第11話 一日目、メイドの日常
その夜、私は報告書を書き終え、窓枠に座って柵に肘を置き、ただ外を眺めていた。夜更かしをした住民の家だろうか。いくつかの家に、静かな灯りが灯っているのが見える。だがそれ以外は月明かりで照らされただけの、青白いぼんやりとした集落の輪郭しか浮かんでいない。この実体のない静けさが、今日という強烈な一日に優しいベールをかけてくれた。
”汝、汝と共に在れ”。
これは我らイプシアム教団の、最も象徴的で代表的で、核となる教えだ。人は、人それぞれの考え方を持つ。仁徳も、悪徳も、自己弁護も、他者の庇護も、全て独立した一つの考え方。それは、全てが尊重されるべきだ。強要し、統一し、弾圧されてはいけない。人は平等なのだという考え方が、この宗教の根本にある。
彼は。エルデは、この考え方を受け入れるのだろうか。彼が本当に、教団の事を何も知らないのかどうかは分からない。だが、きっと”教団がアーティファクトをどう使うか”に興味がないのは間違いないのだろう。もしそこが興味の対象であれば、対外的に体裁を繕った”顔である我々”ではなく、”教団そのもの”を俯瞰した方が手っ取り早いし、その観察ができるだけの情報網も、エルデを今日見た限りでは掌握しているように見える。
彼は、”教団にアーティファクトを渡す事”に注目していない。「我々を見せてほしい」という言葉を考えると、”私たちがアーティファクトを預けるに足り得る人物か”を見ている気がする。だが、何故?我々にアーティファクトを預けたとしても、渡る先は教団だ。まさか我々が持ち逃げする、とは思っていないだろう。
エクレシア、ヴィシャは、極めて教団的な考え方の人間だと思っている。エクレシアは、人を人として、獣を獣として愛する心を持っている。ヴィシャは物事の本質を見抜きながら、懸命にその人が”なろうとしているもの”を尊重する。年長者の私が、もしかしたら最も教えに辿り着いていないのかもしれない、と思う事がある。だが、私は”汝、汝と共に在れ”という言葉に救われた。その言葉に救われ、最も長く寄り添い続けたのだから、その考え方自体は、私に根付いているはずだ。
我々がそれを示す事によって、彼は満足するだろうか。彼に小手先の技術が通用しないのは、今日嫌というほど実感させられた。
明日からの5日間。教義を伝えるのではない。見せるのだ。まずは教えるための教義ではなく、私たちに染みついた教義を見せる。それがこの五里霧中の交渉の、大事な一歩になるはずだ。
翌日。屋敷へ向かう道中で、ヴィシャの一言からアーティファクトに関する話題になった。
「エルデさんの持ってるアーティファクトって、どんなのだろーね?」
「そうねぇ…杖、という事だけは分かっているのだけれど、能力については未だに情報は無いわね。」
アーティファクトの能力は、一言に奇跡を起こすと言っても、実に多種多様だ。その規模も、発動条件も、再現性も、ひとくくりにできるとは到底言えない。似通った能力は存在しても、全く同じアーティファクトというものは今まで確認されていない。
「グレイランドのアーティファクトみたいな、めんどくさいやつじゃないと良いけどなー。」
エクレシアが笑う。
「あー、あの何でも変えちゃうやつ?面白そうじゃん!」
グレイランドの村で保管されていた、”常世の岩板”。一定距離内の物質の一部分を、一定時間ごとに変質させるというとんでもないアーティファクトだ。変質された物質は何かの肉、氷、木、泥、金属など、一切の法則性が見られない。しかも基本的にアーティファクトは人為的な発動が必要になるが、この岩板は特殊で、常時稼働し続けているものだった。その為、回収部隊が保管部屋に入ると異臭はする、石室なのに床は抜ける、液状化した部分も存在する、と散々な目にあったと聞いた。
「ふふ、そういう扱い自体が厄介なアーティファクトの可能性は無いわよ。それならあんな出し渋らないもの。」
常世の岩板の時は、交渉部隊としては楽な仕事だった。所有していた村の男性は、泣いて喜んで譲渡してくれたのだから。
「そりゃそうか。好戦的な能力じゃないといいな。ただでさえあいつら相手に戦いたくねぇし。」
空を見上げながら、彼女はこぼした。それには私も同感だ。戦わずに済むのなら、それがいい。
眼前にあの巨大な門が見え始める。相変わらず、この街道の先にある屋敷としては、異質なほど豪華な屋敷だ。
その門には、アンジェラが今日はしっかりと待ち受けており、私たちの姿を確認するなり開門をしてくれた。
「皆様、おはようございます。お待ちしておりました。」
彼女はいつものように深く頭を下げた。
「おはようございます、アンジェラさん。今日は、少し柔らかい表情に見えますね。」
本心だった。ほんの僅かだが、彼女の顔から事務的な堅さが消えているように感じられる。
「ええ。エルデ様より、『これから5日間、彼女達とは普段通り、ありのままの態度で接するように』との事でしたので。」
そう言い、彼女は踵を返し私たちを先導する。なるほど。そういう事であれば前言撤回だ、と内心笑ってしまった。彼女は、昨日と何も変わらなかった。
