第13話:純粋な話
レイン・ブラックローが(サンスベリア王国の)南側隣国の一般兵になったのは10年前のことである。年は20、抽選型の徴兵制だった。徴兵されたら、その生涯を軍人として生きねばならない。当然、強制である。
徴兵は彼の人生も性格もがらりと変えた。ブラックローにとってその日々は苦痛そのものだった。教官の絶え間ない怒号と体罰、厳しい訓練と規則は彼の精神を磨り減らした。雪山を登り、冷たい海を泳ぎ、魔法で死に物狂いの実戦をし、休む暇もなく夜間訓練。ご飯もまずく、少ない。徴兵の環境は地獄そのものであった。
その中でも最も忌み嫌ったのが「省みる訓練」である。
「省みる訓練」とは、一種の告発制度であった。他の訓練兵の粗やミス、罪について全体の前で告発するのだ。告発しないこともまた罪になる。誰かを告白せねばらならない。告白されたものは厳罰に処される、あるいは、訓練がより苛烈なものとなる。だから皆、隣人を味方だとは、友人だとは思わない。
これは相互監視の一種であった。同期との人間関係を絆ではなく、いつ監視されているか分からない恐怖によって支配する。これにより軍規を徹底させ、指揮に一糸も乱れさせないことを強制することができた。南側隣国の軍中央部にはどうも、兵士の心身掌握に長けている者が居るらしかった。
彼、レイン・ブラックローは兵士になるまで、友人というものを宝石のように大事に扱ってきた。そして極度のお人好しであった。子供の頃、友人が親にプレゼントを贈るためのお金を失くしてしまった時も
「ほぉら、僕のをあげるから」
といって、彼のお小遣いを分けてやった。
徴兵の時まで彼は家業の骨董屋を務めていた。店に客が来た時も人よりずっと親身に対応した。頭を下げ、客のことを深く知り、良い商売を心がけた。人を信頼し、愛していたのだ。
が、全てはこの「省みる訓練」で崩壊した。誰かを売らなければならない。そんな折、隣の同期の兵士を売ってしまった。何もしていない兵士を売ってしまったのだ。その時の隣の兵士の表情を、彼は生涯忘れることはできない。そして売られた兵士は、徴兵での基礎の訓練の後、戦場の最前線へと送られたという。
甲斐が無かった。
そうやって何度も自身を安堵させた。が、直ぐに罪の意識に苛まれて、彼は頭の毛を毟り取るかのようにくしゃくしゃと掻いて握り締めた。仲間を売ったという事実が、彼の心の中に深く楔を打ったのである。
「地獄とは他人のことである」
と、ある哲学者は言った。周りの環境は当然のように地獄であったが、「省みる訓練」で同期すらも地獄になってしまった。それが3年間続いた。狂っていた。
3年後、筋肉質の体、戦闘に関する知識と技術を得た。同時に、それ以外の大事なものを失った。血色のあった彼の顔色は今の青白さに染まり、頬骨がうっすら見えていた。帰郷の時、ブラックローの母親はその顔を見て、
「あの…どちら様でしょうか?」
と言ってしまったという。その一言で、彼には国への忠義心よりも寧ろの猜疑心を抱いたことは想像に難くない。
その頃、ブラックローは別のあるものを恐れ始めた。子供である。
一般的には子供というものは小さく、可愛く、無邪気であると感じる。だから、ある程度の倫理観を備え付けている社会であれば少なくとも保護の対象ではあった。これは人間、いや動物における自然な特性であるように見受けられる。
しかし彼は違った。彼にとって子供とは弱く、冷酷で、無知であった。子供は大人より弱いから、扱いにくい。子どもは分別が付きにくく、虫を容易に踏みつぶす姿を見て冷酷であるように思った。そして、何より無知。他の人が子供を愛でるのはきっと、自身より弱く安全な存在であることと、大人には無い純真さがあることに依るのだろうと彼は思案した。子供の純真さを彼は疑ったのだ。
そういう穿った見方はしつつも、彼は親身さを失くしていなかった。子どもに対しても。ただ昔とは異なり、外見を取り繕っているようなものであった。逆巻く心情を顔に出さないだけであった。
それは道路の真ん中を彼が堂々と歩いて街を巡回している時。
