアは、私にとって初めての友達になった。



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