第14話:土砂降りの話
現在、丘の傍らにて少女と男が対峙している。1人は憎悪を、1人は恐怖をその胸に抱く。夜空による黒色の圧迫が、その緊張を高めていた。
少女は全身で息をし、ぜぇぜぇと喉を鳴らす。呼吸すらも苦痛に感じる様子である。鼻息も荒い。身体、特に上半身がだらりと前に倒れそうになっている。しかしながら目だけはブラックローの方を睨め上げていた。
少女は「周囲にある全ての『もの』を別の『もの』に変化させる」という、前代未聞の魔法を使っている。性質すらも、変化させることができた。前述したとおり、規定された魔法の枠を外れる「覚醒」であり、これらの魔法を「超魔法」という。今回の場合「変化の魔法」の覚醒であるため、「変化の超魔法」と言うべきか。
「超魔法」というのは国に1人居るかどうかの稀有さであることも述べた。希代の者は良くも悪くも突飛な存在になるようで、歴史書にも超魔法と共に伝説的に、又は神秘的に、若しくは猟奇的に載せられることもある。が、「頻出魔法事典」には概要も対処も載っていない。なぜかと言われれば、そもそも例が僅少であることと、強者や巧者でない限り対処が困難であること、事実に反することを極力避ける為に著者が気遣ったことが理由として挙げられるだろう。様々な要因に影響されるため超魔法の強大さは一概には言えないが、ともかく、その存在は国の分水嶺となるということは言える。
少し補足であるが、実は超魔法を詳述している文献は一応存在する。その名は「超魔法列伝」。その中身について、現在伝わっている超魔法とは規模の大きさが異なり、人であることの領域を凌駕しているため、極一部の熱烈な支持者を除いて虚偽のものだと考えている者が多い。例えば、「崩星の超魔法」「全統の超魔法」「蘇生の超魔法」が記載されている。文字だけを見て分かる。終わっている。だから、信用しない者が多い。
ただし、著者が1万年以上前に実在した魔法学者であり、現代にまでその名を轟かせる「賢者」であるから、ただの子どもの落書きのようには済ませない者も一定数は居るらしい。
閑話休題
レイン・ブラックローは、意外にも冷静沈着だった。
痩せた顔はやや頬が下がっていて、急速に老化を遂げているかのようであった。胃の少し下辺りがジンジンと痛く、全身は硬直しており、指先だけは震えていた。しかし、彼の怖気というのは未知の現象に対してのみ働いていたわけではなかった。子供に対する異常なまでの、あの猜疑心がかなりの部分を占めていた。だから、反って頭は冷えていた。
あの魔法は恐らく覚醒した「超魔法」だ。初めて見るが、あれは相当強力な部類に入る。このまま戦うか、逃げるか……。未知への対処、味方は無し。まぁ、普通なら後者だわぁな……。
ブラックローは左手を顎にやり、じっと少女の方を観察していた。油断はせず、目を離さなかった。ふーっとため息交じりの息を吐いた。
流石は元特務部隊隊員、戦略眼は極めて優秀であった。戦場での経験と勘が彼の中で「逃げるべきだ」と囁いていた。そこに至るまでの論理の組み立て方もまさにお手本のようである。こういう時は逃げの一択である。それが正解だ、正解なのだ。
だが、なぜであろうか、ブラックローはその場から逃げようとはしない。逃げようとする素振りさえも見せない。彼はまだじいっと少女を見つめていた。見つめていながら、意識は別であった。ずっと別の何かを思案していた。
少女は子ども。だが、純粋ではない。寧ろ真逆。
「変化の魔法」を使っているということは何かを隠匿したいということ。何か後ろめたい裏があるということだ。そう、思っていた。
