49、第三の花婿介添人④
教会の門の内側で、常人の耳では捉えることの出来ない悲鳴が上がった。
「来ますよ、ハワード卿」
「ええ、そのようですね」
アーセン氏は投擲用ナイフを、ハワード卿は剣を構えた。
次の瞬間、ハワード卿の視界が、色とりどりの原色のペンキを雑に塗りたくって描いた下手なモザイク画のようなものに覆われた。リューが討ち漏らした「騒動屋」の仕業だ。それからすぐに、ハワード卿の視界が、急に狭くなった。左目が見えなくなったのだ。
ハワード卿は一旦目を閉じ、左目だけを開けた。
「準備室に一匹。私は倉庫に逃げた一匹を追います」
アーセン氏の姿は見えないが、その声は確かに聞こえた。ハワード卿はその声に、短く返事をした。
「承知した」
右目を閉じたまま、彼は準備室へと駆け出した。多少、視界に難はあるが、この教会の敷地内のことは充分に把握している。途中、強制孵化させられたのであろう数匹のゴブリンと遭遇したが、ハワード卿には大した障害ではなかった。
準備室のドアを乱暴に開けると、そこには犬とも狐とも付かない、奇妙な生き物がいた。
それは、ハワード卿が巻いている緑のマフラーを見て、蛙に似た笑い声を上げた。
「その魔力の気配、知ってるぜ。三十年前に妊婦を腹の子共々殺す茶を買った、混ざりモノの水妖だ。普通の人間が飲んでも平気だが、妊婦が飲めば死ぬような毒がほしいってな。どえらい別嬪だったが、お前の女だったのか?」
ハワード卿は淡々と答えた。
「その女ならば、既に死んだ」
「じゃあ、その人殺し女の娘がお前の女だな!」
犬のなり損ないのような生き物が、大きな口を開けて醜悪な笑い声を上げた途端。ハワード卿の剣が、その生き物の心臓を過たず貫いた。
「なるほど、先生とオシアン公がアイリーン・スターリングをどうにも出来なかった訳だな……」
普通の人間が飲んでも何ともない茶ならば、殺意の証明はしにくい。単なる事故と片付けられるか……いや、誰もその茶が原因とは考えなかったので、モリーの母の死因は出産時の出血多量だということになったのだろう。
ハワード卿を動揺させるために、「騒動屋」はペラペラと喋ったのだろうが。
「貴重な情報をただで売るとは、商人としても半端だったな」
彼はそう言うと、そのまま「騒動屋」の心臓に刺さった剣を抜いた。
「残り一匹か……」
リューに付けていたロビンの分身からの情報で、「騒動屋」が三匹いたことは分かっていた。
「そちらは片付きましたか?」
流行りのスーツを着こなした銀髪の青年が現れた。爽やかな美貌の持ち主だが、その笑顔はどこか胡散臭い印象だった。肩に傷を負ったのか、着こなしたスーツに血が滲んでいた
ハワード卿は、男に剣を向けた。
「……何故、です?」
青褪めた顔で後ずさる彼に冷たい眼差しを向けたハワード卿は、ただこう告げた。
「覚悟しろ、逃げ場はない」
銀髪の青年が震える声で訴えた。
「落ち着いてください。貴方はまだ、惑わされていらっしゃるのです。妖精の魔法に対する耐性が低いから――」
「いいや。私は惑わされてはいない。何故なら――」
ハワード卿は、青年の腹部を躊躇いなく剣で貫いた。
「私の目に私の姿を映せる訳が、ありませんからね」
すっかり馴染んだアーセン氏の声。原色の帷が晴れると、ハワード卿の隣にアーセン氏の姿が現れた。しかし、その左の瞳の色は、本来の灰色ではなく、エメラルドに変わっていた。代わりにハワード卿の左の瞳は、エメラルドから灰色に変わっているはずだ。
床に転がっていたのは、やはり「騒動屋」の死骸だった。その死因は心臓を剣で一突きされたことだが、肩には、幻惑の魔法を弱めるアーセン氏の細刃のナイフが刺さっていた。
この教会に罠を設置する前、アーセン氏はハワード卿に提案していた。
「貴方の妖精の魔法への耐性はあまり強くないとお見受けいたしました。どうでしょう、討伐終了までお互いの左目を、交換いたしませんか?」
