第10話 エクレシア、そして交渉の行方
エルデはその後、アンジェラを呼び、私とヴィシャは彼女に連れられて部屋を出た。ようやく、エクレシアと会える。エクレシアが入っていった部屋へ歩み寄り、ノックしようと腕を上げるが、アンジェラが呼び止める。
「そちらにはエクレシア様はいらっしゃいません。」
ノックに上げかけた手をそのままに、背後の彼女を目の端で捉える。彼女は、今までになく人間的な、狼狽えた表情をした。
「その…誠に申し上げにくいのですが…」
目を合わせず、言葉を濁す。私は毅然と、彼女の方に向き直り、黙ったまま彼女の目を捉える。
「…こちらへ。」
アンジェラはそう言うと、バツが悪そうに私たちを先導し始めた。不思議な事に、その足取りは萎縮した子供のようなちょっとした弱さがあった。
「…なんだろ?」
ヴィシャが不思議そうに呟く。彼女と顔を見合わせ首を傾げながら、私も疑問を抱きながら彼女に続いた。
中庭に案内された私は、言葉を失った。エクレシアとペイルが、木剣を持って対峙している。既にその額には汗が滲み、呼吸も荒い。いつからこうしているのか分からない。
ペイルが地を蹴り、僅かに木剣を振り上げる。エクレシアは一瞬遅れ、打ち下ろされたペイルの剣を横から弾く。そのまま流された木剣はエクレシアの中空を切り、エクレシアはペイルの頭にめがけて振り下ろした。ペイルは弾かれた瞬間に前足で踏みとどまり、一歩下がっていたおかげでエクレシアの剣を受けきれた。エクレシアの木剣が弾かれ、その隙にペイルは顔の横で木剣を構え直し突きを繰り出す。それを見切ったエクレシアは寸でのところで躱し…
と、激しい攻撃の応酬が繰り返されている。その様子を呆気に取られて眺めていると、不意にアンジェラから声を掛けられる。
「大変申し訳ございません。ペイルは、立ち合いが趣味、という域を通り越して、職務に差し支えるほどの熱心さで…私が気付いた時にはもう、中庭へとエクレシア様を連れ出しておりまして…」
見るからに、ペイルの目は楽しんでいる目だ。だから、彼女の趣味に関するアンジェラの言葉に、偽り自体は無いだろう。とはいえ、まさかエクレシアが職務を放棄して立ち合いをしているとは…
私たちに気付いたペイルが、こちらに向き直り、一瞬の間を置いてから慌てて一礼する。エクレシアは続いてこちらを一目見て、気まずそうにそっぽを向いた。
「申し訳ない。彼女から魔物についての話を聞いていたら、それを一網打尽にしたエクレシア殿の実力の程が気になり、いてもたってもいられなくなり…」
私たちの目の前に歩み寄り、ペイルは深く頭を下げた。
「もちろん、護衛を引き離す意図は無かった。全て私の一存だ。すぐに戻るつもりだった。どうかお許しいただきたい!」
この必死さを見ると、どうも嘘はなさそうだ。ただ意図がどうあれ、その軽率さはいただけない。
「アンジェラさん。このような事態は、日常的に発生しているのでしょうか?」
わざと少しだけ威圧的に、彼女へ問いかける。
「…はい、実力のある方をお招きの際は、度々…」
そう言いながら、アンジェラも頭を下げた。まぁ、結果的に何事も無かったなら、私としてはそれでいい。それどころか、これは良い交渉材料だ。
「状況は把握いたしました。親睦を深めるためのレクリエーションである事は理解いたしましたが、彼女は我々の護衛です。今後無断で連れ出すような事はしないようお願いいたします。」
メイド2人は、黙って頭を更に深く下げた。少し無邪気な態度のペイルには申し訳なくも思うが、アーティファクトの交渉とは基本的に状況が悪い。どんな些細な問題も利用させてもらい、少しでも有利な交渉材料を集めなければならない。
「もし強引に我々を引き離すような行為が再度見られた場合、然るべき処置を取らせていただきますので、そのつもりで。」
「はい。再発防止に努めさせていただきます。」
「尽力します…」
アンジェラの声は、間接的にペイルを叱るように強く。ペイルの声は、先程と打って変わって消え入るようにか細かった。
「それでは…このような事態になり至極恐縮ではございますが、皆様をお部屋にご案内いたしますので、そちらで一度待機していただきます。その後、エルデ様と私どもで打ち合わせた上で、私から今後の予定を皆様にお伝えいたします。」
アンジェラは元のしなやかさを徐々に取り戻していた。ペイルがよほどの悩みの種と見える。
「かしこまりました。どうぞよろしくお願い申し上げます。」
私が頭を下げ、続いてエクレシアとヴィシャが頭を下げる。アンジェラは変わらぬ表情でペイルに目配せをし、ペイルはアンジェラと並んだ。その目配せは、心なしかペイルを睨んだようにも感じられた。
通された部屋は、応接室と同じく、静かな落ち着きと威圧感を保っていた。シンプルな柄をあしらったベージュのカーペットに、エクレシアの目よりやや明るいワインレッドのソファがよく映える。
