51、淑女たちの夜更かし①
ハワード卿とモリーの結婚前夜。薔薇荘の広々としたリビングには、大きなパッチワークキルトのシートが敷かれ、中央に配置された低めのテーブルの上には、「女帝陛下のケーキ」やサンドイッチ、飲み物などが用意されていた。
明日の主役であるモリーは、メグ、ダイアナ、アン、それにベッキーとヒルダとエズメ、の七人でパッチワークキルトの上に直接座り、テーブルを丸く囲んで内緒話に花を咲かせていた。
ほぼ全員が恋の話や「理想の殿方像」などを語り終わったところで。
最後に残ったエズメが、近頃になって昔の恋人から手紙が来たと打ち明け、ヒルダが渋い顔をした。
「アーガス・グリーンだって。あいつ、まだ生きてたんだ?」
「あら、そんな顔をしなくても良いでしょう?」
「だってあいつは、エズメの魔物討伐直後に聖騎士団本部に呑気な顔で差し入れ持って来て、血塗れのエズメを見てひっくり返った……繊細過ぎるお坊ちゃまじゃないか」
多分伯母は、何か行儀の悪い言葉を言おうとして、慌てて言い換えたに違いない、とモリーは思った。
一方、エズメはふふっと品良く笑うばかりだった。
「あら、もうお坊ちゃまなんて歳ではないわよ。クラウドヒルの教会で牧師を務めているのですって」
アーケイディア単科大学で最も厳しい教授として学生たちから恐れられる、エズメの若き日のロマンス。メグ、ダイアナ、アンは興味津々という様子だったが、ヒルダは首を振った。
「恋の結末を話しておくと、別れた原因は、グリーンの奴がエズメに、結婚後は家庭に入って自分の母親のような『良妻賢母』になるようにと強硬に要求して、それをエズメが拒否したからだよ」
「あの頃は、お互いに若過ぎたのよね」
昔を懐かしむようにうっとりとそう言うエズメだが、ヒルダによれば、別れ際にエズメがグリーンの顔を殴ったことで、翌朝、グリーンの母親が聖騎士団本部に怒鳴り込んで来て、大層な修羅場になったとのことだった。
「グリーン夫人は強烈なおばさんだったよ……」
ヒルダが心底嫌なものを思い出した、と言いたげな顔をした。彼女は相手が人狼だろうとヴァンパイアだろうとケルピーだろうと怖じる性格ではないが、ごく一般的な人間の女性相手では少々分が悪いのだ。何しろ、相手が人間である以上、こちらが手加減しなければならないので。
「あんなのを姑にしたらエズメが苦労するだけだったと思うし、結婚までいかなくて良かったと思ったよ」
「あら。私は穏便かつ確実に、あのご婦人に『ご退場』願う策を幾つか用意していたのよ?」
そう答えるエズメの淑やかな笑顔に、ダイアナが何かを見出だして、小さく悲鳴を上げた。同時にアンも隣にいたメグの左腕に縋りついた。
「姑も厄介だけど、小姑も厄介だと思うよ。ヒルダは小姑に苦労してはいないか?」
ベッキーがくすっと笑ってそう尋ねた時、リビングに急に妖精の輪が現れた。
「酷いわね、ベッカ。それって私のこと?」
妖精の輪から出て来たのは、目を奪われるような銀髪の美少女だった。
彼女はヒルダとモリーの近くに静々と歩みよると、すっと膝折礼をした。
「ご機嫌よう、ヒルダ姉様。それから青玉の姫君。姫君にはようやくお目もじ叶いまして嬉しゅうございます。私はオシアンの妹で、アーセンの母親のミュリエルと申します。突然こちらに参りましたご無礼を、どうぞお許しください」
モリーは呆気に取られた。どう見ても十二歳ほどにしか見えないこの美少女が、五十代半ばに見えるオシアンの妹で、三十歳前後に見えるアーセン氏の母親とは。それから、青玉の姫君とは誰のことか、と。
「ドウイウコトデスカ、伯母上?」
モリーがぎごちない動きで隣にいるヒルダを見ると、彼女は夕飯の献立でも答えるような軽さでこう答えた。
「あれ、言ってなかったか。オシアンと結婚したら、妖精の国の女王になってたんだ。それで、私の唯一の血縁であるお前は、その魂の色と輝きから『青玉の姫君』と呼ばれることになった」
