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微かな光を求めて  作者: stage
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第15話:「レイン・ブラックロー」と呼ばれる男の話

 少女の強烈な一撃により、男は背中から樹木にぶつかった。住宅街と丘を隔てる木々の1つである。ドシン、という大きな音の後、男の身体は崩れ去った。重力に逆らわず、脚をぐでんと伸ばした。幹に背中を預け、上からは木の葉の雨。何枚かは脚の上に降り注いで、それを男は微かな意識の中で煩わしく思ったが、手足の神経は鈍麻して動けなくなっていた。まるで、「吾輩はレイン・ブラックローである」と言わんばかりの座り姿である。

 ブラックローは自身の服を捲った。脇腹の、少女に殴られた箇所だけが赤紫色になっていた。ジンジンとした痛みを脳の中枢に伝えていた。その鋭さは頭の中の血流を直に感じさせる程であった。

 男はどうしようもなくなり、天を仰いだ。その目線の先には、外灯があった。枝が当たりそうで当たらない場所にあった。周りをオレンジに染色させ、ブラックローの青白い肌すらもその明度を高めさせていた。その光に男は顔を顰めたが、どうすることもできず、ただ見つめ続けていた。そうしていても、羽虫の音だけが嫌に煩かった。


 少女が歩いてきた。男は復讐の敵。当然、鬼の形相である。少女の夢に出てきたあの化物の、般若の如き様相である。動けない獲物を前にしても、笑う素振りすら見せない。

 ブラックローは少女の後ろにもう一人の少女が倒れ込んでいるのが見えた。先程、ブラックローが攻撃の魔法を撃ちこんだ相手であった。ピクリとも動かず、瞬きさえしなかった。

「まさか…」

分身の魔法(トリッカ・ファンダム)

 少女がそう唱えると、倒れていた方の少女が消えた。先程の戦闘で少女に攻撃が貫通した際も流血が一切無かったことを鑑みて、その種明かしには確かに合点いった。が、それ以上に、


 この年でその魔法も使えるのかよ…。


 と顔を引き攣らせた。


 少女の年齢で、万民蒼生の魔法以外のものを扱うこと自体が非常に稀有であった。決められた家業を継いだり、余程の才能が無ければ難しい。少女の場合は「変化の魔法(フュージョニズム)」、「分身の魔法(トリッカ・ファンダム)」であったが、例外中の例外であった。

 これらは全て母から直に教わった。戦闘のためではなく、逃亡・回避のための魔法である。そんな母親から教わった魔法を存分に使って、ブラックローを一時戦闘不能にさせたのだ。そう考えると、華麗な復讐劇であった。





 さて、レイン・ブラックローはこういう時でも頭は冷えていた。自身の表の言動と裏の胸中には2点異なる所があったのを自覚していて、それを思慮していた。

 眼前の少女を見る。橙色に照らされたその顔は目元の隈と頬痩せが顕著であった。男にもそれが分かっていた。子どもの貧困に喘いでいる様子は、男の胸にも突き刺さるものがあった。子どもの痛々しい状況を憂う感情を失うほどには、男は落ちぶれてはいなかった。だから、少女が街で行っていたあの偽善の行動まで本当に非難するつもりはなかった。

 また、少女がこちらに向けてくる憤慨と嫌悪に関しては、何ひとつ偽りない純粋なものだと男は思っていた。心当たりはないが、その理由が少女の母絡みであることも、言動から理解できた。だから、子供のそういう致し方ない性分を別に非難しようだとか、そういう思いは一切なかった。少女に対してアンビバレンスであったのだ。戦闘の前の中傷がやや子どもっぽいことも、それが原因であった。

 そう思っていたら足の麻痺は自然と和らぎ、貧乏ゆすりを行えるまでになった。ただ、手は未だに指すら動かなかった。




 少女が男のほんの目前まで来た。

 煮るなり焼くなり好きにしろ、という心持ちで男が待っていると、少女が復讐者としてのお決まりのセリフを発した。

「なんで、お母さんを!お母さんを…!お母さんを、お母さんを…」

 が、その声はディミヌエンド。段々と掠れていって、木の葉の擦れる音に掻き消された。

 ブラックローにとっては、数ある任務の中からどれが少女の母親のことなのか、分からない。分からないから、迂闊なことを喋らないためにも黙秘をするしかなかった。

「いや違う!違う…。」

少女は頭を振った。眉間に皺を寄せ、剣幕は変わらず、震える声が辺りに響いた。

「きっと、ブラックローさんは、何か理由があったんだよね…?誰かに命令されたんだよね…?そうだよね…?」

 意外な発言に男は貧乏ゆすりを止め、固まった。その後口を半開きにして、何も発することができなかった。負傷していることを除けば、「放心」という題名で描かれた絵のようであった。

「あのね。悪い人達には親玉が居て、部下はその命令に従ってるだけのことがあるって本で読んだよ」

「何を言って…」

「だからね、ブラックローさんが悪い人でも、もっと悪い人が居て、命令されたんじゃないのって思って…」


 子どもながらの人見知りのような拙い喋り方で少女は話した。が、それは拙さだけから来たのではなかった。フー、フーと荒い息をして、怒気を込めて話していた様子からもそれが分かる。あるいはその姿は、少女自身が納得できるような合理的な理由を模索しているかのようであった。

