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第6章ー41  ハンター達の朝

前回の続きです。ここまで読んでいただいてありがとうございます。


翌朝。


まだ空は夜の色を残している。


窓の外は静まり返り、街灯の光だけがぼんやりと石畳を照らしていた。


リコリスは、すっと目を開ける。


……深い眠りだった。

自分でも驚くほどに。


剣闘士時代、熟睡などほとんどなかった。

常に次の試合を考え、次の命令に備え、どこかで緊張していた。


だが昨夜は違った。

酒のせいもあるだろう。


だがそれ以上に――安心していたのだと気づく。


小さく息を吐く。

起き上がり、静かに着替える。


購買部で買った動きやすい服。


質実剛健。


これでいい。




床に立つ。


深呼吸。


そして、ゆっくりと腕を回す。


首。

肩。

背中。

股関節。


一つひとつ、丁寧に。


伸ばす。

ほぐす。

可動域を確認する。


この工程を疎かにすれば、命に直結する。


それは身体が覚えている。


時代を越え、環境が変わっても。

長年積み上げた習慣は消えない。


むしろ、それだけは裏切らない。


念入りに。

じっくりと。


筋が温まり、関節が滑らかに動き始める。

額にうっすら汗が滲む。


いつも以上に念入りに行う。


今日は初仕事だ。

ハンターとしての初陣。


昨日の――ギルドマスターとの試合を思い出す。


終盤、正直余裕がなかった。


呼吸が荒れた。

読みが追いつかなかった。


あれが事実。


以前の自分は上級剣闘士だった。

だが、ここではド新人ハンターだ。


ゼロからの出発。


「……一から、ですわね」


小さく呟く。


ストレッチを終え、軽く拳を握る。


身体の調子は万全だ。

だが、足りない。


次は走り込み。


扉を開ける。


冷たい朝の空気が頬を打つ。


暗い街路へ出る。

まだ人は少ない。


新聞を配る者。

夜勤明けのハンター。


その横を、リコリスは走り出す。


一定のリズム。

一定の呼吸。


無駄な力を抜く。


脚の運びを意識する。

肺が冷たい空気を吸い込む。


胸が熱くなる。


“自由に走れる”。


命令でも見世物でもない。

自分の意思で走る。


その感覚が、どこか心地いい。


速度を少し上げる。


ギルドの建物が遠ざかる。

朝焼けが、ゆっくり空を染め始める。


ハンターとしては新人。

だが、戦士としては熟練。


その両方を抱えながら、彼女は走る。


昨日より速く。

昨日より強く。


誰かのためではない。


自分の足で、自分の未来を踏みしめるために。

朝の街を切り裂くように、


リコリスは走り続けた。



一定の呼吸。

一定の歩幅。


朝焼けが、街を薄く染め始める。


その時――


前方に、見慣れた背中。


ダリア。

その少し後ろにオルレア。


二人も走っている。


迷いのないフォーム。

無駄のない腕振り。


昨日あれだけ飲んでいたのに、さすがだ。


思わず口を開きかけ


「――」


やめた。


足を緩めない。

視線だけで追う。


胸の奥で、何かが静かに揺れる。


自分は、強くなると決めた。

ハンターとして。


そして――それ以上に。


脳裏に浮かぶ。

灰色の残像。


圧倒的な間合い。

触れられなかった背中。

手も足も出なかった存在。


()()()()