ソファに座り、用意されていたお茶をいただきながら、我々はアンジェラを待つ。ヴィシャが一瞬扉と窓をちらっと見て、いつもの調子でエクレシアに話しかけた。
「ペイルさん、そんなしつこかったの?」
お茶に伸ばしかけていたエクレシアの手が止まる。
「まぁ、な。もちろん断ったさ。結構長いこと。別に身体を動かすのは好きだけどさ、あのねーちゃんほど戦うのが好きってわけでもないし。」
再びエクレシアの手が伸び、彼女も一口お茶を啜った。
「でしょうね。今、私たちの生命線はほぼ貴方が握っているのだから。でも私たちの立場を考えると、ペイルさんの事も無碍にはできないのよね。」
「そうなんだよな。結局押し切られちまった。あの人、魔物との戦いの話したら目キラッキラさせながら聞いてたぜ。もっと学術寄りな話にしとくべきだったよ。」
彼女は、申し訳なさそうにうなだれた。口には出さないが、きっとペイルの情熱に彼女の優しさが負けてしまった、という側面もあるのだと思う。
「楽しかった?」
私には珍しく、ニヤッと上目遣いで試すように彼女を見た。
「おいおい、やめてくれよ!本当に付き合っただけだって!」
詰められて焦る彼女を見たくてからかったが、思った以上にいい反応を見せてくれた。満足だ。
「質問を変えましょうか。…強かった?」
エクレシアはソファに深く腰掛け、上を向いた。
「強かった。やっぱ軍人上がりっぽいな。動きが試合に向けたそれじゃない。削る部位も、仕掛けるタイミングの緩急も、精度が高い。嫌らしい戦い方するよ、あれで。」
エクレシアは手を頭の後ろで組んだ。彼女の荒い息と汗を見るに、互角の削り合いが長く続いていた事は想像に難くない。
「じゃ、エクレシアなら勝てるね。」
笑顔でヴィシャが口を挟む。
「三節棍ならな。あのタイプなら間違いなくやれる。」
彼女の不敵な態度に、私は小さく笑う。
「そんな事言わないの。彼女が聞いたら、また手合わせをねだられるわよ?」
「そん時はまた相手してやるだけだ。今度は二人が見てるところでな。」
私とエクレシアが他愛もない雑談をしていると、ヴィシャが食い気味に割り込んできた。
「エルデ様、優しかったね!ペイルさんも荷物取らなかったし、みんな優しくてよかったー。」
彼女の声を聞き、私とエクレシアは少し姿勢を正す。
「そうね。すぐにアーティファクトの譲渡とはいかなかったけれど、もっとお話する機会も得られた。感謝しなきゃね。」
私がヴィシャに微笑みかけたその直後、遠くから足音が響いた。この心地良さすら感じる、完璧な足音のリズム。じきに彼女が戻ると知らずとも、足音だけでアンジェラだと気付いたかもしれない。
ノックが鳴り、「アンジェラです」と名乗りが上がる。「どうぞ」と私が声をかける。「失礼いたします」と聞こえ、ドアが開く。リズミカルで無駄のないやり取りだった。
「お待たせいたしました。今後の交渉について、お伝えに参りました。」
そう言うと彼女は一礼し、言葉を続ける。
「これより5日間、皆様には当屋敷へ通っていただきます。基本的には私かペイルが付き添い、館内を案内、あるいは指定した範囲内で自由に行動してください。お手数をおかけいたしますが、アーティファクトの譲渡という重大な交渉の決断を控えた上で、エルデ様が直々に判断したいとの御意向でございます。どうかご容赦いただきますようお願いいたします。」
そう言い切り、また彼女は一礼した。
「かしこまりました。それ自体には私どもに異存はございません。ただ、ご要望が…何と申しますか…曖昧で、どういったご意向での訪問となるのでしょうか?こちらとしてもお話の機会をいただけるのであれば、可能な限り教団の教義や歴史などお伝えしたいと思うのですが。」
私の言葉を受けて、アンジェラは静かに首を横に振る。
「イプシアム教団の情報に関して、こちらが望むものはございません。”あなた方自身”をありのまま見せていただければ、それで結構でございます。」
彼女の迷いのない説明に、余計に混乱する。確かに交渉部隊はアーティファクト交渉において、”教団の顔”だ。教団が見せたい顔に整えられているし、滲み出る匂いは教団が見せたくもない側面を読み取らせてしまうだろう。つまり対外的、内向的な側面を交渉部隊を通じて読み取るという意図は、十分に理解できる。それにしたって面談ではなく、明示されない行動の観察、更には自由行動とは…
だが、元より我々に選択肢はない。それに、湖面のように静まり返ったこの従者と、湖の霧のように実態のない主人。彼女達を我々の力を以て変質させる事は、とても叶わないように見える。
「…それでは、明日。同じ時間にお伺いいたします。本日は貴重なお時間をいただきありがとうございました。明日以降もどうぞよろしくお願い申し上げますと、エルデ様にもお伝えください。」
我々は揃って頭を下げた。ふと振り返ると、どういう事?と言いたげな分かりやすい表情をしたエクレシアが私を見返していて、噴き出しそうになってしまった。