レイン・ブラックローという男は人間というのはどんな善人でも、どんな子どもでも、「裏」があるように思えた。純粋なだけであれば、もはやそれは狂人である。偏見、蔑視、それが僅かながらでもあれば、寧ろ男は安心した。たった1人を除いて、皆そのような裏があった。友人も親ですらもだ。それで良いと男は思った。その方が寧ろ、裏にある部分を露悪させれば、自身の本来ある胸の内の蟠りに、溜飲を飲ませることができた。「こいつはきっと悪い所があるに違いない」という穿った見方が癖になっていた。
それがこの男の敗因である。
数分の沈黙が流れた。草木すらない孤独の丘、温い風だけが稀に吹く。その音がやや煩い。
張りつめる空気の重みは、頂点に達していた。いつ割れてもおかしくない。夜の心地よい空気の穏やかさだけが奪われた、そういう具合であった。
段々と、少女の呼吸の音は大きくなっていた。やや過呼吸気味であった。それでもなお、目を睨め上げる。
レイン・ブラックローの貧乏ゆすりも同様に、段々と大きくなっていた。やや挙動不審気味であった。それでもなお、逃げようとしない。
このままだと、さっきの爆音で誰か来ちまうからぁな。俺の目的はこのガキを殺すことじゃぁない。
男が、動いた。
「ちいっっちぇ街の英雄さんよぉ~」
皮肉を込めて、ブラックローは大きな声で呼び掛けた。悪党の憫笑が、痩せた顔に上手く嵌め込まれていた。
「お前がなぁんで『変化の魔法』使って生きてんのか知らねぇけどよぉ、後ろめてぇことがねぇと使う必要がねぇよなぁ……!」
ぴくっと少女の身体が動いた。それに気づき、ブラックローは口角を上げる。
「この国じゃあ、『変化の魔法』の使用は立派な犯罪だ!犯罪!犯罪!犯罪っ!!」
少女の揺すりが大きくなる。少女の口からウッ……!ウッ……!という声が、止まらない。
「お前は寄生虫だ!寄生虫!街の奴らを騙し、その良心を弄び、本来渡さなくても良い金を、子供という弱い立場を悪用して貪り取る。一帯いくら稼げたんだろうなぁ……その偽善で。お前はこの国で、そういう姑息なやり方で生きてただけだ!!!」
「やめて……」
終に声が出た。
「どうなるだろうなぁ、お前の正体がばれたらよぉ……。変化を使っている奴なんざ、怪しい以外の何者でもねぇ。街の奴らは、どんな反応するんだろぅなぁ……」
「黙ってよ……」
「その変化していない姿の方は、やっぱり汚ねぇなぁ。自分のことだけしか考えてねぇ。性根も腐ってやがる。ママの教育の賜だなぁ~」
「黙れ!黙れ!黙れ!黙れ!黙れよ!お母さんを殺したくせに!!お前だけは絶対に、絶対に、許さない!!」
少女は顔をバッと上げた。鼻息を荒くして、顔は真っ赤に。今にも突進して行きそうな様子であった。
男は一言引っかかった。
「お母さんを殺したくせに……?身に覚えがねぇが……」
無意識に首を傾げた。が、直ぐにそのことは頭の中から消し去った。ブラックローは目の前の敵、特に、あの特殊な魔法に意識を集中させる必要があった。
少女への挑発は成功した。怒りに身を任せ、取り乱している。目は腫れ、やや充血していた。その目を、殺意の目を男に向ける。
その瞳の奥には、少女自身の罪悪感と後悔、そして男への俄かな、別の思いを抱いていた。恨みでも憎しみでも怒りでもない、男への別種の感情。男の優秀な観察眼には、それが映っていなかった。
おうおう、おっかねぇ。この年の女の子がする眼じゃねぇぞ、マジで。まぁ、冷静さを失った素人程簡単な相手はいない。粗が出る。その粗を徹底的に突けばいい。
このガキもそうだ。いや、コイツの場合それ以前の問題か……。表では何とでも言えるが、結局みーんな考えることは一緒。自分のことだけだ。自分のことで精一杯なんだ。俺がいくら親身にしていても、結局……。
男は心の中で、そう吐き捨てた。
「攻撃の魔法」
と、ブラックローは黒い魔弾を再び繰り出した。その数、30。速度は前の倍。大きさは、大人と同じ位。
