第132話 case5-曇天の思い
筋萎縮性側索硬化症(ALS)とは、体を動かすのに必要な筋肉が徐々に痩せていき、力が弱くなり思う様に動かせなくなる病気である。
主な症状としては筋肉の低下だが、このALSは筋肉の病気ではなく筋肉を動かしている脳や脊髄の神経がダメージを受ける事で発症する。
脳から筋肉に指令が伝わらなくなる事で手足や喉、舌の筋肉や呼吸筋までもが徐々に痩せていく。
一般的に症状の進行は速く、発症から2〜5年で死に至ることが多い病気である。
ALSと言う難病の診断結果だけではなく、余命宣告まで受けたスティーヴン。
医者からの話が終わると、特に動揺した様子もなくすんなり診察室から出た。
動揺をしていないと言うよりもむしろ、心ここに在らずと言った状態か…。
そのまま覚束ない足取りで病院を後にした。
ジェーンは涙をグッと堪えスティーヴンを支えている。
すぐ近くに大きな公園があり、スティーヴンは芝生へと寝転がった。
曇天の空を見上げるその表情は、雲の切れ間から一条の光を探している様だった。
「全然…大丈夫じゃ…なかったね…」
ジェーンは寝転がったスティーヴンの横で膝を抱え丸く座り、話しかけた。
「…、…、…、」
少し表情が和らいだ様にも見えたが、何も答えない。
ジェーンは泣いてしまわない様…声が震えてしまわない様…一言一言を慎重に言葉にした。
「昨日…オープンしたカフェ…パンケーキが…美味しいらしいよ…マリアが…言ってた…」
視線だけジェーンの方へ動いた。
「今から…行く…?お店…近くにあるよ…美味しいパンケーキと…コーヒーでも…飲もうよ…」
スティーヴンの口角が上がった。
それを見逃さなかったジェーンは昨日のスケートリンクの時の様に、立ち上がり手を差し出した。
ゆっくりと歩き出した2人。ジェーンはしっかりとスティーヴンの腕を掴み、組んでいる。
周りから見れば、ただイチャイチャしているカップルに見えるだろう…。
「お医者さん、これからの事、何か言ってたっけ?」
スティーヴンはジェーンに静かに問いかけた。
「家族を…連れて来てほしいって…言ってた…今後の…治療の方法とか…予定とか…投薬の内容も…」
「そっか、覚えててくれてありがとう…」
大抵の数式や方程式などは一度見たら覚えているスティーヴン。しかし、この日の医者の言葉はあまりにも重く難解な式で、すぐには理解できなかった様だ。
カフェに着くと小さなテーブルを挟んで向かい合って座った。
パンケーキとコーヒーを注文したが、それが来るまで沈黙が続いた…。
「美味しそう…、ねぇ?美味しそうだね?」
ジェーンはほんの少しでもスティーヴンの笑顔が戻る糸口を探していた。
「…、そうだね…、…」
スティーヴンは今日の空の曇天の様に重い。
バニラアイスにイチゴとブルーベリーが乗った賑やかなパンケーキを前にしたが、何をしていても楽しそうないつものスティーヴンはそこには居ない。
1963年スティーヴン・ホーキングがまだ21歳の時の話である。




