第2話 帰還、そして上官への報告
帰りの馬車の中は静かなものだった。ヴィシャは飴玉を舐めながら、子供向けの本を読んでいる。椅子に深く座り込んでいて、寝ているようにも見える。
「ヴィシャ、ちゃんと座りなさい。飴を飲み込んでしまうと大変よ。」
私はヴィシャの肩を叩き、優しくたしなめる。彼女は意に介さず、ページをめくりながら口の中で飴を転がした。
「ローラは心配性だなぁ。ヴィシャ達は神様に守られてるからだいじょーぶ!」
少しご機嫌な様子で、彼女は悪戯っぽい笑みを浮かべ、私を見た。
「ヴィシャ。ちゃんと言う事を聞けよ。」
対して不機嫌極まりないエクレシアは、窓の外を眺めながら冷たく言い放った。彼女は、ヴィシャを一瞥もしない。
「エクレシアこわーい…何でそんな怒ってるの?」
本で顔を半分隠し、ヴィシャはエクレシアを見る。こんな調子だが、声のトーンは小さくなった。きっと、本当に少し怖がっているのだろう。だがその様子が、エクレシアの琴線に触れたようだ。
「…お前が”生死を問わない”って任務はちゃんと守れるのに、ローラの言いつけを守れねーからだよ。」
そう言い、エクレシアはヴィシャを横目で睨む。怒気のようだが、これは敵意だ。ヴィシャに対して敵意を向けるエクレシアは珍しいことだった。ヴィシャもさすがに彼女の言葉を聞いて、何に対する感情なのかは察したようだ。
「でもね。ローラが攻撃されてたの。」
ヴィシャは本に完全に隠れ、弱々しいトーンでエクレシアへ話しかける。
「きっと、エクレシアの事も攻撃しようとしてた。ヴィシャは…あの人より、ローラとエクレシアの方が大事だよ?」
弱々しいトーンだった。だが迷いが無い。強い言葉だった。それを聞いて、エクレシアは目を伏せる。
「そうじゃ、ねぇだろ…」
また、彼女は馬車の外へ目を遣る。ヴィシャは本から少しだけ彼女の顔を見て、また隠れたまま本のページをめくっていた。
「イプシアム騎士団"交渉部隊"ローラ、ただいま戻りました。」
本部のドアを、できるだけ音を立てぬよう、だが勢いよく開け、石畳を鳴らしながら司令室へ踏み入れる。
「ご苦労。」
司令官、ゲール。彼は手元の書類を眺めたまま、怠そうに雑然とした黒髪を掻きながら、雑な労いを放り投げてきた。
「西の集落の時計台は破壊いたしました。事前情報の通り、アーティファクトは時計台そのものに組み込まれており、回収は不可能と断定し破壊いたしました。被害は最小限ではありますが、集落の長であるハイン氏は…」
「あーいいよ、後で書面で見るんだ。君も報告は面倒だろ。」
ゲールさんは、一度もこちらを見ずにすらすらと手元の書類をめくっている。この方はいつもそうだ。報告を中断され、後日、記録の際に齟齬があったと血相を変え、教団本部が私を呼び出す。
「なら、本件について確認の招集には応じなくてもよろしいでしょうか?」
未だ目を上げない彼を見下ろしながら、あからさまに呆れた口調で言質を取ろうとする。
「それとこれとは話は別だろ。てか、いつまで立ってんだ。座れ。」
そう言うと、ゲールさんは部屋の隅に置かれた椅子を指差した。山のように書類を積まれたこの椅子に、どう座れというのだろうかと毎回思う。椅子だけでなく、机にも書類はいくつも山になって積まれている。私は慣れた手つきで椅子の書類を持ち上げ、机の書類に追加して、静かに椅子へと腰掛ける。
「報告は聞かないのに、長話をするおつもりですか?」
「事実報告はいくらでも確認できんだよ。だが現場で誰が誰を殴って、誰が泣いて、誰がビビって漏らしたかは書いてねぇだろ。」
そう言いながら、ゲールさんは机を引っかき回して、引き出しもひっくり返している。引っ張り出した引き出しの衝撃を受け、一つ机の書類の山が音を立てて脱落した。
「本当に物語がお好きですね。どんなおとぎ話をご所望ですか?」
私が呆れて返すと、ゲールさんは筆記用具を見つけたようで、まるで一仕事終えたかのような満足げな顔で、ペンと紙を目の前にパン、と置いた。
「で、ハインだ。強かったろ?」
まるで子供のような表情で聞いてくる。本当に物語について語るかのような楽しそうな口調に、思わず一つため息をついてしまう。
「お知り合いですか?でしたら申し上げにくいのですが…ヴィシャの射撃で、一撃でした。」
「死んだのか?」
「…はい。」
「そうかぁ…」
彼は取り乱す事はしなかったが、寂しそうに遠くを見つめていた。
「…親しかったのですか?」
そんな彼を見たのは初めてで、思わず質問をしてしまった。聞いてから少し面倒な話に巻き込まれてしまうかもしれない、と心配したが、それでも尚気になる態度だった。
