第12話 庭にて、平穏なお茶会
ペイルに連れられた私たちは席に着き、やがてお茶を運んできたアンジェラを迎え入れる。傷が一つも見られないロングテーブルに、彼女は手慣れた手つきでティーカップ、茶菓子を並べると、自身もその端の席へ腰を下ろした。
「まさか君たちとこうしてお茶ができるなんてな。」
嬉しそうに、並べられたお茶に真っ先にペイルが手を付けた。カジュアルな立ち振る舞いでも、お茶をいただく時の通った背筋、音の一切立たぬ所作は、さすがエルデ邸のメイドと言える。私の隣ではヴィシャがふーふーとお茶を冷ましながら、一口啜っている。
「昨日も思ったんだけど、お茶、すっごくおいしいですね!」
彼女はアンジェラへ賞賛の言葉を贈る。アンジェラはそれを受けて、小さく会釈した。
「ありがとうございます。エルデ様を愉しませるだけでなく、エルデ様を尋ねて来ていただいたお客様にも少しでも愉しんでいただく。それがエルデ様の品位を保つ事になりますので。」
「アンジェラはエルデ様一筋だからな。エルデ様を中心に世界が回ってんだよ。」
人懐っこい笑顔を浮かべたペイルに、アンジェラは横目で睨みを利かせた。
「でも、良い事だと思います。アンジェラさんほどの方がここまで敬い慕うのなら、事件なのか、日々の積み重ねなのかは分かりませんが、エルデ様との関係には、よほどの事があったのでしょう。」
私がそう口にすると、顔を動かさずにアンジェラは私を見た。
「あ、そういうの私も聞きたいです。エルデさんとアンジェラさんの関係は気になってて。すごい出会いだったりしたんですか?」
エクレシアが私の後に続ける。彼女らしい、良い連携だ。
「あまり個人的な話をするのは好みませんが。…そうですね、お茶請けの話題くらいは提供すべきでしょう。」
小さくため息をついて、彼女は一口お茶を傾けた。
「とは言っても、大それた話ではありません。ただの商店の販売員でしかなかった私が、エルデ様に憧れた。それだけの話です。」
彼女はカップを置き、思案気に空に目を向けた。
「その昔、私は雑貨屋で販売員をしておりました。大きい店ではあったものの、その中で働く私は特別な存在でも何でもなかった。
はっきり言って、私は優秀でした。完璧に商品を並べ、完璧に尋ねられた商品について答え、完璧に計算ができた。造作もない作業。それ自体、退屈とは思いませんでした。ただ、接客における完璧とは”間違いがない事”ではない。その狭間に、私は少しばかり嫌気がさしていたとは言えます。」
自身の過去を語る彼女は、いささか自嘲的に見えた。見ると、ペイルも彼女の話に聞き入っている。彼女の過去を聞くというのは、私たちが思っている以上に特別なイベントなのかもしれない。
彼女の表情に、僅かに色味が出た。彼が来る。そう私は直感した。
「そんな折、エルデ様が店に訪れたのです。あの方は、あのような量販店にはまるで相応しくなかった。纏っている空気が違った。だというのに、何故かあの方はその空気に馴染んでいた。特別な存在である事が分かるのに、そこにいる事が当たり前である、と感じさせられるのです。」
エルデを実際に見た今、その感覚は分かる気がする。彼はただ”特別な存在”ではない。”特別である事が当たり前な存在”、そう評す事ができるだろう。
「あの方は私に『ランタンを探しているんだけど、どこにあるかな?』と聞きました。私は自信を持って答えた。『貴方様に相応しいランタンは、当店ではお取り扱いがございません』、と。初めてこの時、”接客をした”と感じました。その返答が、お客様に対する、商売としての正しい回答ではない事は分かっていました。ですが同時に、このお客様に最も相応しい品を提供したい、その感情から自然と出た言葉なのだから、これこそが接客なのだと、私はその瞬間理解しました。」
彼女は一息つき、頭上を見上げた。ガゼボの屋根ではない。その遥か先の”天”を見ているような焦点だった。
「あの方はにこやかに言った。『相応しさなど無いよ。ランタンは、ランタンであるから意味があるんだ。』その言葉を聞いて、訳の分からない感情に襲われました。恥と、尊敬と、後悔と、自信と。そして、『でも、ありがとう。せっかくだ、今は君の進言を受け止めよう。』と言い、あの方はお店を去りました。」
5人を包む、一瞬の沈黙。ただの偶然の出会い、その一言で片づけるには、いささか濃すぎる話だ。この沈黙に、エクレシアは、ヴィシャは、何を思ったのだろう。
「全然、大それた話だろ…」
ペイルが口を挟む。その表情を見ると、興味深そうに僅かに口を開いたまま固まっていた。
「私としては、ここまでが話の山場です。このお屋敷へ来た経緯の残りは、ただの流れですので。エルデ様自身はお静かな方とはいえ、お屋敷を見ていただいた通りこれだけの財力のあるお方。私は仕事の合間に必死で情報を集め、このお屋敷に辿り着き、頼み込んでメイドにしていただいた。それがこのお話の顛末です。」
