第149話 case 5-ペンが走る
アーサーが静養に入り早10年が経とうとしていた。
以前届いた手紙によると、 1ヶ月の静養で体調は随分と良くなった様だが、父親の体調が優れず実家から離れられないらしい。
今は地元の学校で物理学の教師をやっている様だ。
早くケンブリッジに戻り研究を再開したいと言っていたが、アーサー自身にも新たな病気が判明したとか…
スティーヴンは日々の研究に没頭しながらも朝日が差し込む窓を眺めながらアーサーの事を思い出していた。
「ロバートとルーシーを連れて買い物行くけど、スティーヴンも行く?」
ジェーンは買い物袋を肩から下げ、右手でルーシーと、左手でロバートと手を繋いでいる。
「あぁ、僕はいいよ。論文をまとめないと」
スティーヴンは相変わらず、いつもの笑顔で返す。
「そう」
一言だけ返すと、ジェーンは2人を連れて買い物へ出掛けていった。
1963年に2年の余命宣告を受けたスティーヴンであったがALSの進行は非常に遅く、結婚から2年後には長男ロバートが誕生、その3年後の1970年には長女ルーシーが誕生していた。
ふとスティーヴンはアーサーから受け取った資料に目を通す。
朝の日差しが真っ白な紙に反射し、眩しく一瞬で資料から目を背けた。
「ハハ、アーサーはこの事を言ってたんだな」
スティーヴンは大学の図書館でアーサーと初めて会話した日の事を思い出していた。
“南側の席は直射日光が当たる。白い紙に反射すれば視力が低下する”
これがアーサーがスティーヴンに放ったファーストコンタクトの言葉だ。
爽やかで気持ちの良かった朝日をゆっくりと避ける様にカーテンを閉めた。
「これで視力低下は回避だなハハ」
口角を上げ独り言を呟いた後、再度資料をぼんやりと眺め始めた。
「ブラックホールかぁ…観測できるとすれば…」
何となくペンを走らせる。
「アーサーが言ってた降着円盤はこう見えるはずだから…」
理屈でペンを走らせる。
「重力レンズ効果で後方の光は歪むんだよなぁ…」
濃い霧の中にあるイメージがどんどん小さくなっていく。
程なくペンは止まる。
、、、
、、、
、、、
「ただいまぁ〜」
玄関からロバートの無邪気な声。ロバートの笑顔はスティーヴンの笑顔にそっくりだ。
「おかえり、ロバート」
玄関から一直線にスティーヴンの部屋に走り込んで来たロバートは、丸いパンになぜかストローを挿していた。
そのストローはパンを貫通している。
「ハハハ、何だい?それは?」
スティーヴンは背もたれにもたれかかりながら息子に質問する表情は疲労困憊だ。
「これは魔法の杖だよっ、ホラホラ」
ロバートはスティーヴンの足目掛けて魔法の杖を振り回す。
「これでパパの足も治るよ」
「ありがとう、ロバートのおかげで治りそうだなハハハ」
その瞬間スティーヴンの脳裏に湧き出て来たイメージ…。
そのイメージが遠のかないうちに、直ぐペンを取りイメージを具現化する。
ペンが走る、走る、走る。
霧が少しずつ晴れていく。
ペンが走る、走る、走る。
「できたよっ、これだよっ、ロバートのおかげだよぉーーーっ」
ロバートはスティーヴンが描いた図を覗き込んだ。
「何これ?」
脳裏を掠め、過っていたがなかなか落ちて来なかったイメージ。
今、天才スティーヴン・ホーキングの元へ舞い降りて来た。
「アハハ、これがブラックホールだよ」




