52、淑女たちの夜更かし②
ベッキーがため息混じりに言った。
「妖精の男にはよくあることだよ。自分が恋に落ちた時に相手に対して抱いた印象が深く根付いてしまって、容易にそれを改めることが出来ないんだ。しかも実力のある妖精ほど庇護欲が強過ぎて、相手を守ろうとするあまり、肝心の相手の気持ちや考えを失念しがちになる」
彼女は、ラウルもそうだった、とぽつりと呟き、それからモリーを見た。
「他人事ではないよ、モリー。ハワードは確かに人間なのだけれど、どちらかといえばあの子の感覚は、妖精の男に近いのだから」
ハワード卿は生まれつき太古の精霊と並ぶほど魔力が豊富で、それでいて妖精の魔法に対する耐性が低かった。そのため、本来はタイタニア女王の加護の下にある彼を、他の妖精の王たちも欲したのだ。
「例外はオシアン公だけだった。嵐の王はあの子が成長した暁には妖精騎士として迎えたいと望み、オーベロン王は妻であるタイタニア女王の不興を買っても、あの子が幼いうちに小姓の一人に加えたいと願った。そこで妖精の王たちは一堂に会し、ハワードをどの王のものとするか話し合ったんだ」
その結果、ハワード卿はベッキーの名付け子とすること、タイタニア女王の子息ロビン・グッドフェローが側に付くこと、ハワード卿が強力な敵と相対することがあれば嵐の王は武の面で、オシアン公は知の面で助力すること、と取り決められた。
つまり、ハワード卿を特定の妖精の王のものにするのではなく、『善き妖精の王』全てが、ハワード卿にとって必要な時に力を貸すだけで我慢することで話がまとまったのだ。
こうしてハワード卿は高位の妖精たちに囲まれて育つことになった。まるで、古の英雄のように。
それで、ハワードは少し古風なところがあるのか、とモリーは思った。ベッキーが紅茶を飲み干し、話を続けた。
「彼らと触れ合ううちに、とにかく女性とはか弱いもので、愛する女性は守るべきもの、という意識がハワードの中に浸透していった。それ自体は構わないのだけれど、限度というものがあるからね。……『庇護欲』も所詮は『欲』だ。相手を対等な存在として見るのではなく、相手を自分の支配下に置き、所有物にしようとする心理の一端だよ。ハワードの中には、そんな『欲』が人並み以上に潜んでいる。だから、妻となるモリーは、これから幾度となく、毅然としてあの子に対応しなければならないだろう」
「彼が、ラウル卿や兄様のように『良かれ』と思って相手の意思も確認せずに取り返しの付かないことをする前にね」
ミュリエルが肩を竦め、ベッキーが頷いた。
「ハワードは人間だから、ラウルやオシアン公ほどのことを仕出かせはしないと思うけれどね。出来れば、モリー自身とハワードの両方を大切にすることを忘れないでいてくれると嬉しい」
* *
皆が寝静まった頃。モリーはヒルダに小さな声で尋ねた。
「……伯父上が伯母上に何をなさったのか、聞いても良いですか?」
モリーがヒルダに抱きつくと、ヒルダは幼い頃にそうしてくれたように、両腕でそっと抱きしめ返してくれた。それから、ちょっと苦笑した。
「オシアンの奴、私が気付かないうちに、勝手に私を妖精に変えていたんだ。しかもわざわざ、出会って間もない頃から少しずつ時間をかけてさ」
ヒルダの食事は、オシアンが用意している。その食事の中に、「不老不死の神酒」を混ぜていたのだ。最初はごく微量から、最終的には希釈することなく。
「確かに、妖精というのは自分の欲を優先してしまう存在なんだと思い知らされたよ」
ヒルダから奪ったり、取り上げたりすることはしない。オシアンはそう約束したが、ヒルダが望まない可能性のあるものを濫りに与えない、という約束はしていなかった。
「私を手に入れられないことにはまだ耐えられても、私が死んだり、指の一本でも失ったりすることには耐えられなかったらしい」