市民が兵士を見つけた時、その殆どは目に不安を染み込ませる。一瞬動作を止め、その後何事も無いかのような様相を見せる。恐らくは虚構の罪悪感が市民の生活の流動を刹那的に堰き止めてしまうのだろう。だが、子供は違う。後ろから服を引っ張ってきて、
「かっこいい!ねぇねぇ、いつもどんなお仕事してるんですか?」
と目をキラキラさせながら言った。
敬語が少し混じった独特の話し方、それが鼻につく。兵士という存在を前にして、憂慮という言葉すら頭にないようである。好奇心は旺盛。無知で、至純である。ほんの数年前まで私もこの珍妙な生物だったのかと考えると、忸怩たる思いが湧き出てくる。そう、彼は思っていた。
一応、丁寧に対応はした。ただ、その様は客を不愛想に相手にするようなものだった。不器用とかそういう人間の致し方ない部分の話ではない。彼の親身さを存分に発揮すればよかった。が、それは丁寧に応対すればそれで良しという体裁であった。子供が怪我をしたのなら、その応急処置をすればそれ以上はない。優しい声を掛けることは無い。彼に子供への庇護欲は無かった。
骨董屋という生業から、彼にはやや疑り深い所が元からあった。それは親身だとかお人好しだとか、そういう表皮で隠されていた。それが、徴兵の「省みる訓練」で顕在化した。そして人間には、純粋なものほどその中の濁りを探してしまう性がある。そういうことで、子どもを信用できなかったのである。
頭を抱える日々は無限に続くかのように思われた。が、転機が起きた。それは徴兵されて5年目の時、王城に呼ばれた時のことであった。
登城の日、軍総司令官トール・アルトロスという男に下命された。総司令官は初老で、その顔には左頬に抉れたような深い傷跡があり、荘厳な印象を受けた。ブラックローは襟を正し、その場を臨んだ。
「?????????、君を特殊任務隊の隊員に任命する。一応、昇進扱いだ。」
「はい、ありがとうございます!1つ質問があります。それは具体的に何を行う部隊なのでしょうか?」
隊名を聞いたことが無かったレイン・ブラックローにとっては当然の質問だった。総司令官アルトロスは真っ直ぐにブラックローに目を向けて、
「それは…特殊任務隊の隊長に聞いてくれ。ここでは伝えられない。極秘事項だ。」
と答えた。その生真面目さから、とんでもない役割を貰ってしまったかもしれない、とブラックローは思った。
軍隊内では上からの命令は絶対である。重大な違法行為でない限りは、断ることはできない。そういう風土であった。だから敬礼をして、部屋を後にするしかなかった。
こうしてブラックローは強制的に特殊任務隊の隊員になった。翌日の夕方頃なら隊長が居ると伝えられ、その時間帯に再び王城に出向いた。
王城は絢爛豪華であった。王城は守備を主眼には置いていなくて、国粋を表すことを重視していた。そのため、王城内では芸術性に富んだ工夫が凝らされていた。
ブラックローが長い廊下を歩いていると、ステンドグラス式の窓とガラスの窓が交互にあった。ガラスの窓と言ってもそこに国の自然や動物の絵を雄大に描いていたから、外は見えない。薄い橙色の光だけが差し込んでいる。奥深い人であれば、外はきっと見事な夕景だろうとか思うに違いない。
対してブラックローは、チラチラと窓を見ていた。その様態は興味があると無いとを繰り返すかのようである。廊下を歩くだけでも緊張するのに、外に目をやることもできない。俗なことであるが、どれほどの勘定になるのか、ということだけを考えて彼はその場をやり過ごした。そこに骨董屋の息子としての矜持は特には無かった。
隊長の執務室に到着した。金で装飾されたドアはやはり厳つかった。ブラックローは背筋をスッと伸ばした。
何度かノックする。が、何の返事も無い。
興味本位でドアノブを動かすと、回った。鍵は掛かっていなかった。無礼ではあるが、致し方ない。
ギーッとドアを開けると、そこには書斎があった。王城の部屋には似合わない、質素な造りである。
中には1人の少女…15歳位であると思われる…が机上の書類に目を通していた。少女の忙しなく手を動かしている姿が年齢相応とは相異なり、悟りを開くのではないかと思われる程の集中力と相まって、異様な雰囲気を醸し出していた。ブラックローの方には綺麗な旋毛だけが向けられていた。
