第5話 国王陛下の怒号
「シリウゥゥゥゥスッ!! 貴様、自分が何をやらかしたか分かっているのかぁぁぁ!」
ところ変わって、私たちが脱出したブラック泥舟国家の王宮執務室。
そこでは、地響きのような怒号が鳴り響いていた。
怒り狂っているのは、この国の最高権力者である国王陛下。その手には、王家に代々伝わる儀礼用の大剣がガチガチと音を立てて握られている。
「ち、父上!? なぜそんなに怒っておられるのですか! 僕はただ、我が国を裏切って隣国へ逃げた偽聖女アリアと、不敬なリリアを処罰しようと――」
書類の山に埋もれていた王太子シリウス殿下は、引きつった笑みを浮かべながら言い訳を並べ立てる。だが、その言葉が国王陛下の怒りに油を注いだ。
「黙れ、この大馬鹿者がッ! アリア殿が消えたことで、我が国の全土を覆っていた大結界の出力は三分の一にまで低下した! 各地で魔獣が暴れ狂い、神殿は大パニックだ! それを『偽聖女』だと!?」
「え……? あ、いや、それは一時的なもので、僕のシャーロットが神聖な力に目覚めればすぐに……」
「そのシャーロットとやらも、今朝早くに忽然と姿を消したわ! しかも、王室の秘密金庫から、国家予算の半分に匹敵する額の魔導金貨を持ち逃げしてな!」
「なっ……!? しゃ、シャーロットが、僕を裏切った……!?」
シリウス殿下は白目を剥いてガタガタと震え出した。
そう、すべては隣国の特級密偵セリア様の計画通り。おバカな殿下をハニートラップで骨抜きにし、合法的にアリア様と私を奪うだけでなく、ついでにこの国の軍事資金まで根こそぎ奪い取っていったのだ。素晴らしい手際である。
「さらにこれを見ろ! 隣国のルシアス皇帝から、直筆の抗議書簡が届いた! 我が国が放った暗殺者が、ガルディア帝国の離宮を襲撃したという決定的な証拠付きでな! これは国際法違反、事実上の宣戦布告だぞ!」
国王陛下が床に叩きつけたのは、私が昨日、笑顔で転送してあげた「暗殺ギルドの魔導契約書」の写しだった。
「ひっ、ひいいいっ!? そ、それは、リリアが悪いのです! あいつが急に退職届なんて出すから、明日からの政務の引き継ぎが全く分からなくて、僕がパニックになって……!」
「リリア殿だと!? あの優秀な筆頭補佐官を、お前が夜会で一方的にクビにしたのだろうが! 彼女が残した引き継ぎ書は高度すぎて、我が国の凡庸な文官たちでは1行も理解できん! おかげで今日提出されるはずだった全領地の税制決済が完全ストップだ!」
国王陛下の怒りの大剣が、ついにシリウス殿下のデスクを真っ二つに叩き割った。
「お前を王太子から廃嫡し、即刻幽閉する! ……おい、今すぐガルディア帝国へ特使を送れ! 何が何でもリリア殿とアリア殿に頭を下げ、国へ戻ってきてもらうのだ! 二人が戻らねば、我が国は今月中に滅びる!」
ボロボロと涙を流して許しを乞う元王太子を冷ややかに見下しながら、国王は必死の形相で叫ぶのだった。
* * *
「あら、向こうは随分と賑やかになっているみたいですね」
ガルディア帝国の美しい庭園が見渡せるテラス席。
私は極上のスコーンに高級ジャムをたっぷりと塗りながら、手元の魔導通信機に届く「元国の阿鼻叫喚」を優雅に眺めていた。初日から王太子廃嫡とは、予想以上の自滅スピードである。
「本当に、リリア補佐官の仕込みは完璧ね。あのバカ王子、今頃地下牢で泣いているわよ」
隣の席で、メイド服に着替えたセリア様(元シャーロット様)が、楽しそうにクスクスと笑った。持ち逃げした国家予算は、すべてアリア様の新生活資金と、私の特別ボーナスとしてルシアス陛下から支給されることが決定している。どこまでもホワイトな職場だ。
「さて、元の国のゴミ掃除は終わりましたし、そろそろ本番にいきましょうか。陛下、準備はよろしくて?」
私がテラスの奥へ視線を向けると、そこには、いつもの冷徹な皇帝の防具を脱ぎ捨て、上質な私服(シックな黒のコート)に身を包んだルシアス陛下が、ひどく緊張した面持ちで立っていた。
「……ああ。リリアに言われた通り、アリアの好む服装と、エスコートの手順はすべて頭に叩き込んだ。だが、本当にこれで上手くいくのだろうか……?」
大陸最強の軍事力を誇る冷徹皇帝が、まるで初めての発表会を控えた子供のようにそわそわしている。ギャップ萌えにもほどがある。
「大丈夫です、陛下。アリア様は本日、私の見立てた最高に可愛いドレスを着て来られます。陛下からの『初デート』のお誘いを、あの方はずっと楽しみにされていたのですから」
私が太鼓判を押したその瞬間、テラスの扉が静かに開いた。
そこに立っていたのは、淡いピンク色のパフスリーブドレスに身を包み、少し恥ずかしそうに頬を染めたアリア様だった。いつも結んでいた髪をゆるく巻き、ハーフアップにした彼女は、まるで妖精のように可憐だった。
「ル、ルシアス陛下……お待たせいたしました。その、お洋服、変ではありませんか……?」
アリア様が上目遣いで尋ねる。
その瞬間、ルシアス陛下の動きが完全に停止した。あまりの尊さに、心臓が止まりかけているのが目に見えて分かる。
「ああ……とても、可愛い。世界中のどの宝石よりも、美しい、アリア……」
消え入りそうな声で、しかし限界まで絞り出した陛下の本音の賛辞に、アリア様は顔を真っ赤にしてフリーズしてしまった。
(はい、尊い! 実に対照的なピュアカップルですね! 私のプロデュース魂が歓喜の悲鳴を上げていますわ!)
私は二人の背中をそっと押し、庭園の奥にある「皇帝特製・最高級魔導観覧車」が待つデートコースへと送り出した。
これでもう、邪魔するものは誰もいない。二人のじれキュンな恋路を、特等席で見守るだけ――そう思っていた。
しかし、二人が庭園の奥へ消えて間もなく、離宮の正門前に、信じられないほどのスピードでボロボロになった「元の国の特使の馬車」が、土煙を上げて滑り込んできた。
馬車から飛び出してきたのは、かつて私を見下していた元同僚の文官たち。彼らは私の姿を見つけるなり、地べたに這いつくばって泣き叫んだ。
「リリア殿! 頼む、戻ってきてくれ! 君がいないと国が回らないんだ!」
甘いデートの裏で、ついに泥舟国家からの「必死の勧誘(泣き落とし)」が始まろうとしていた。
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