第12話:少女は覚醒した。
少女は思い出した。
それは夜という静けた世界が、少女を落ち着かせたからかもしれない。そういう時ほど、嫌なことを思い出してしまう。少女の脳裏に浮かぶのはあの日の情景。その時の五感すらも鮮明に覚えていた。
南側隣国にある小さな村。その少女の故郷に火の手が上がった。逃げ惑う人々。辺り一帯に広がる焦げた匂い。少女の母親の名前を何度も叫んでいる兵士達の怒号。冬の日の異常な光景に、少女はただ茫然とするしかなかった。
少女は思い出した。火を放ったのは兵士達。その恐ろしい存在が、徐々に少女の方へと近づいてきた。怒号が少女の耳を劈き、その度に、ネックレスを握る手が強まった。
少女の母は、こういう時でも冷静だった。冷ややかな顔は決して崩さず、熱風に靡かされていた金髪を一切気に留めなかった。
思案するため、一度瞑目した。最優先事項は何か。命か、財産か、伝統か、それとも…。
娘だけでも逃がさないと
一度大きく頷き、瞼を開いた。瞳に映るのは変わり果てた村。そこに自身の運命を投影した。その表情から読み取れるのは子を守る母としての覚悟、女の覚悟である。
それでも、娘のことを少しでも感じていたかった。握っていた少女の手を名残惜しそうにゆっくりと離す。幼子特有のもちもちした感触を、手の小ささを、温もりを、感覚神経を通って自身の記憶の中枢に運ばせた。
燃え盛る村の方へと歩いていく母親の姿。少女にはその母親の行動が理解できなかった。当然、服を引っ張って反対方向に行かせようとする。母を追いかけた。その時、
「防御の魔法」
母親の震える声が響いた。巨大で重厚な防護壁が、母親と娘を別けた。
「おかあさん…?」
少女は透明な防護壁に触れた。それは母の手よりずっと冷たかった。
「おかあさん!ねぇ…ねぇってば…!」
ガン!ガン!ガン!と防護壁を叩く音。少女の目には涙が溢れ、止まらなかった。
その光景に1人の村男は察した。少女の母に小さく頷き、防護壁に縋りつく小さな身体をひょいと担ぎ上げた。
「いやだ…!いやだ…!!いっしょにいるもん!!おかあさん…!!おかあさん!!!」
村男も泣いていた。急いで防護壁から離れようと、担ぎながら走った。ごめんよ、ごめんよと少女を慰めた。
少女は金切り声を上げ、泣きじゃくった。大災害のように暴れまくった。度々えづいて、また叫んだ。
その様子が、その声が、母親からは段々と遠くなる。最後の娘の声。最後の娘の姿。だから、笑顔で。
「いい子に、育ってね。」
その目は赤く、鼻は啜っていた。しかしながら、満面の笑みであった。お母さんが少女に初めて見せた表情であった。少女にとって一生忘れることのできない、母親との最後の思い出になった。
少女は思い出した。
あの時、村を燃やした兵士たちのことを。あの恨めしい者たちを。そしてその中に…目の前の男、レイン・ブラックローと似た顔立ちがあったことを。
少女の足は止まった。なんで、こんな時に思い出してしまったのだろう…。
「あぁ…」
顔は強張り、目は焦点が合わない。声を出すこともできない。俯いて、肩で息をする。冷めた夜に、首から流れ出る汗は止まらなかった。
その様子は、傍から見れば疲労によるものであるかのように思えた。ブラックローも同様であった。丘に触れようとした手のひらを下げ、少女の方に駆け寄った。
「おいおい、大丈夫かい、少年?」
その心配そうな顔と声が、少女により一層嫌悪感を抱かせた。
もし、この男があの兵士なのであれば…
少女はかまをかけてみることにした。
「ブラックローさん!後ろ!!」
純粋無垢な少年の声を出し、後ろの外灯に指を指した。それに振り向く黒き警察官。すかさず少女が
「調査の魔法」
と唱えた。その呪いを聞き、ブラックローの表情は焦燥の色。「しまった」という声が聞こえてきそうであった。
ブラックローは身体を一歩退いて、魔法を回避しようとする。が、時すでに遅し。身体と服に掛かっていた魔法が、ゆっくりと夜の闇に解けていった。
魔法のベールは剥がされた。レイン・ブラックローの本来の姿は、まるで病人のようであった。生気に満ちていた顔色は青白に、真ん丸のは頬骨が浮き出る程にこけていた。ガタイの良い図体はやせ細り、しかし背丈はそのままだったため、針金のような印象を覚えた。実際の服はフード付きの真っ黒いローブであり、どう考えても警察官の格好ではなかった。
「やってくれたなぁ!」
恐らく、「変声の魔法」も使っていたのだろう。先ほどとは打って変わり、声色が暗くなった。針金の男は鋭い眼光を少女に向け、眉間の皺を深めた。風貌も含めて、死神のように思えた。
その姿形にも関わらず、少女は一切怯まない。可愛らしい顔で、小動物の如く威嚇していた。