彼の入室には気づいていないようなので、切り込むしかなかった。
「あの、もしもし」
その言葉に少女はハッと顔を上げた。相当驚いたのか、座っていたキャスター付きの椅子ごと後ろに下がった。背後はすぐ窓。そのことを失念していたのか、後頭部をサッシにぶつける。金属質の音だけが部屋に響いた。
「イテテ…」
と少女は頭の後ろを撫でた。
「大丈夫ですか?」
とブラックローは敬語になる。
「えっ、ええ!はい!大丈夫!!です!!」
と、顔を赤らめる。身体をあたふたして、取り繕っていた。その様子は年相応で可愛らしかった。
しぐさも仕事も忙しない少女の全身を、ブラックローは漸く見ることができた。
服は王城内で着用する兵士の礼服で、新品の青い装飾…上から7番目の職位を表すもの…を胸に着けていた。髪は青いバッジを薄めたかのような水色でセミロング、身体は年相応のもので、兵士としてはかなりの華奢であった。
ブラックローにとって少女は子どもの範囲内であった。酒を飲んで談笑できるか、年が20を超えるか、これが大人の定義であると彼は定義していた。少女はどちらにも含まれないように見える。そうなれば、こういう無防備な様子は助けたいと思うよりも寧ろ、冷ややかな感情が先に来ていた。
少女は再びハッとした。かと思えば、パァッと笑って、
「あなたが、?????????ね!私が特殊任務隊隊長の『トール・ヴィクトリア』です!よろしく!」
と言った。その言葉に真っ直ぐな直立姿勢をとり、
「宜しくお願い致します!」
と答えた。が、次の瞬間、少女の名前に違和感を覚えた。
「あの。姓がトールということは、もしかして…」
「ええ、総司令の娘よ。義理だけどね。孤児の時、拾ってくれたの!あ、別にあなたは私より年上なんですし、敬語なしで良いんですよ!」
ふふふ、と少女…ヴィクトリアは、片手を口の前に持ってきて笑った。その姿には品があった。一般の兵士には無い品である。そして、義理の父について語るその表情は自慢げであった。
徐に、少女は右手を伸ばしてきた。細くて白い腕、それに小さな手であった。彼が呆然として何もしていないでいると、「握手!」と言ってきたので、慌てて右手を伸ばした。それを少女は握って、満面の笑顔で歓迎してくれた。
こういうことをする上司は彼の元には居なかった。完全な縦社会に居るはずもなかった。一体全体何なのだと、目の前の少女の忙しなさも含めて、怪訝な表情をその硬い表情に浮かべた。
握手を終えるとき、ふと彼女の手の側面に目を奪われた。白くて、きめ細かくて、綺麗な肌。それが手の側面だけ黒い。何度洗っても取れなさそうな程に、黒い。そして先ほどの握手で分かったいくつかのタコ。恐らく、相当に仕事に追われているようであった。机上の書類は、山積みであった。ずっと年下なのに。
彼女の表情を見た。じぃっと。骨董屋の観察眼である。
それは先ほどと変わらず満面の笑み。目を細めて、えくぼを作って、唇はやや開いて、白い歯を薄っすら見せて。ちょっぴり眉は下がっていて。ただこちらをじっと見つめてくれる。
それは清らか。まるで真水のよう。彼女の肌の色と相まって、純白と言ってもいい。素晴らしい。
少女の純粋さは本来なら子供の純粋さと同じはずだった。が、ブラックローは全く別もののように感じた。白いキャンバスの中に淡い水色の点がポツリと打たれている、そういう心証であった。それは純粋であることの価値を失わせるものでは決してない。むしろ逆。少女にとってのその水色の点は、献身という言葉に似たものであると彼は感じた。
頬が緩んだ。思わず荷物を落としそうになった。その荷物を握りしめる左手を3本の指だけ開いたり閉じたりした。廊下を歩いていた時とは異なる緊張感、その中に少しの安堵感が彼の心に広がり、心臓の少し下辺りから温かいものを感じた。
ふと窓を見た。空に沈みゆく夕日だけが際立っていた。もうすぐ夜となるのに、城下町を真っ赤に染め上げる。そのなかに仄かに黒く映るところもあって。
「センチメンタル、みたいだなぁ」
と、彼は不慣れな単語で少し奥深い振りをした。
そして場面は、パーグ街の丘の決闘に戻る。この回想の時、ブラックローはまだ『異能』に目覚めていない。