あの高み。

あそこに届きたい。


二人と同じことをしていては、同じ場所にしか辿り着かない。


それは決して悪くない。

彼女たちの強さを、身を以て知っているからだ


だが、それでは足りない。


走り込み。

体力。


土台こそ、差が出る。


ならば――


リコリスは、呼吸を深くする。


一歩。

もう一歩。


速度を上げる。


二人の横を抜けるでもなく。

距離を詰めるでもなく。


彼女達とは別の道へ、曲がった。


負荷の大きい坂道。

石畳が荒れている。


足場が悪い。

心拍が跳ね上がる。


肺が焼けるように熱い。

だが止まらない。


“合わせる”のではなく。


“追い抜く”でもなく。


“超える”。


自分自身を。

そして、あの背中を。


汗が額から落ちる。

脚が重くなる。


それでも。


「……足りねぇ」


自分に言い聞かせる。

剣闘士として鍛えた身体。


それでも、あの剣には届かなかった。


ならば。

基礎から作り直す。


誇りも、経験も、一度脇に置く。


新人として。

挑戦者として。


坂を登りきった時、朝日が完全に昇っていた。

街が黄金色に染まる。


息を荒げながら、空を見上げる。


胸は苦しい。

だが心は、静かに燃えている。


遠くで、ダリアとオルレアの姿が小さく見える。


彼女たちも強い。

だが、自分は別の頂を目指す。


灰の剣聖。

あの高み。


追いつくのではない。


並ぶのでもない。


――超える。


朝の光の中で、


リコリスの瞳は、昨日よりもわずかに鋭くなっていた。




走り込みを終え、宿へ戻る。


足は重い。

呼吸もまだ完全には整っていない。


こんな感じは久しぶりだ。


宿の前で、ちょうどダリアとオルレアに出くわす。

二人も走り終えたばかりらしい。


そして――


ダリアの視線が止まる。


リコリスの額から首元へ流れる汗。

シャツはしっとりと濡れ、呼吸も深い。


一瞬だけ。

ほんの一瞬だけ。


驚きの表情。


(……自分達より、やってるな)


言葉にはしない。

だが伝わる。


リコリスも気づいている。

それでも何も言わない。


ダリアが先に口を開く。


「汗流したら、朝飯行くぞ」


軽い口調。

いつもの調子。


その奥にあるものは隠したまま。


リコリスは微笑む。


「ええ、ぜひ」




部屋に戻る。


鍵を閉める。

服を脱ぎ、シャワーをひねる。


トレーニング後の、ささやかな贅沢。


温水が肩に落ちる。


――気持ちいい。


思わず目を閉じる。

汗が流れ落ちる。


筋肉の張りがゆっくりほどけていく。


剣闘士時代のシャワーは、ほぼ水だった。


素早く。

無駄なく。


休息というより処理。


今は違う。


温かい水が、全身を包む。


何も考えない。

ただ、強くなりたい。


誰かに命じられたわけではない。

見世物でもない。

評価のためでもない。


自分の意思で。


その感覚が、胸の奥で静かに灯る。


(……久しぶりだな)


自分は確かに強くなった、

しかしこの感覚は忘れて久しいものだった。




着替えを済ませ、二人と合流。

ギルドの食堂へ向かう。


朝だというのに、すでに人でいっぱいだ。


鎧の軋む音。

笑い声。


スープの湯気。

活気。


オルレアが言う。


「ここの朝食はうまい。量も、ハンター基準」


昨日の夕食で、リコリスも理解している。

このギルドの料理は、うまい。


剣闘士時代の食事も悪くはなかった。

だがそれは、管理された栄養。


計算された量。


身体を“維持する”ためのもの。


ここは違う。


戦う者が、今日を戦うための食事。


カウンターでトレーを受け取る。

朝のメニューは一つだけだ。


だが、大きな皿を見てリコリスは目を瞬かせる。


パン。

大きい。


スープ。

具だくさん。


サラダ。

山盛り。


そして――

たっぷりの肉料理。


()()()()()()()()()


しっかり、たっぷりだ。


「……なるほど」


思わず頷く。


オルレアがあそこまで言うのもわかる。

かつてのオルレアは沈着冷静。


寡黙。


食事に感想を述べるような人間ではなかった。


その彼女が“うまい”と言う。

それだけで価値がある。


三人、席に着く。


早速ひと口。


パンをちぎる。


スープを飲む。


……染みる。


走った後の身体に、温かさが広がる。


肉を噛む。


適度な塩気、そして旨味。


朝から力が湧く。


「美味しいですわね」


素直な感想。


ダリアは食べる速度が速い。

気づけば、皿が空に近い。


「お代わり取ってくる」


迷いがない。


オルレアは何も言わない。

いつものことだ。


リコリスは、その光景を見ながら小さく笑う。


自由に走り。

自由に食べ。

自由に笑う。


それが、こんなにも満ち足りたものだとは。


フォークを置き、もう一口スープを飲む。


今日から、ハンターとしての初仕事。


未知の世界。

未知の戦い。


だが――


不思議と怖くはなかった。


この場所で。

この二人となら。


そして、自分の意思で進むのなら。


リコリスはパンをもう一口ちぎる。


朝の喧騒の中で、


彼女の中の何かが、確かに根を張り始めていた。




続く

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