「やっぱり。この街に居る間…ううん、この国に来る前からずっと、変化の魔法を使っていたんだ。」
「ほぉ。お前、俺と別の国であったことがあるってのか。それなら尚更、逃がすわけにはいかねぇな。」
ブラックローは頭を振り、骨をポキポキと鳴らした。
2人の間を黒い風が吹き、一瞬の静寂が訪れた。
男が少女の方に掌を向け、魔法を繰り出す。
「攻撃の魔法」
10個の黒い魔弾が、上下左右から少女に襲い掛かった。
「防御の魔法!!」
母の得意な魔法を唱えた。が、少女はまだまだ子ども。展開できたのは1枚の薄い防御壁だけだった。
魔弾が次々に防御壁に当たる。7個目までは良かった。8個目の魔弾で防御壁にひびが入り、9個目で完全に割れ、10個目で少女のみぞおちの辺りに直撃した。その衝撃に、小さな体躯は吹き飛ばされ、地面に激突した。
「ガハッ…!」
その一瞬を、戦闘慣れしている男が見逃すはずがなかった。追跡し、呪いを唱える。
「逮捕の魔法!」
ブラックローの掌から飛び出た黒い縄が、少女を一瞬で絡めとった。
「ぐっ…!?」
少女は反応できず。手足を絡めとられバランスを崩し、お腹から倒れた。鈍い痛みに顔を歪ませる。続けて、
「調査の魔法」
とブラックローが唱えると、少女の変化の魔法が解けた。本来の、白ワンピース姿の無防備な少女が露わになった。
「なぁんだ。昼間の英雄も、結局中身はただのガキか。驚かせやがって。」
その言い草に、少女はブラックローを睨み付けた。睨み付けた先の男は外灯の白い光に照らされていて、顔色の青白さがより際立っていた。ただ、髪だけは黒く、闇に解けていた。目は細めていて、獲物を見る猛獣のようであった。
少女は必死に抵抗した。思いっきり縄を引きちぎろうとするが、全く解ける気配が無い。できることと言えば、うつ伏せの苦しい状態から仰向けになることだけであった。魔法も使えない。
逮捕の魔法
魔法概要:縄や枷、拘束輪を作り出す魔法。魔力を多く込めることで、対象に飛ばすことも可能。基本的に、警察や一部の軍事の職に就く者のみが扱うことができる。
使用場面:容疑者等の逮捕やまとまった敵を制圧する際に用いられる。
長所:この魔法で作り出したものは、魔力を制限する効力を持つ。そのため、多くの魔力を込めれば防御の魔法すら弾くことができる。
短所:縄や枷は魔力を込めなければ、一定時間後に消えてしまう。また、魔力を制限する効力も、対象の魔力が使用者に比べて巨大であれば意味がない。
少女の無様な有り様を見て、ブラックローはダメ押しの一撃を加えた。
「攻撃の魔法」
黒色の魔力の塊が少女に被弾した。しかも、至近距離で。
「がっ…」
5メートル程、縄と共に吹き飛ばされる。息が一瞬できなくなった。
少女の顔は何かを吐き出すような苦悶の表情になり、そこからずっと嗚咽し続けた。その光景に男は満足する。
「この街を堕とそうとしたのによぉ…とんだ邪魔が入ったもんだ。俺の『異能』で、苦しんで死ね。」
動けない少女をギロッと睨み付けながら、掌で少女の付近の地面を触れた。
刹那。少女は仰向けのまま2メートル下に落ちた。別に、少女の近くに段差があったわけではなかった。少女の周りの土が一瞬で無くなったのである。
「痛っ……た…。えっ…!?」
少女は顔を上げ、状況を確認しようとした。が、そこには絶望しかなかった。
「なんで……土が……?」
空を覆うように、土塊が大小様々で浮かんでいた。星も月も、光は届かない。
「一番苦しい死に方の1つ…生き埋めだ。」
「止めて!!」
必死に藻掻く、藻掻く。しかし、縄は決して解けない。非常な現実に、土が降りかかる。
「がっ…!ばっ…!ぐぇっ…!」
土塊が、上空から少女に激突した。その度、少女は嘔吐しそうになった。子どもが出してはいけない声が出た。それでもブラックローは止める気配はない。むしろ埋まりゆく少女の身体と小さな抵抗を見て、一種の快楽を得ていた。
「苦しみの表情をもっと俺に見せてみろ!」
その後は砂時計のように、サラサラとした土が上から、少女の顔や身体に降りかかった。
少女が何度も身体を揺すったが、その土を止めることも、這い出すこともできない。そうしていると、スカートの中にも土が入ってきた。その感触は気持ち悪かったが、それよりもむしろ段々と土に埋もれ続けていることへの恐怖を抱き、暴れた。口にも何度か土が入り込もうとして、その度にえずいた。紫色の美髪も、土の中に隠れていく。
結局、抵抗は無駄だった。やがて少女の小さな身体は土に消え、穴も完全に埋まった。
少女は息を止める。土が口や鼻から入ってこないように必死に止める。もう、この状況を覆せるわけがなかった。それでも生きようと必死に現実に対抗した。
このネックレスの真実を知るまで、私は死ねない…!
