番外編 帝国緊急事態宣言!?
ガルディア帝国が世界に誇るホワイト職場の象徴――それが私のオフィスだ。
完全週休3日、毎日17時ジャストの定時退社。一生遊んで暮らせる特別ボーナスを手に入れた私、リリア・エインズワースは、本日も優雅に最高級マカロンをサクサクと嗜んでいた。
時計の針は16時40分。あと20分で至高の定時退社だ。
今日も完璧に事務処理を終わらせ、完璧なライフワークバランスを達成――そう確信していた、まさにその時だった。
バァァァン!!
執務室の重厚な扉が、まるで大型魔獣でも突進してきたかのような勢いでブチ破られた。
現れたのは、シックな部屋着に身を包んだ、我が帝国の最高権力者であるルシアス陛下。その後ろには、顔を真っ赤にしておろおろしている、私の大好きな推し(元聖女の皇后アリア様)の姿があった。
「大変だリリアァァァ! 国家存亡の危機だ! 今すぐ私のために『帝国緊急事態宣言』の書類を作成しろ!」
大陸最強の冷徹皇帝が、髪を振り乱して私のデスクにしがみついてくる。
「……はぁ。陛下、定時20分前の緊急事態宣言は、私の残業代への宣戦布告と見なしますわよ。で、一体どこの国が攻めてきたのですか?」
「アリアだ! アリアが攻めてきたんだ!」
「は?」
私が冷たい視線を送ると、陛下は胸ポケットからハンカチを取り出し、ガタガタと震えながら咽び泣き始めた。
「さっき、部屋でアリアがな……私に向かって『ルシアス様、お仕事お疲れ様です。……ぎゅっ、って、してもいいですか?』と上目遣いで言ってきたのだ! その瞬間、アリアの周囲に桃色の後光(神聖力)が見え、私の心臓の鼓動が毎分5億回を記録した! あまりの尊さに頭の血管が3本ほど弾け飛び、私はその場に五体投地した!」
「それはただの、いつもの限界オタクのバグ(卒倒)ですわね。却下です」
「それだけではない! 私が床に這いつくばっていると、アリアが心配そうに覗き込んできてな、私の額に……額に、チュッと……ッ!!」
ルシアス陛下はそこまで言うと、あまりの尊さに耐えきれなくなったのか、白目を剥いてその場にバタァン!と倒れ込み、鼻からツゥ……と美しい一筋の血(鼻血)を流して絶命(気絶)しかけていた。相変わらず忙しい男である。
「も、もう! ルシアス様、みなさんの前でそんなお話をしないでくださいとお伝えしたのに!」
アリア様は顔から本物の火が出そうなほど真っ赤になり、ふにふにと小さなお手手で陛下の胸元を叩いている。怒っている姿すら妖精のように可憐だ。ご馳走様です。
そこへ、隣のデスクで帳簿をつけていたセリア様(元シャーロット様)が、冷ややかな目でバケツを構えた。
「リリア補佐官、いつもの『正気戻し(アイス・ウォーター)』いくわね」
「ええ、セリア様。最大出力でお願いいたしますわ」
ザバァァァン!!
激しい水しぶきと共に、ルシアス陛下の瞳からピンク色のハートマークが消え去り、元の冷徹な皇帝の顔へと戻っていく。
「……ハッ。私はまたアリアの美しさという名の精神汚染に負けてしまったのか」
「負けっぱなしですわよ、陛下。毎日毎日、ノロケるためだけに私のオフィスを爆破して突入してこないでください。私のマカロンに水飛沫が飛んだら、来月の国家予算案の文字を全て古代文字の暗号に変えて提出いたしますわよ?」
私が営業用の黒い笑顔で脅迫すると、最強の皇帝は「す、すまない……」とガタガタと震え出した。
「でもね、リリア。ルシアス様は本当に毎日、私のことを甘やかしてくださるのです。昨日も、私が『あの星が綺麗ですね』って言ったら、ルシアス様、本当にあの星を魔法で引き寄せて私にプレゼントしようとして、帝国の天文学会が大パニックになって……」
「アリア、お前が欲しいと言うなら、私は宇宙の法則さえも書き換える男だ」
「まあ、ルシアス様……」
「アリア……」
水を被ってベタベタの男と、真っ赤な顔をした元聖女が、私の目の前で再び見つめ合い、周囲に物理的なピンク色のオーラ(強制純愛ガス)を放出し始めた。もはや前国の惚れ薬爆弾など必要ない。自前で周囲を巻き込む精神汚染を引き起こしている。
「……セリア様、ギルバート様。あのバカ夫婦、もう一度水に沈めてよろしいかしら?」
私が冷徹に呟くと、いつの間にか部屋の隅の空間から現れていた魔法大国のギルバート様が、本気でお腹を抱えて大爆笑していた。
「ハハハ! 相変わらずここの王宮は糖度が高すぎて目が潰れそうだね! リリア、諦めて君も僕の国に来て、僕とこういう甘い生活を始めないかい?」
「ギルバート様、あなたのその安いナンパをあしらう時間は、私の業務外ですわ。お引き取りを」
私が冷たく一蹴すると、時計の針はついに「16時59分55秒」を指した。
「さあ、陛下、アリア様、おバカなイチャイチャはそこまでです。私は定時ですので、これにてドロン(退社)させていただきますわ。お二人はどうぞ、お部屋に戻って思う存分『ぎゅっ』でも『ちゅっ』でもして脳内をピンク色に染めていてくださいな」
カチリ、と時計の針が17時00分00秒を告げる。
私は手帳を鞄に仕舞うと、背後で「待ってくれリリア! まだアリアの可愛さについて語り合って――」「リリア様、お疲れ様でしたぁ!」と叫ぶバカ夫婦を置き去りにし、一秒の無駄もなく執務室の扉(破壊された跡)から颯爽と脱出した。
(―― 番外編・完 ――)
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