 事実、そうであった。少女は夜になると、母親に何度も読み聞かせを頼んでいた。一番のお気に入りは、「13人の勇者物語」である。少女が「変化の魔法(フュージョニズム)」の覚醒で扱った技も、この本から咄嗟に引き出していたのだった。

 少女は世界を救う英雄の話を聞いて、英雄に自身を投影していた。幼少期特有のものであるが、そのことを母に何度も話した。本を掲げて、

「わたし、おひめさまじゃなくて、ゆうしゃさまになる~!!」

と騒いだ。

 母はにっこり笑って、無言の肯定をした。そしてそういう時は、少女に良い成長を与えるために、決まって少女の頭を優しく撫でながら次のようなことを言うのだった。

「そうね。勇者様になれれば、良いわよね。ただね。一番大事なことは、あなたが勇者様になれてもなれなくても、周りの人だけでも愛すること、助けること、それらを止めないこと。これだけは心がけなさい。」

「勇者様は悪い魔物や悪党を対峙するけど、そういう時は一歩引いて考えなさい。歩むだけでは危ない罠に引っ掛かって、後悔することもあるから。そういう存在を知ってしまったとしても、愛する心を忘れないで。」

 少女は、母親の金色の長髪が靡く様子と共に、その言葉を胸に焼き付けていた。復讐を思うたび、脳裏に響いていた。それが今、発揮されたのである。





 少女の言葉を聴いて、レイン・ブラックローは目を見開いた。人生で最大の開き具合であった。生涯の複雑なパズルが解決した。動かないはずの男の手の指が、不意にピクリとだけ動いたのがその証左であった。

 少女の全身を見た。身体中土に塗れていて、汗がその泥の汚れすらも煌めかせていた。それは田舎で親の手助けをする農家の少年のようにも思えた。額の汗を腕で拭う姿を見れば、まさにそれである。

 ただ、男が見澄ましたのはそこではなかった。少女の目だ。瞳孔は燃える程ではないが、赤い。その周りも充血している。感情の表出している部分はやはり「怒り」であった。

 その裏はどうであろうか。少女の目はやや窪んでいた。少女の憤慨からは、この現象は起きない。感情としては悲哀や憐みが近い。そこに少女の発言を踏まえれば、手を差し伸べるような具合である。ブラックローはそれに気づき、ハッとしたのである。


 あるいは、次のように言えば良いのかもしれない。

 ブラックローは疑り深い性格であった。純粋なものほど、その裏を探した。その裏の僅かでもいいから、悪意に満ちている部分を探せばよかったのであった。

 その裏がもし自身に対する献身だとか、慈愛だとか、そういうものであったのなら。純粋の裏がそういうものでのみ満ちていたのなら。人はどう思うだろうか。

 誰にでも裏はある。純粋さを疑った末、その裏には害となる部分が無いどころか、こちらに対する愛しか無かったとしたら、人はどう思うだろうか。それは罪悪感、後悔、悔悟…他にも様々あれど、相手に対する非難には決してならないはずだ。自分の至らなさ、深遠への理解の不足を実感する。そうして相手の顔をふっと見た時、自身に対する裏の思いだけが心の中で肯定されていって、そうすると目の前の者を聖女のように感じるのだ。


 ブラックローはそのことを、少女とのやり取りを経てやっと理解したのである。ヴィクトリアと少女の共通項は、ブラックローだけが味わっていた聖女に似た雰囲気であった。それは「省みる訓練」を経て、疑心暗鬼の兵士の生活の中で、レイン・ブラックローが唯一信じることができた微かな光であった。一筋の光であった。それをずっと追い求めてきたのだ。追いかけてきたのだ。追い続けてきたのだ。まるで曇天の夜空の中でたった一つ光輝く一等星を、梯子を繋げて、繋げて、繋ぎ続けて、手に入れようとするように。それは苦痛の連続、終わりの見えない道。そうやって追い求めて今があるのだ。自分が居るのだ。生きてきたのだ。

 異能を使い、凶悪な事件を起こしてしまった。それは自身の独断だ、私欲だ。トール・ヴィクトリアの部下の兵士が行うことではない。彼女の名をこれ以上、泥で塗りたくはない。

 自分の心情と行動、過去を理解し、どうしたいかを問うた。答えはすぐに出た。そうしたらもう、少女と街への攻撃の意思は微塵も湧かなかった。

 自然、次に浮かぶのは自身への悔恨である。もう自害をしたかった。遺書もいらない。もうこの世から、存在自体を無かったことにしてしまいたい。

 目と口は開いたまま。精神に異常があるのではないかと思われる程茫然としていた。男の視界には照らされた少女の顔だけが映し出されていて、闇夜のものとは思えなかった。


 暫くそうしていると木の幹のでこぼことした感触に痛みを覚えるようになった。それで少し現実に戻ってくることができた。木々の独特な臭いが鼻を刺激する。それに気づいて辺りを見渡してみると、木々の枝が波の如く襲い掛かろうとしているように見えた。少女に何かあれば、こちらの身体を貫かんと主張している様相であった。