これから一体何が起こるのか。私たちには完全に未知数だった。先日の夜の話だが、エクレシアにエルデと話した内容を伝えた。彼女は昨日、アンジェラから「通っていただきます」と聞いた時「どういう事?」という顔をしていた。私からエルデとの交渉で話した内容を聞けば、多少屋敷に通うという異質な要求にも納得できるだろうなと、彼女は期待していたようだ。私からエルデの話を聞いたエクレシアは、「どういう事?」と聞き返した。私にも、ヴィシャにも、当然その意図は分からない。だが、どうやら我々を試すつもりらしい、というのは共通認識だった。
我々とアンジェラは昨日と寸分違わぬルートで庭を抜け、扉を開き、玄関ホールへ入った。だが今日は、昨日感じた視線を感じない。穏やかな豪邸といった風情だ。
「ようこそいらっしゃいました。これがエルデ邸でございます。」
こちらに向き直り、アンジェラは微笑むような目つきでそう言った。これがエルデ邸、か。つまり昨日我々が見ていたエルデ邸は、本来の姿ではない、という事だろう。
「…そうですか。歓迎していただけるのですね。」
僅かに挑戦的な視線を載せ、彼女へと言の葉を差し出す。
「そうですね。そう捉えていただいて差し支えないかと。」
彼女は常に冷静で淑やかではあるが、その本質はかなり攻撃的なようだ。少し心地良い小競り合いを続けていると、この屋敷に似つかわしくないバタバタとした足音が聞こえた。
「おぉ、来た来た!」
見るからに嬉しそうな顔をして、やや大柄な影が屋敷の中二階から駆け下りてくる。その彼女の、ペイルの姿は、昨日見たままのような、昨日とはまた違ったような面影に見え、奇妙な整合性を保っていた。
少し、背を向けたアンジェラからため息が聞こえた気がする。
「ペイル。お客様の前ですよ。」
ハッキリとした発音で、ゆっくりと語る彼女の声は、子供を叱る親のようだ。
「でも、エルデ様が言ってただろ?『普段通り接しなさい』って。エルデ様の指示を守ってるだけだよ。」
満面の笑みでペイルが返す。その表情は、まるで親に屁理屈をこねる子供のように見える。
「お客様として扱うなという意味ではありません。」
「分かってるよ。だいじょーぶだいじょーぶ。」
そうめんどくさそうに返すと、彼女はがらりと雰囲気を変え、流れるような動きで我々に向かって深く頭を下げた。
「お客様に無礼な言葉遣い、誠に申し訳ございませんでした。お客様を軽んじていたわけではございません。」
その動きは、昨日エクレシアを無理やり連れ出した、あの戦闘狂とは思えなかった。指先にまで波のようにしなやかな揺らぎを湛え、声には安心感を感じさせる低さと芯がある。
「エルデ様の『普段通りの振る舞いをせよとの』ご指示により自然と織り成された言葉です。本日は警備とも、メイドとも違う、生来の私の振る舞いを見ていただく事を目的といたしておりますので…」
ペイルはぱっとその波のような動きをやめ、
「…いつも通りでやらせてもらうから、よろしくな!」
我々を見て、笑顔でそう言い放った。
まるで演者だ。これがエルデ邸のメイド教育か、と感心させられる。彼女は従軍経験者の防衛者であり、エルデにより躾けられた、それも予想するに相当厳しく躾けられた、生粋のメイドなのだろう。
「きちんとメイドされていたんですね。正直、意外です。」
エクレシアが口を開く。言葉遣いこそ丁寧なものの、普段通りの彼女のトーンだ。
「一応、警備員じゃなくてエルデ様のメイドとしてここにいるからな。ぶっちゃけ警備の方が向いてると思うんだけど。」
彼女は苦笑いしながら、エルデの厳しさでも思い出したのだろうか、少し身震いしていた。
「でもメイドのペイルさんもカッコいいです!」
ヴィシャは笑顔でペイルを素直に褒めた。その真っ直ぐな褒め方に、さすがのペイルも少し顔を赤らめたようだ。
「へへ、ヴィシャちゃんだっけ?ありがとな、照れるよ。みんなも堅苦しくしないで、普段通りの言葉遣いでいいからな!エクレシアも、本当はそんなお行儀良くないだろ?」
ニヤニヤとエクレシアの顔をペイルは見つめる。エクレシアは苦笑いしながら、
「普段口悪そうって言いたいんですか?まぁ、いつも通りな感じにします。」
と返した。
「早速試合…と行きたいんだけど、一回始めちゃうとそればっかやりそうだし。アンジェラの目も怖いし。だからまずはお茶と行こう。」
ペイルは、指を鳴らし、今くぐった玄関の外を指差す。
「何であなたが仕切っているのですか。…まぁいいです。ではペイル、そのままお客様方をご案内してください。私はお茶をお持ちしますので。」
そうアンジェラは指示を出すと、踵を返して館の奥へ消えていった。ペイルは扉を開け、わざとらしく一礼してドアマンを演じると、軽い足取りでガゼボへ駆け出していく。しっかりとした足取りなのだが、彼女の動きの軽さは駆けているように見えてしまう。我々は各々、この屋敷の様子の変わり様を見ての混乱を一つ一つ整理しながら、ペイルの後を追った。