少し遠い目をして、彼女はそう締めくくった。滅多に語らないであろうエルデとの出会いを語り、彼女の胸に呼び起こされた感情は何だろうか。その深くまでは、今の彼女でも読み取る事はできなかった。
「…お茶請けにしては、少し重い話でしたね。」
エクレシアが、少し苦笑いしてそう口を開いた。
「でも、とても興味深いお話でした。アンジェラさんのエルデ様へ向けた情熱の根っこが、少し見えた気がします。」
エクレシアはそう続け、お茶菓子に出されたクッキーを一枚、口へ入れた。
「それは何より。エルデ様の価値観の素晴らしさも、少しでも伝わったならいいのですが。」
「そうですね。名前だけの権力者は多い。エルデ様の価値観とその鑑識眼は、少なくとも地位以上にあるように思いました。」
再び続けられたエクレシアの言葉に、私とヴィシャも静かに頷いた。
そして、ヴィシャはじっとペイルを見る。子供が玩具をねだる時の目だ。
「え?あ、この流れ、次私って感じ?」
若干焦ったように、ペイルがあたふたし始める。ヴィシャは何も言わず、力強く何度も頷いた。
「あーいや、過去話が続いても喋れなくて退屈だろ。私のこそつまらない話だし。お話じゃなくて対話にしようぜ、対話。」
彼女の様子は”慌てふためく”というほどの温度感ではなかったが、遠慮しているような妙な空気があるのは確かだった。であれば、無理に話をさせるわけにもいかない。
「では、またいつかそのお話はいただくとしましょう。それより、うちのエクレシアの腕前はどうでした?」
私がそう切り出すと、ペイルは今度は明確に焦った顔になった。私がまた嫌味を言い始めたと思ったのだろう。
「いや、その事はほんと悪かった…正直言うと、エクレシアが護衛としてここにいるって事もすっかりその瞬間は忘れてて…」
アンジェラは顔を背け、ペイルは顔を伏せている。何だか、聞いたこちらが逆にこちらが申し訳なくなるくらいだ。
「もういいんですよ、何事も無かったんだから。それより、純粋に気になったんです。エクレシアとの手合わせの感触が。」
私は努めて中立的な声のトーンを意識し、誤解を解こうとした。何とか彼女にもその努力は伝わったらしく、今度は顔を輝かせ始めた。
「本当にすごかった!訓練以上に実戦で鍛え上げられた凄味があって、めちゃくちゃ楽しかったよ!だからこそ夢中になり過ぎちゃったんだけどさ…」
最後は恥ずかしそうにしながらも、彼女は純粋に熱弁していた。戦いが好きである事は間違いないのだろう。それも強者との削り合い。それが実戦にどう適用されるかどうか、それが問題だ。
「当然お強いのでしょう。かの有名なイプシアム教団直属の騎士団の交渉部隊、精鋭中の精鋭の3人組。”交渉部隊”などと外交的な名称を掲げてはいても、その実最前線で対応に当たる、いわば遊撃隊と偵察隊と外交官を兼ね備えたような、規格外の責務を請け負う部隊と聞いています。であれば、並大抵の実力では務まらないはず。」
アンジェラの挑戦的な視線がこちらを向く。一瞬ハッとなった。だが、違う。これはただの戯れだ。彼女の恐ろしさは”感情表現のコントロール”だ。挑戦的な態度をはっきり見せているのなら、それは気まぐれのお遊びに過ぎないだろう。
「じゃあ、二人も強いのか!?」
ペイルの目の輝きがこちらにまで飛び火する。私はその顔に、軽く吹き出してしまった。
「少し過大評価されているようにも感じますが、アーティファクトへの最初の接触を任されるという点では、確かに常に前線にいるような状態ではあります。」
もう既に戦力はある程度バレているのなら、これ以上隠していても仕方がない。元より我々はかなり派手に活動している騎士団の、最前衛部隊だ。戦力に関しては、ある程度情報は掴まれていると考えた方が自然だ。むしろ、ペイルのように我々の職務、能力に関して無知という方が珍しい。
「そうなんだ、知らなかったなー。ほら、私本当に最近来たばっかりだから、全然この地方の話には疎くて。」
これも、演技ではないのだろう。ペイルの元軍人としての立ち振る舞い。メイドとしての立ち振る舞い。その気になれば臨機応変に演じる事もできるかもしれないが、これまでを見た限りでは、彼女は演技をして駆け引きを打つという事は好まないように見える。エルデへの忠誠心があるのであれば、”ありのまま振る舞え”という指示も反故にはしまい。
「勉強不足、という事です。」
釘を刺すように、アンジェラはペイルを見ずに一言刺した。
「おっしゃる通りで…」
一応、その自覚はあるらしい。一発で彼女はしょげてしまった。
「さて、ペイル。これ以上貴方の浅学をお披露目するのもいたたまれないでしょう。私は昼食の用意をいたします。皆様を一度客間へご案内してください。」
そう言いアンジェラはすらりと立ち上がると、
「この未熟者が客間へご案内いたします。そちらで一度お寛ぎください。」
と残して一礼し、ガゼボから去っていった。
「何ならアンジェラが一番この中で口悪いよな。」
ペイルは小声で恨み言を言って、私たちの笑いを誘った。