モリーは、それは如何にもオシアンらしいと思った。なかなか自分の想いに気付かないところもまた愛しいと、彼がヒルダに優しい眼差しを向けていたのを、彼女は目にしたことがあったから。
一方、ヒルダはふふっと笑うと、モリーを先程よりも少し強く抱きしめ、それから母親のように優しい手付きでモリーの髪を撫でた。
「でもおかげで、こうしてヴィーナスを抱きしめ放題、撫で放題だ。明日にはとうとう花嫁姿も見られるんだな。あんなに小さかった、私のヴィーナスが」
モリーの髪を撫でながら、ヒルダは少し涙ぐんだ。ただ一人の姪が幸せな結婚をする日が来るのを、彼女はずっと待っていたからだ。
ひとしきりモリーを抱きしめた後、ヒルダは先程の話の続きをした。
「大事なことを秘密にされていたのには腹が立ったし、オシアンも案外馬鹿なんだな、と思ったよ。早くから正直に打ち明けてくれていたら、こんなおばさんになっちまう前にオシアンの気持ちに応えられたかもしれないのに、ってさ」
その言葉には、オシアンに対する愛情が滲んでいた。
「妖精にされたこと自体は怒っていないんですね」
モリーがそう問うと、ヒルダは声を殺して笑った。
「記憶や自我がなくなるっていうんなら絶対に嫌だけど、私が変わらず私でいられるなら良いんだ。現に、此処にいる何人かだって、普通に人間に混ざって生活しているじゃないか。それに歳の取り方もゆっくりになるから、お前がこれから何人子どもを産んでも大丈夫だぞ。必要な時には、いつだって私がオシアンを連れて子守りに来てやるからな」
モリーが気恥ずかしさに頰をふくらませたところで、ヒルダは笑いを収めた。
「ヴィーナス。お前の気持ちは、その都度きちんとハワードに伝えないと、あいつも案外察しは良くないからな?」
モリーが眠りに落ちる直前、「どうか、これ以上ないくらいに幸せになってくれよ」という声が聞こえた。
* *
翌朝。美しい青空の下、薔薇荘ではその名に相応しく、色とりどりの薔薇の花が朝露を纏って咲き誇っていた。
クリーム色のドレスに身を包んだメグ、ダイアナ、アンは、タキシード姿のシェーン、リュー、アーセン氏が先に薔薇荘の庭に運び出したテーブルにテーブルクロスを掛け、その上に蝋燭を立てた燭台や花を飾り、新郎新婦が愛を誓う宣誓台に、ウェディングケーキを用意した。
ロビンとエラは、仲睦まじく庭の樹木を飾り付けた。
招待客の中に不審な者が紛れていないかどうかは、列席者のはずのトミーたちが確認してくれた。
聖騎士団の関係者も近所の人々も皆集まり、普通の人々の目には見えないだろうが、スカーレットウッズの妖精たちも集まって来た。悪戯好きな妖精たちだが、流石に森の貴婦人と猫型妖精の王が臨席する結婚式で、タイタニア女王の加護を受けた新郎新婦に悪さをしようとする者はなかった。
「そろそろ行かなくちゃな、ヴィーナス・モリー」
モリーの父親であるフレッドが、娘をエスコートすべく腕を差し出した。
頭から膝までを覆う長さの手編みレースのヴェールを頭に披き、胸元と背中がV字に開いた、ほっそりとしたラインのドレスを纏ったモリーは、父親の腕を取った。
「玄関のドアを開けますね」
メグとダイアナが薔薇荘の玄関のドアを開けると、そこからまっすぐに伸びた赤い敷物の先にある宣誓台で、婚礼衣装のハワード卿が花嫁を待っていた。
振り注ぐ五月の日差しを浴びた彼の姿は、守護天使のように凛々しかった。
モリーは、このまま彼の元へ駆けて行きたいような、気恥ずかしいような、もどかしい思いを胸に、父親に伴われて一歩踏み出した。
――結婚式が、始まる。
モリーの婚礼衣装は、エズメの秘書で、やはりベッキーの名付け子であるローラ嬢の手作りです。お料理は全く出来ない彼女ですが、ドレスを縫うのは得意なのです。




