番外編3 嫌われた!?
定時退社。それは、ブラックな過去を頭脳で粉砕した私が手に入れた、絶対に侵してはならない絶対領域だ。
完全週休3日、毎日17時ジャストの直帰を誓うガルディア帝国の最高財務補佐官リリア・エインズワースは、本日も完璧な効率化により、16時52分にすべての業務を完了させていた。
あとは鞄を持って立ち上がるだけ――そう、勝利の瞬間は目前だった。
バリサクゥゥゥン!!
静寂を切り裂き、もはや伝統芸能の域に達した「執務室の扉の完全破壊」が執り行われた。これで今月5枚目だ。王宮の予算を管理する立場として、そろそろ扉の材質を鉄壁の魔導合金に変えるべきだと本気で電算処理(計算)を始めている。
「リリアァァァ! 終わりだ、すべてが終わった! 今すぐ帝国の全財産をアリアに譲渡する書類を作れ! 私は今日、皇帝の座を退き、全土を放浪する罪人となる!」
涙と鼻水で端正な顔をぐしゃぐしゃにしたルシアス陛下が、猛烈なスライディング土下座の姿勢で私のデスクに突っ込んできた。
「……はぁ。陛下、定時8分前の退位宣言は、私の定時直帰の権利に対するテロ行為ですわ。何度言ったら分かるんですの?で、今度は我が国のどの特級魔導結界が破られたのですか?」
「アリアに、嫌われたぁぁぁぁ!!」
「は?」
私と、隣で優雅に暗殺用の毒薬を調合していたセリア様(元シャーロット様)のツッコミの視線が、同時にマイナス200度へと急降下した。
扉の残骸の向こうから、目に涙を溜めてオロオロとしたアリア様(元聖女の現皇后様)が、小さな手をお胸に当てて走ってきた。
「ち、違うのです、リリア様! ルシアス様がまた朝から私の髪を1本編むたびに『尊い……国宝にしよう……』ってブツブツ仰るから、少し恥ずかしくなって『もう、ルシアス様なんて知りません!』って言って、お部屋を飛び出してしまっただけで……っ!」
「まあ、アリア様! なんて可愛らしいプチ反抗期かしら! ……で、陛下。それがなぜ全財産譲渡と退位になるのですか?」
私が冷徹極まりないビジネススマイルで問い詰めると、ルシアス陛下は床に頭を叩きつけながら絶叫した。
「いいかリリア! アリアに『知りません』と言われたのだぞ!? これは事実上の『国家からの追放宣告』であり、世界で最も残虐な極刑だ! アリアを怒らせた私の存在自体が世界の大罪! 私はもうアリアの隣に立つ資格のない、ただの無能な泥舟(元王子)と同類のクズだ! 今すぐ私を地下牢に幽閉し、毎日アリアへの懺悔の書状を1万枚書く刑に処してくれぇぇ!」
「ご希望通り、今すぐ書類の手続きなしでそのバカな脳細胞ごと消滅させて差し上げましょうか、この限界オタク魔王」
「無理だ! アリアに嫌われた絶望で、私の魔力が暴走して帝都の全天候が明日から永久に『血の雨(どしゃ降り)』になる結界が自動発動しそうだ!」
ルシアス陛下はそこまで言うと、あまりのパニックと絶望(完全な被害妄想)に耐えきれなくなったのか、白目を剥いてその場にバタァン!と倒れ込んだもはや様式美を通り越してただのバグである。
「ル、ルシアス様ぁぁぁ!? 嫌ってないです! 大好きなのに、どうして伝わらないのですかぁぁ!」
アリア様が泣きながら陛下の胸元に飛び込み、ポカポカとお手手で叩いている。尊さで空間の歪みが発生しそうだ。
「セリア様。いつもの『正気戻し(絶対零度ハリケーン)』の時間ですわ」
「任せて、リリア補佐官。今回は魔導冷却水をドラム缶3本分、一気にいくわね」
ドバババババァァァン!!
容赦のない氷水の大洪水が、ルシアス陛下の頭上に直撃する。
「……ブハッ!? 冷たっ……!? 溺れる……!?」
激しい水しぶきと共に正気に戻ったルシアス陛下は、自分の上で涙を流して抱きついているアリア様の温もりを感じた瞬間、全身の動きをピタリと止めた。
「ア、アリア……? 私を、嫌いになったのでは……?」
「嫌いになるわけないじゃないですかぁ! ルシアス様が、私を甘やかしすぎて変なことばかり仰るから、ちょっと恥ずかしかっただけですぅ……!」
涙目でぎゅっと陛下にしがみつき、胸に顔を埋めるアリア様。
その破壊力は、前の国の軍勢5万人の一斉攻撃よりも凄まじかった。ルシアス陛下は一瞬で顔を真っ赤に染め上げると、今度は嬉しさのあまり再び気絶しかけたが、何とか踏みとどまってアリア様を広い両腕でこれでもかと強く抱きしめた。
「アリア……! ああ、私の太陽、私の光! お前がそう言ってくれるなら、私は今すぐ帝国の全法律を『アリアの言うことは絶対』に書き換えて――」
「法律の私物化宣告は3回目ですので、今すぐその口を書類用ホッチキスで留めますわよ、このバカ旦那」
私はすっと前へ出ると、持っていた分厚い『旧王国負の遺産・最終決算書』の角で、ルシアス陛下の後頭部をパコォン!!と完璧なフルスイングで叩いた。
「ガハッ!? リ、リリア……! しかし私はアリアとの和解を祝して国民に金を配ろうと――」
「却下です。無計画な給付金は、その後のインフレ調整と税制再計算の書類を作る私の残業時間が増えますわ。陛下、のろけるのは勝手ですが、早くアリア様の手を引いてお部屋に戻り、美味しいお茶でも飲んで機嫌を直してもらいなさい。ほら、業務の効率化ですわよ」
私が冷徹に指示すると、ルシアス陛下はハッとした顔になり、アリア様をお姫様抱っこでひょいと抱え上げた。
「分かった、リリア! 今すぐ部屋に戻って、アリアに一日中愛を囁き続ける公務・・・に戻る!」
「ふぇっ!? ルシアス様、恥ずかしいですぅ」
二人の周囲に、再び物理的なピンク色のオーラが立ち込め、オフィスが急速に糖度2000%の空間へと変貌していく。
「やれやれ。ギルバート様、空間の歪みから覗き見してないで、あのバカ夫婦の部屋の防音結界を強化しておきなさいな」
私が壁の影を睨みつけると、魔法大国のギルバート様が「ハハハ! バレていたかい。いやあ、世界最強の皇帝を書類の角だけで黙らせる君の有能さ、今日も最高に痺れるね!」とお腹を抱えて大爆笑しながら姿を現した。
時計の針を見ると、時刻はちょうど「17時00分00秒」。
「それでは皆様、私は定時ですのでこれにて完全シャットダウン(退社)いたしますわ。陛下、壊した扉の修理代は来月の陛下の『お小遣い(皇室費)』から全額天引きしておきますので、よろしくて?」
私は鞄を手に取り、背後で「待ってくれリリア! お小遣いカットはアリアに貢ぐ宝石が買えなくなるから困るぅぅ!」「リリア様、お疲れ様でしたぁ!」と叫ぶバカ夫婦を置き去りにし、一秒の無駄もなく、破壊された扉の跡から颯爽と脱出した。
どれだけ周囲のバカ夫婦っぷりが国家規模に暴走しようとも、私の有能さと、最高の定時退社ホワイトライフは、明日も完璧に守られるのだった。
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