第9話 闇の手
「な、何だと……!? 魔法大国の第一魔法帥が、リリアを引き抜こうとしているのか!?」
翌朝の執務室。金色の伝書魔鳥から受け取った手紙をルシアス陛下に見せた瞬間、大陸最強の皇帝は持っていた高級万年筆をガタガタと震わせた。
その隣では、朝の挨拶に来ていたアリア様が、今にも泣き出しそうな顔で私の両手をぎゅっと握りしめている。
「リ、リリア様……! どこにも行かないでください……っ! 私、リリア様がいてくださるから、この国で安心して暮らせているのです! もしリリア様が海を渡ってしまったら、私、寂しくて毎晩枕を濡らしてしまいます……!」
「アリア様、そんなに泣かないでください。私はまだ行くと決めたわけでは――」
「ダメだ! 絶対に許さん!」
ルシアス陛下が私の言葉を遮り、デスクをバンと叩いて立ち上がった。その必死な形相は、先日の5万の軍勢を相手にした時よりも緊迫している。
「あの海の向こうの魔法大国アルカディアは、優秀な人材を狂ったように集めている国だ。だが、リリアは我が帝国の最高政務官であり、アリアの大切な親友だぞ! 我が国の至宝を、そう簡単に渡してたまるか!」
ルシアス陛下はそう叫ぶと、廊下に控えていた特級密偵のセリア様(元シャーロット様)を激しい勢いで呼び寄せた。
「セリア! 今すぐリリアの待遇をさらに引き上げろ! 基本給を現在の2倍、いや5倍にしろ! 有給休暇は年間100日だ! それからリリアの執務室に、最高級のふかふかソファと、毎日焼きたてのケーキが届く魔法の冷蔵庫を設置しろ!」
「は、はあ……。陛下、さすがに公務員への特別待遇としては前代未聞ですが……まあ、リリア補佐官の有能さを考えれば当然の先行投資ですね。すぐにお手配いたしますわ」
セリア様は苦笑しながらも、素早く手帳にメモを取る。
前のブラック泥舟国家では、どれだけ徹夜しても「無能」と罵られていた私が、今や大国の皇帝から「5倍の給与と大量のケーキ」で必死に引き留められている。有能さを正しく評価されるというのは、本当に素晴らしいことだ。
「リリア。これでも足りないと言うなら、我が帝国の国庫にある魔導具をどれでも好きなだけ持っていっていい。だから頼む、アリアのために、私のために、この国に残ってくれ……!」
大陸最強の皇帝が、一人の補佐官に向かって本気で頭を下げて懇願してくる。
アリア様も、涙目になりながら私の顔をじっと見つめている。そんな二人のピュアで必死な様子に、私のプロデューサー魂と「推しを守りたい心」が激しく揺さぶられた。
「ふふ、ルシアス陛下、アリア様。そんなに心配されずとも、私はガルディア帝国を去る気など毛頭ございませんわ。大好きなアリア様の甘々生活を特等席で応援する任務が、まだ残っていますもの」
「本当ですか、リリア様……っ!」
「ああ、良かった……。これで夜も安心して眠れる……」
アリア様はパッと表情を輝かせ、ルシアス陛下は胸を撫で下ろしてソファに崩れ落ちた。
まずは一安心、と私はコーヒーを一口すする。給与5倍とケーキの特権はありがたくいただくとして、問題は手紙を送ってきたアルカディアの「第一魔法帥」だ。
私の噂を聞きつけて、近々極秘裏に伺うと書いてあったが、帝国の最高峰の警戒網をすり抜けて侵入することなど、いくら魔法大国の大物でも不可能なはず――。
そう思った、まさにその瞬間だった。
パキィン、と執務室の中央の空間が、ガラスが割れるような音を立てて歪んだ。
「――おやおや。ずいぶんと手厚い引き留めにあっているようだね、稀代の有能補佐官」
歪んだ空間から光の粒子と共に現れたのは、白銀の長い髪に、妖しく輝く紫色の瞳を持った、絶世の美貌を持つ青年だった。全身に纏う圧倒的な魔力は、一目で常人ではないと分かる。
ルシアス陛下とセリア様が、瞬時に武器を構えてアリア様を背後に庇った。
「空間転移だと……!? 我が帝国の三重の魔導結界を突破して現れるとは……お前がアルカディアの、第一魔法帥ギルバートか!」
ルシアス陛下が鋭い殺気を放つが、現れた青年――ギルバートは、それを優雅な一礼で受け流した。そして、真っ直ぐに私のデスクへと歩み寄り、私の手を取って跪いたのだ。
「はじめまして、愛しいリリア。手紙だけでは待ちきれなくてね、直接迎えに来てしまったよ。さあ、あの泥舟を頭脳だけで沈めた君のその才能、僕の国で存分に奮ってみせないかい?」
最高峰のセキュリティをあっさりと破り、皇帝の目の前で堂々と私に求愛の微笑みを向ける魔法大国の天才。
平穏が訪れたはずのホワイト帝国に、私の有能さが引き起こした「最大級の嵐」が、今まさに吹き荒れようとしていた。
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