猫型妖精の目は、全てを見通すことが出来る。しかし純血の猫型妖精の目と人間の目を交換するのは危険だ。けれども、猫型妖精と人間の混血であるアーセン氏の目との交換なら、さほど危険ではない。
「ハワード卿、ご無事でしたか?」
大量のゴブリンを駆除し終わったシェーンとリューが、ようやく二人に合流した。
リューが教会で浄化を行う間、シェーンが「騒動屋」の死骸を焼こうとしたが、犬型妖精の血を引く「騒動屋」は、やはり容易には燃えなかった。
「こういう時のために、犬型妖精対策に強い者とディエンが合作した呪符があるのですよ」
何も「騒動屋」を探知し、教会から逃さないためだけに持って来た訳ではないのだ、とアーセン氏は三匹の「騒動屋」の死骸の上に呪符を置いた。
「後は不死鳥の扱う天上の炎と、猫型妖精の扱う煉獄の炎の両方で燃やすだけです。こういう時、自分がほどほどに弱くて良かったと思いますよ。伯父ではこうはいきませんから」
くすっと笑うアーセン氏と、笑ってよいものかと戸惑うシェーン。二人の炎は、これまで多くの人々に混乱と災厄をもたらして来た「騒動屋」を、瞬く間に灰に変えた。
帰路、アーセン氏が言った。
「それにしても、聖騎士団に優れた予見能力をお持ちの方がいらして良かったです。ディエンの呪符を使った探知では、もっと時間がかかるところでしたから」
執務室で四人が作戦会議を開いていた時、急に執務室にドミニク・トーマス筆頭顧問がやって来て、彼らにこう言ったのだ。タレイアが、アーケイディアの東部、落花生横丁の聖マグダレーネ教会に罠を張れと言っている、と。
「ところで、タレイアという婦人はどのような方なのですか?」
アーセン氏がそう尋ねると、心底恐ろしい、という顔でリューが答えた。
「お答えしかねます。その方の正体を詮索することは、オシアン公から最愛の夫人を奪うのと同じくらい命知らずだ、というのが聖騎士団本部に所属する者の共通認識ですので」
アーセン氏は微かに乾いた笑い声を上げた。
「……なるほど、やめておいた方が良さそうですね」
聖騎士団本部に近い辺りで、リューが甘い物を食べたいと言い出した。他の三人も同じことを考えていたので、さっそく、ハワード卿とシェーンがよく二人で訪れるカフェに寄った。
リューが洋酒の効いたフルーツケーキを注文し、ハワード卿とシェーンはそれぞれいつもの物を頼んだ。アーセン氏は大氷原ケーキを選んでいた。
「……その、アーセン氏は良かったのですか、私の結婚式に花婿介添人として参加しても」
それぞれがケーキを半分ほど食べたところで、ハワード卿が切り出した。
アーセン氏は、ああ、そのことですね、と苦笑した。
「モリー嬢に初めて会った時、非常に心惹かれたのは確かです。これまで、ただ一人を除いては、女性に心惹かれたことがなかったので、てっきりこれこそ恋だと思ったのですが……。ハワード卿にも同じくらい心惹かれてしまうので、自分でも訳が分からなくなりまして、伯父に相談したのですよ。そうしたら――」
それは猫型妖精特有の、清らかな魂の持ち主に惹かれるという本能であって、恋ではない、と簡単に片付けられてしまったのだという。
「長いこと、私だけの、ヒルダ伯母上のような人がほしいなぁ、と思っていたのですがね」
「……そうですか」
彼の告白に、ハワード卿はそう返すのがやっとだった。
だからフルーツケーキに酔って「メグさんと結婚したいです」と泣くリューの面倒は、シェーンに任せることにしたのだった。
アーセン氏は、純血の猫型妖精と比べるとそこまで強くはない自分と上手く折り合いを付けています。
リューはメグのことが好きなのですが、メグはまだ気付いていません。彼は決してアルコールに弱い訳ではなく、ここのカフェのフルーツケーキに使用されている洋酒が、何故か尋常ではなく強いのです。