空気を切る音が、少女の耳を貫く。少女の防御の魔法では8か9個を守るのが限度であった。が、少女は少し息を整える余裕を見せた。ふぅ……と息を吐き切ると、
「変化の魔法:空環!」
と唱えた。少女の周りを淡い紫色のドームが覆う。少女に魔弾が着弾しようとする。が、ドームに触れた途端、シューッという音と共に魔弾は小さくなり続け、数瞬で消えた。
全ての魔弾が少女の方に向かって行く。が、何度やっても同じ。少女に触れるより先に消えていく。
少女の唱えた魔法により、周りの空間自体を「自分以外の魔力を消失させる空間」に変化させたのである。これにより、少女は無傷であった。
「ちっ……物理攻撃は意味ねぇと思ったが……ただの魔弾でも同じってことか。なら……。」
魔力の温存も考えつつ、ブラックローは片手を銃の形にした。
「攻撃の魔法、鋭銃!」
と、細く小さい魔弾を発射した。小さいが故に、先程の魔弾よりも魔力の密度は大きい。銃弾の如く少女へと向かい、その腹部の一部を貫いた。
「……!?キャァァ!?!?」
言葉にできない激痛が、少女を襲う。身体や服が土に汚れようとお構いなしにのたうち回った。意識が混濁していく。少女を保護していたドームが空気に解けるように透明になっていき、やがて消失した。
「魔力の密度を高めれば、そのドームも意味を成さねぇようだな……経験の差ってやつだ。超魔法程でなくても、これくらいの応用はできる。」
少女が苦悶し、こちらに攻撃できないと分かるや否や、ブラックローは丘に手を触れた。眉間に皺を寄せ、手に一気に力を込める。
「異能:降雨」
男が異能の名前を発すると、触れていた丘は跡形も無く消えた。
と同時に、空一面の星も月も消失した。逆に、時計台とそれを囲む住宅街の光だけが際立った。少女も傷を抑えながらも、明暗の急激な変化に自然と空を見た。
空は何か黒い物体に覆われていた。街全体を覆っていた。少女は最初雲かと思った。しかし、ごつごつとしている形状のものが多数あり、雲とは明らかに異なっていた。目を凝らして再度観察すると、住宅街の灯りにライトアップされて、やや薄茶色であることが分かった。丁度、少女の傍にあった丘のそれと同じ。まさか、と思って振り返ると、原因の男は、ニヤニヤと笑っていた。
「そうだ。あれは元丘だ。異能を使って空に飛ばしただけさ……。あと数分であの土砂物は豪雨のように降ってくる、街全体にな。お前はもう動けない。何もできない。天国に行けるよう、精々祈ってなぁ~!」
その声に少女は拳を握りしめる。が、もう動く気力もなさそうであった。あの量の土類をどうにかするのは、深手を負った少女には流石に無理そうであった。
目元が前髪の陰で覆われ、腹部の痛みも相まって口をパクパクと動かしていた。少女はその光景をただ見ているだけ、涙を頬に伝らせることだけしかできなかった。
少女の様子を見て、男は満足げに高笑った。
男はより苦しんで殺すことを好んでいた。街を見ながら、しかし何もできず、少女も土砂に埋もれていく。それを想像すると心地よかった。チェックメイト。仕事人の如く、男はその場を去った。
「やっと隙を見せた。」
殺意の声がブラックローの頭に響いた。男の背筋がゾクリとする。後ろをバッと急いで振り返ると、少女が右手に魔力を纏わせ、ブラックローを殴ろうとしていた。
「防御の魔法!!」
ブラックローは咄嗟に複数枚の防御壁を出した。が、もう遅い。少女は後ろに引いていた拳を、男目がけて力強く打ち抜いた。淡い灰色に纏った腕をバットのようにして、思いっきり振りかぶる。
「変化の魔法:纏腕!!!」
普通の腕を「魔力を纏える腕」に変えた。その一撃は、防御壁をガラスのように粉々に砕き、男の横っ腹にめり込んだ。男は余りの痛みに声を上げることすらできず、悔しそうに歯を強く噛み締めながら街の外れにふっ飛ばされた。
時刻は丁度、午前零時を回った頃である。




