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第8話 王太子の絶望

 大歓声に沸く王宮のバルコニーを後にし、私はドレスの裾を少し持ち上げながら、地下深くへと続く石造りの階段を下りていた。


 ひんやりとした湿った空気が肌を刺す。ここはガルディア帝国の最奥にある監獄。そこには、国家を解体され、すべてを失った「元の国の罪人たち」が収容されていた。


「あら、ずいぶんと情けないお姿ですわね、シリウス前王太子殿下。あ、今はもうただのシリウスさん、でしたかしら?」


 鉄格子の向こう側で、ボロボロの囚人服を着て床に丸まっていた男が、私の声にビクリと肩を揺らした。


「リ、リリア……!? リリアなのか! 頼む、父上に言って僕をここから出してくれ! 僕は王太子だぞ! あの偽聖女アリアを追放したからって、こんなのあんまりだ!」


 シリウスは鉄格子にすがり付き、涙と鼻水で顔をぐしゃぐしゃにしながら叫んだ。隣の房では、元国王が虚ろな目で壁を見つめたまま微動だにしない。


「父上、ですか? 残念ですが、国王陛下もすでに廃位され、あなたと同じくただの罪人ですわよ。それに、アリア様は偽聖女などではありません。先ほど、ルシアス陛下からの公開プロポーズを受け、我が帝国の次期皇后となられることが正式に決定いたしました」


「こ、皇后……!? アリアが、世界最大の帝国の妃に……!? 嘘だ、そんなの嘘だ! 僕を差し置いてあんな女が幸せになるなんて、認めないぞ!」


 嫉妬と悔しさで顔を歪ませるシリウスに、私はこれ以上ないほど冷徹な笑みを向けてみせた。


「認めようが認めまいが、これが現実です。あなたがシャーロット様……いえ、我が帝国の特級密偵セリア様に騙されて国庫を差し出し、アリア様を傷つけた報いですわ。それから、私が残した引き継ぎ書、やはり誰一人として読めなかったそうですね。おかげであなた方の国は、戦争を始める前に経済から完全に自滅しました。本当に、おバカな方」


「リ、リリア……っ! 頼む、僕が悪かった! 君が僕の新しい王妃になればいい! 君の有能さは僕が一番知っている! だから僕を助けてくれぇ!」


 往生際悪く、私に手を伸ばそうとする元王子。私はその手を冷ややかに見つめ、一歩後ろへ下がった。


「寝言は寝てから仰ってください。私はこれからは、大好きなアリア様の婚約者生活を特等席で応援しつつ、定時退社でたっぷりボーナスをもらうホワイトライフを満喫いたしますの。あなた方は一生、薄暗い鉱山で自分の犯した罪の重さを数えながら、泥水をすすって生きていくとよろしいわ。――さようなら、無能な元上司さん」


 私が背を向けると、背後から「リリアぁぁぁ!」「アリアぁぁぁ!」という、シリウスの絶望に満ちた叫び声が響き渡ったが、私の耳にはもう心地よい音楽にしか聞こえなかった。


     * * *


 翌日から、ガルディア帝国の王宮では、アリア様とルシアス陛下の「甘々すぎる婚約者生活」が本格的にスタートしていた。


「リ、リリア様……! どうしましょう、ルシアス陛下が、朝から『アリアが寒くないように』って、離宮全体の床を温める魔導具を特注してくださって……。それに、私が少しでも疲れた顔をすると、すぐに抱きかかえられてベッドに運ばれてしまうのです……!」


 執務室に駆け込んできたアリア様は、顔を真っ赤にしながら嬉しそうに悲鳴を上げていた。以前の王国での、すり減るような毎日が嘘のように、彼女の肌はつやつやとしていて、本当に幸せそうだ。


「素晴らしい過保護っぷりですわね、アリア様。陛下、よくやりました!」


 私がサムズアップを掲げると、部屋の入り口から、バツの悪そうな顔をしたルシアス陛下がひょっこりと顔を出した。


「リ、リリア。私はただ、アリアを世界一幸せにしたいだけだ。……今日もアリアのために、帝都で一番人気のスイーツ職人を呼び寄せたのだが、やりすぎだっただろうか?」


「いいえ、陛下。完璧です。もっと甘やかして差し上げてください。その代わり、午後の公務の書類だけは、定時までに私のデスクに回してくださいね?」


「ああ、もちろんだ。リリアの事務処理のおかげで、私も公務が早く終わり、アリアと過ごす時間が増えて本当に助かっている」


 大陸最強の皇帝が、私の前で頭を下げて感謝してくる。有能な部下としてこれ以上の快感はない。私はアリア様と陛下が仲良くスイーツを食べている尊い姿を特等席で眺めながら、最高に癒やされる時間を過ごしていた。


 ――しかし、平和でホワイトな新生活は、そう長くは続かない。


 その日の夕方。私が定時退社の支度をしていると、執務室の窓をコンコンと叩く音がした。

 見ると、そこには美しい金色の毛並みを持った、見慣れない「伝書魔鳥」が止まっていた。その脚にくくりつけられていたのは、純金の刺繍が施された、明らかにただの貴族のものではない極秘の手紙。


 首を傾げながら手紙を開いた私は、その差出人の名を見て、思わず目を見開いた。


『ガルディア帝国の有能なるリリア補佐官へ。貴殿の噂は我が国にも届いている。泥舟を沈めたその稀代の頭脳、ぜひ我が「魔法大国」のためにも貸してはもらえないだろうか。近々、極秘裏にそちらへ伺う――海を越えた同盟国の、第一魔法帥より』


 アリア様と陛下のハッピーエンドへ向けて、ようやく平穏が訪れたと思った矢先。私の有能さを聞きつけた「隣国以上の超大物」が、早くも私を引き抜こうと、不穏な影を落とし始めていた。


読んでいただきありがとうございます!

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