 

 向き合わなければならない


 男はそういう苦痛を償いとして受け入れることにした。





 辺りの虫の声が急に静まった。それを見計らったかどうかは分からないが、男は息も絶え絶えにしながらも言葉を紡いだ。

「俺は…俺の居た部隊は…君が言う通り…上からの命令で任務を遂行してきた。言い訳がましいかもしれないが…全ての殺しもそうだ。君のお母さんを連行したのか、殺したのかは…その特徴を教えてもらわないと分からない。が、余程要職に就いている人物でない限り…兵士以外は殺したことは無い。言い方は悪いが…そんな殺しは無駄でしかないからだ。」

 男の自白は続く。その声の調子は、ある意味矛盾はしているが、街のお巡りさんが少年に話しかける様子であった。真っ直ぐに少女を見据えて、話した。

「いくつも任務をこなした。何人も顔を見てきた。俺は人の名前を覚えられる程平穏な暮らしはしていない…。だから…君のお母さんの特徴を教えてもらっても…多分分からないだろう。それは本当に…申し訳ない。ただ…言えることは…俺の居た『特殊任務部隊』は…軍部ではなく、貴族連中の指示で動いたということだ。だから…この部隊の解散時…トール・アルトロス司令も、その娘のヴィクトリアも、殺されたんだ。軍部のクーデターの時にな…。その軍部には一部の貴族も関わっていて…まぁ、良いように俺たちは使われたってことだよ。だから君は、こういう大人にはなるなよ…。もし…君の母親を捕らえるか殺すか命令したのが今も生きているとすれば…その一部の貴族連中になるだろうよ…。」

 凄惨な話に、少女の目はしぼんでいった。自嘲気味に笑っているブラックローを見て、周りの空気は澱んでいくように少女は感じた。男の方は澄んでいるように思っていたが…。

 ともかく、男により詳細な話を聞きだそうとした。が、男の方がそれを遮った。

「異能:降雨(レイン)

 男は天に向かってそう呟いた。少女は身構えるが、宙に浮く土砂物は何も変わらない。男は震えながら空に指を指して、

「安心して…。数分…あれが宙に浮く時間を伸ばした…」

と呟いた。

「止めれないの?」

 少女は男に詰め寄った。その顔色は焦燥に満ちていた。男はその頬を撫で、落ち着かせるように話した。

「僕の異能…降雨は…生物以外の物体に触れると…それを一瞬で粉々に砕き…空から降らせる能力だ。建物も…辺りの地面も…全部。強いだろ?…大きい物や重い物になると降るまでに時間が掛かる…。だが…一度降らせると決めたものは止めることはできない…。時間は伸ばしたから…速くここから逃げて…」

 話し方は一昔前の骨董屋の時のそれであった。もう殺意も、邪気も無かった。あるのは少女を案じる心のみ。「速く行きな」と微笑んだ。





 少女は頭を振った。強く振った。

「街の人が居る、助けないと…!」

 少女は母親に言われた通り、街を愛していた。そして、自身が英雄だとか、救世主になることを好んでいた。たとえ自身がある程度の犠牲を伴うとしても、である。

 男は少女の肩の肌を掴んで、行かせないようにする。

「待って…逃げてくれ…」

「ほっとけない!」

 あどけない顔で、必死の形相でそう答えた。その目に迷いも濁りもなかった。


 ああ、こういう所もヴィクトリアのようだ。


 そう思うと少女の肩から手が離れて、腕は落ち、地面に投げ出された。こういう時、言っても無駄だと男は分かっていたのだ。

譲渡の魔法(エントラスト)

 ブラックローがそう唱えると、ブラックローの胸の辺りから緑色の光が少女の方に向かった。少女もそれを自然と受け入れた。

「僕の…残りの魔力…大事に使って…」


 そうだろ、ヴィクトリア。このまま僕は捕まるけれども、それで良いんだ。これで良いんだ。

 君が「レイン・ブラックロー」というコードネームを渡してくれたみたいに。死ぬ前に「異能」を渡してくれたみたいに。信じて託そう。僕は魔力しか渡せないけど。君の存在がこの世界に確かにあったのだと示したかったけど。この子が居れば…もう…。


 魔力の欠乏により、男は意識を失うことになる。男は満足げに目を瞑った。頭は後ろの幹に自然と寄り掛かる。が、重心がやや右側にあったので、ずるっと倒れ込みそうになった。

 そんな男の頭を小さな手が掴んだ。柔らかい感触ときめ細かさ。あの沈みゆく真紅の夕日と共に、男は追憶する。


 ヴィクトリア…?


 きっと肌の色も白いのだろう。その小さな手は直ぐに離れてしまった。離れてしまったけど、少し右の方に傾いたままで男の身体は倒れない。誰かが反対から寄り掛かってくれているのだろうか。何か幻影のようなものを奥深く感じながら、男は意識を手放した。

 男の寝顔は静かで、安らか。口を少し開けて、鼻を膨らませて、そういう表情がちょっと可愛らしくて。まるで、極楽浄土に居るかのようであった。

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