モリーは、伯母の乗った玉の輿の豪華さが桁違い過ぎることを知り、凍りついた。伯母の姪でしかない自分にまで称号を与える妖精の国の豪儀さが怖い。
「どうかミュリーと呼んでくださいね。それから、そこにいるベッカとは子どもの頃からの付き合いなのですよ」
ベッキーがにやりと笑った。
「確かにオシアン公よりも、ミュリーとの付き合いの方が長いよね。オシアン公は私たちよりも五十歳ほど年上だから、そこまで接点がなかったけれど」
人間の兄弟で言えば十歳ほどの歳の差だと説明されて、モリーも何とか飲み込めた。友だちに十歳ほど離れた兄がいたとして、その兄とも親しくなるかと言えば、そうでもないだろうから。
「……雪豹さんのお母様」
ダイアナの呟きを、ミュリエルは耳聡く拾った。
「こんにちは、ダイアナさん、アンさん。この前は、私がヒルダ姉様の花嫁衣装にと用意して、フィンに届けさせた生地を、美しく仕立ててくれてありがとう。お二人のおかげで良い式になったと、息子から聞いていますよ」
ダイアナとアンも美少女ではあるのだが、ミュリエルの前では気後れするのか、ぎごちなく挨拶を返した。
それから、ミュリエルはメグを見て驚いた顔をしたが、メグが唇に指を当てる仕草をしたので、そのまま普通の未婚女性に対するように挨拶をした。
「という訳で、未婚女性諸君。今年で結婚三十五年目を迎えるミュリーに、今のうちに色々聞いておくと良いよ」
ベッキーがそう言うと、皆の輪に入ったミュリエルは、モリーの差し出したティーカップを受け取りながら苦笑した。
「ベッカったら、そのためにわざわざ私を呼んだのね」
「こちらのマクユーアン夫人だって、まだ結婚生活はそれほど経験がないんだ、君の方が適任だよ」
ベッキーからそう言われ、ミュリエルはそのしなやかな人差し指を、染みも皺もない滑らかな頰に当てた。
「そうね、私の持論は『夫婦喧嘩の出来ない関係なんて本物じゃない』ってことかしらね。勿論、何かに付けて争い合えということではないわよ。時には喧嘩も辞さないくらい、本気で相手にぶつかる必要もある、ということなの。だって、そうじゃなきゃ、とても一緒にはやっていけないわ。相手は自分とは全く違う生き物なのだもの。何も、私と夫と種族が違うから、ということだけではなくて。……そうね、種族が同じで両親を同じくする兄と弟でさえ、私とは全く違う考え方と価値観を持っているのだもの。夫婦なんて、もっと違う文化、違う環境の中で育って来ているのだから、合わないことが多くて当たり前よ。それで私たちの場合は、何を許せて、何を許せないのか、お互いに擦り合わせていかなくちゃならなかったの」
紅茶を一口飲んだミュリエルは、ヒルダに微笑みかけた。
「ヒルダ姉様。私が教えた通りに、兄様と喧嘩は出来た?」
ヒルダは顔を真っ赤にした。
「……喧嘩にはならなかったけれど、オシアンが隠し事をしていたことに私がとても腹を立てていたことは伝えられたと思う」
ミュリエルが、くすっと笑った。
「ヒルダ姉様が兄様に誤魔化されずに済んだのなら上出来よ。全く隠し事をするなとは言わないし、少しなら秘密も良いものだけれど、兄様の隠し事には感心出来なかったのよね。夫婦の間にはお互いへの信頼が必要不可欠ですもの」
「伯父上が、伯母上の信頼を損なうようなことを?」
まさかと思いつつモリーが尋ねると、ヒルダが苦笑いした。
「違うよ、ヴィーナス。オシアンが私を信頼していなかったから、腹が立ったんだ」
そうよね、とミュリエルが頷いた。
「兄様は長い間、姉様のことを、出会った頃の、庇護すべき若いお嬢さんのままだと思っていたのだもの」
ベッキーの幼馴染でもある、ミュリエル。普段はアーセン氏ほどの年齢の息子がいてもおかしくないくらいの見た目で過ごしていますが、今回はベッキーの外見年齢に合わせています。