そう思って、息を止めていた。
それなのに、少女の頭は妙に冷えていた。土は意外とひんやりとしているなぁ、これが土葬される側の気持ちなんだなぁ、なんて暢気に考える。死の淵に立つと、別の思考が働くようであった。ブラックローへの憎悪は変わらず、しかし思考は寄り道ができるほど的確に働いていて、頭が冴えているようであった。それは、酒を飲んで少し酔う感覚に近かった、少女は飲んだことはないけれども。ただ、その感覚が少女の明暗を分けた。
少女は思い出した。それは幼少期のこと。息を止める競争、絵本の読み聞かせ、ちょっとしたお遊戯…母と色んな遊びをしたことを思い出した。
遊んだだけではなかった。お母さんは少女に魔法を教えてくれた。「蒼生万民の魔法」(誰でも扱うことのできる魔法のこと。数は百程度。)だけでなく、「変化の魔法」も教えてくれた。でも、何でお母さんはあの魔法を使えたのだろう?あの魔法を私に教えることができたのだろう?本来は限られた人しか使えないのに…。まぁ、でも、今はどうでもいいか。
呼吸は浅くなり、意識も遠くなっていた。そんな折、少女は再び冴えた。
そうだ。最後にお母さんの身体になってみよう。それだけ、したことがなかったから。そうしたら、お母さんの所に行けるかもしれないから。魔力を封じる縄があるけど、無駄かもしれないけど。
最後に…一度だけ……お願い………神様。
「変化の魔法!!」
少女を生き埋めにしたブラックローは既に興醒めして、立ち去っている所であった。が、後ろから銀白色の閃光が天高く突き抜けた。地面を震わせ、土を消し飛ばす轟音が響き渡る。その爆音に、ブラックローも振り向かざるを得ない。
「は?」
怪訝な顔をした。確かに生き埋めにしたはず。魔法で封じる縄で縛ったはず。それなのに、なぜ…?
そう男が思案していると、土埃は徐々に収まっていく。その土埃の奥に、少女の影が見えた。
「逮捕の魔法!!」
と唱えた。先手必勝。多くの魔力を込め、防御の魔法にも対応する。
先程よりも何重もの黒縄が少女にふりかかった。それはあらゆる方向から鋭く、少女の肢体に巻き付こうとしていた。逃げ場はない。少女の防御の魔法でも防ぎきれない。
が、少女が1枚上手だった。
「変化の魔法」
そう唱えると、黒縄はただのピンクの毛糸に変わった。何の効力も無いただの毛糸に。
「はぁ!?」
流石のブラックローも冷静さを崩さざるを得ない。こんな魔法は聞いたことが無かった。無法すぎた。「変化の魔法」と少女は唱えていたが、「頻出魔法事典」に書いている内容と明らかに異なっていた。土を光に変え、縄を毛糸に変えた。自身の身体と服装だけではなく、少女の周囲にある全ての「もの」を別の「もの」に変化させたのである。その事実に、ブラックローも動揺せざるを得なかった。
土埃は完全に晴れて、少女が現じた。身体も服も土まみれで、今すぐにでも水浴びをさせたくなる、そんな様相であった。服の中まで土が入り込み、汗と相まってざらざらしていて気持ち悪そうであった。
けれども、少女にとってはどうでもよかった。目の前の敵、母の敵だけを一心に睨みつけた。その威嚇は虚勢ではなかった。小動物のそれでもなかった。その瞳の奥には、復讐の炎が燃え上がっていた。
ブラックローはうっとなって1歩後退した。嫌な汗が体中から吹き出る。にやついた顔も張り付いたものになり、目を泳がせた。眼前の小さな存在が、男にとっては巨大な窮鼠の如き存在に見えたのである。
学術書や専門書の序文ほど読み飛ばされるものは無い。しかし、そこには重要な情報が含まれていることが多々ある。そういう話は頻出魔法事典も同様であった。その序文の一部を引用し、この特異な状況に関する説明の一助とされたい。
「この事典には全ての魔法が記さているわけではない。記されている魔法であっても、極々稀に、特徴や制限を大幅に超越する場合がある。これを『超魔法』とか『魔法が覚醒した』とか、あるいは「(人物名)は覚醒した」という。」
「1国に1人居るかどうかの確率であり、その貴重性と有用性から、子どもであれば国や国の君主が直々に保護するレベルのものである。事例として、超魔法を持った孤児を帝王自らが手厚く保護し、後その子どもは大貴族に至るまで活躍した。」
「いずれにせよ、そういう例外があるのだから、油断をせず相手と対峙する心構えが重要である。」
少女は覚醒した。