「いや、仕事に関係無い話をするつもりはない。」
彼はきっぱり即答して、私はまた思わず笑ってしまった。この笑い声を聞いて『どの口が』と、彼には伝わってしまっただろうか。そうであれば、直接口に出す事なく伝えられたので、私にとってはありがたい。
「それで、強かったのか?」
じれったさを滲ませながら、今度は幾分か真面目なトーンで聞いてくる。
「さっき申し上げた通り、ヴィシャが一撃で撃ち抜いてしまったため…」
彼は首をすくめた。
「それは強かったか弱かったかには関係無いだろ。それともそれが分かる前に殺しちまったのか?」
そう言われると、私も納得するしかない。強さと結末とは、一致しないものだ。
「強かったです。使用を確認できたのは、基礎魔術であるレイアームだけです。戦術面での分析は判断材料が出る前の決着でしたが…出力は桁違いでした。精度も十分でしたし、加護無しで戦うとしたら正直、脅威と呼べたでしょう。」
私はハイン氏に関する戦闘評価を忌憚なく述べた。私たち交渉部隊の3人であれば、おそらく加護が無かったとしても問題なく勝利できただろう。ただ、確実に、被害なく、迅速に”処理”できたかどうかと言われると、自信がない。あの威力の魔術に実戦的な戦術を載せられた場合、苦戦は必至だったと思う。
「民たちはどうだった?」
「民?」
民がどうかしたのだろうか。ふと、ここで聞かれて改めて思い出すと、初めてあの場の異質さに気付いた。戦ったのはハイン氏だけだった。他の人は見守るだけ。だがそれも、野次馬と呼ぶにはあまりに静かだった。怒号を飛ばすこともなく、ただ怒りの視線を向けるばかりで、あまりに統率が取れていた。そう考えると、あの時計台前の人だかり、不自然だ。まるで”隊列”を組んでいたようだ。
「どうした、面白い事でもあったか?」
「…気付きませんでした。注意を払っていませんでしたが…あれはおそらく、包囲陣です。それも、私たちとの交戦を視野に入れた類の。」
彼は、肘をつきながらいつものように気だるげに聞いていた。だがその瞳には、僅かに高揚の光を感じた。
「そういえば、加護がレイアームを弾いた際、建物の倒壊もありました。偶然人がいなかった可能性もありますが、悲鳴も無く静かで…」
そう言いかけ、彼の顔が珍しく驚きの色を見せた。
「待て。それは報告に書いたか?」
「え?あ、いえ、報告書は宿舎に戻ってから作成するつもりで…」
「ならいい。不要な報告だ。」
そう言いながら、ゲールさんは紙に何か殴り書きしている。この人の字は、本当に私が使っている文字と同じものだろうかと、紙に浮かんだ理解不能なインクの染みを見ながら思う。
「しかし、危ないところだったな。加護の用意が無ければ、下手をすりゃ死んでたな。」
楽しそうに笑って筆記を続ける彼に、私は僅かばかりの反感を覚える。
「笑い事ではないでしょう。あの集落が訓練された武闘派集団であるという情報は、把握していなかったんですか?貴方は何かを知っているように見えますが。」
少し前のめりになり、抗議する。今更、この人に何故こうも苛立ちを覚えたのか、私にも分からないが、今、私には珍しく強く彼へ抗議している。
「”善信の加護”があっただろ?屋外で、短時間のみだが、あらゆる敵意、害意を纏う攻撃を一切弾き飛ばす最強の盾。それがある限り、お前たちは傷一つつかない。」
「ですが…」
「それに、加護が無く集落の人間の戦闘練度が高かったと仮定して。あのエクレシア、ヴィシャ、そしてお前のいる交渉部隊が、愚直に正面きって戦闘をおっぱじめるか?」
私はそれを聞いて何も言えなくなってしまった。あぁ、そうか。彼女達への危機のリスクが見過ごされた気がして、カッとなったんだ。だから今彼女達を名指しで間接的に評価され、毒気が抜けた。
「そして何より、生きて帰ってきた。それでいいだろ。」
ペンで私を差し、彼は言い切る。それは分かっているが、それでもあまり納得はしきれない。脅威の低減は、やはりできたはずだ。
「だが何でか知らんが、敵意は見抜けても戦意を見抜けず、"包囲網"を"ギャラリー"と誤認したのは誤算だった。その場で見れば簡単に分かるものだと思っていたが。」
「それは、そう、ですね。」
私にも疑問だった。あの場で目に入ったのは、ハイン氏と、その後ろにある時計台のみ。集中しているようで、私は明らかに集中力を欠いていた。
「まぁいい。とにかくご苦労だった。いい土産話だったよ。」
わざとらしく満足そうに、ゲールさんは手を叩いて話を切り上げた。こうすると、私は立ち去るしかなくなる。消化不良なまま、私は部屋を一礼して去ることになった。




