第一の試練
あれ?もしかして本当にみんな3時前に寝た?
「う…」
錆びた鉄ようなツンとした匂いで目を覚ます。
手を後頭部に当て、身体を起こす。
辺りを見回すと、見たことのある風景が広がっていた。
ふと自分の手を見る。
猫のように小さく毛むくじゃらな手ではなく、見慣れた細い人間の手が赤茶色に汚れていた。
「なんだ。夢だったのか。リアルな夢だったなぁ…」
だが、やはりそんな訳はなかった。
「誰もいない…こんな昼なのに…私を跳ねたトラックとか…救急車もない…」
自分が座り込んでいる場所をみる。
到底生きてられるはずもないほどの大量の血がアスファルトの上を流れていた。
「ならここは…?私は…?」
しばらくの間、静寂が無人の街を包みこんだ。
…と思われた。
「返してっ!!!」
そう聞こえたと思うと、私の視界が大きく揺れた。
突然の虚脱感と首に生じた鋭い痛みが脳に届く時には―――
倒れ込む私の首から下の姿が目に映っていた。
―――痛い。
ゆっくりと…
――――痛い痛い痛い痛い痛い痛い。
ゆっくりと瞼が下り―――
痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛いあああ、ああ、あああああああああァァァァァァ、ァァ、ァァァァ、ァァァァァァ、ァァァ、ァァァァァァァァァァ、ァァ、ァァ、ァァァァァ、ァ、ァァァ、ァァ、ァァァァァ、ァァァァ、ァァ――――
「ああああああああっっっっ???!!!」
目が、覚めた。
『試練に失敗しました。此度の生命に幸福あれ』
無機質な音声が頭に響く。
「はぁっはぁっはぁっ…は、ぁっ…」
息がうまく吸えず、過呼吸になる。
「づな、がっで……る?」
寝ていた身体を起こして、今先ほど分かたれた首から下を確認する。
興奮で全身の毛が逆立った、モフモフに包まれた身体がそこにはあった。
「もぉぁ〜っ!いきなり気を失って!母さん死んじゃったと思ったわよっ?お腹空いて倒れちゃったんでしょっ?もう夜中よ?!」
空を見ると、とっくに日が沈んでいた。
(あ…れは…?『返して』…?どういう…?)
大きく目を見開き、興奮した状態の私の頭の上を、湿った舌がゆっくりと這う。グルーミングだ。気持ちがいぃ…。
母さんは私の身体を一通り舐めた後に首根っこを咥えて近くの木の上に登った。
咥えられると猫は静かになるというが、私も猫の本能には抗えなかったようだ。
「ほらほら、私のお乳を飲みなぁ?悪夢を見るのはお腹が空くからなんだよぉ〜?」
謎理論だが、確かに腹は空いていた。
20代の大人の私からしたら抵抗感しかない。
しかし腹は正直だ。おとなしく私は母乳を飲んだ。
腹いっぱいに飲めば眠くなる。
小さな子猫は母猫の中で包まった。
「食って寝りゃイヤなことはだいたい忘れられる!…………ふふ……ゆっくりおやすみ…」
(なんというか…心が…落ち…着…)
産まれてから一度も母の愛を受けた事がなかった彼にとっては、未知の感覚だった。
この無性に甘えたくなる心は、本来彼が幼い時に感じるべきものであった。
父親に感謝の気持ちがないわけではないが、前世の彼の人生は孤独に満ち溢れていた。
人生において一度は感じるべき感情を次なる生でようやく感じる事ができた彼は今、とてつもない安心感を感じていた。
そう、ゆっくりと。
ゆっくりと…
母猫の愛情を一身に受けて―――
小さな子猫は瞼を下ろした。
いつも思ってたんだ。なんで精神世界って白い世界が多いんだろって。




