第21話 「ほんと、私もう帰ってもいいんじゃないか?」
「ごきげんよう、勇者様。お会いできて光栄ですわ。わたくし……」
金髪縦ロールだ……。お嬢様だ……。まさかこの目で見る日が来ようとは。
「ご機嫌麗しゅう。……様、私めなどにお声を頂戴し、恐縮にございます。貴女はまるで今宵の月に照らされた花のように美しい。芳しい花の香に、私は惑うてしまいそうです……」
あんた誰だ……と、言いたくなるほどの変わり身を見せる漣。つむがれる言葉は甘ったるいが、私は知っている。今の彼の言葉の本意は、
『めんどくさい。僕にかまうな。香水つけすぎ。臭いから寄るな』
という訳になる。この二重音声は、漣の表情の微かな変化と、声のトーンを読めるようにならないと聞こえない。
よって、私はげんなりしつつも生まれて初めて見る社交界の様子に目を向けている。漣を害する者がいるならすぐに腕をひねり上げるつもりだが、必要はないんだろうな。あの顔のせいか、トラブルに巻き込まれることの多い漣は人の感情の機微に鋭い。万が一暴力に訴える輩が居たとしても、護身術とは名ばかりの柔術(殺人術)も得意だし……。
「ほんと、私もう帰ってもいいんじゃないか?」
テンプレートのように華美に飾りつけた夜会の会場は、見ているだけで酔いそうだ。ましてや、機能美と言う言葉を絶対に知らない金糸銀糸で彩られたゴテゴテの衣装。濃厚な香水と酒の匂い。そのうち頭痛が始まるだろう。
背中に大理石の壁面を感じながら、私は眉間をほぐしながら何度目かのため息をついた。
「大丈夫ですか? リオ殿」
トイレにでも逃げ込もうかと真剣に検討していると、知った声が掛かる。
「フェルナンド様、これは、お恥ずかしいところを」
ため息までばっちり見られたんだろうなぁ・・・。
「ご気分が優れぬようにお見受けしますが」
好々爺の顔で首を傾げられ、自然に眉根が緩む。
「恥ずかしながら、人酔いです。あまりこう言った場には慣れていないもので」
パーティと言えばカラオケでポテチとコーラ、な私にはものすごい場違い感だ。
「『リオ殿の世界』ではこう言った催しは稀なのですかな?」
気を利かせてくれたのか、これまた豪華な司教服に身を包んだフェルナンドが私の横に移動する。
「まあ、こちらの頻度は知りませんが、それなりに有ったのではないでしょうか」
皇室とか政治家とかになれば、やっぱりこういうのも有るんだろうとは思う。
「ただ、こちらのこういった夜会にも、一介の村人が招かれることは稀でしょう?」
なるほど、とフェルナンドも頷く。
「レン様は手馴れておられるが……彼は元の世界ではどういった?」
うん。私もそれが不思議だ。私に黙ってこういうのに参加したりしてたんだろうか。そしてどっかの御令嬢とよろしくしちゃったりするんだろうか。
「一般人……ではないですが、別に貴族や皇族というわけではないですよ。それなりの商家の跡取りではありますが」
無難な答えになってしまったが、フェルナンドは納得してくれたようだった。
「よろしければ、どうぞ」
ドリンクを持った給仕がグラスを差し出す。そういや私何も持ってないな。
「ありがとう、頂くよ」
これまた装飾過多な小杯を受け取ると、給仕は香水と酒気の海の中へ消えていった。
そういえば、こっちは何歳から飲酒可能なんだろう。そんな疑問を若干抱きつつも、果実酒らしいそれを口元へ運ぶ。
「梨緒、流石にそれは無用心が過ぎるよ」
「!? ひゃんっ」
突然、咎めるような声が耳元で囁き、いや、耳に息を吹きかけられ、私は杯を取り落とした。
「あ、梨緒の今の声聞いた人いる? 耳そぎ落とすから出てくるように」
あわや床に一直線と思われた杯を器用にキャッチし、漣があたりを見渡す。いつの間に隣に居たんだ?
勇者様の物騒な台詞に、フェルナンドを含め全員が首を横に振った。嫌な目立ち方するなぁ……。
「ちょっと、どういうつもりだ? どっかのお嬢様とよろしくやってたんじゃないの?」
頬が熱い。人前でなんちゅう声を出させるんだ。
「梨緒、もう一回言うよ。無用心が過ぎる。こういう時のお約束、お酒には何が入ってる?」
そう言いつつ、杯を指でもてあそぶ漣。
「あ……。まさか、毒?」
反射的に先ほどの給仕を探すが、人ごみにまぎれたその姿はすでに無い。
「正解。『見た』所、青酸系の毒物だと思う」
どうやって見たのかは知らないけど、この男がそう言うならそうなのだろう。というか、殺す気満々だな……。
「なんだってこんな所で仕掛けてきたんだろう」
早くも、細波のようにあたりにどよめきが広がっている。もし私が飲んでたら、国主催のイベントで招待客が殺されたことになったんだ。大事、どころの騒ぎじゃない。
「余程の愚か者か、余程の自信過剰かどちらかだね。どちらだとしても、高くつく」
にぃ、と笑った唇はそれでも妖艶に美しく、観衆の中にはほう、とため息をつくご婦人も多かったが、私は背筋がぞわり、とあわ立つのを感じた。
「確かに不注意だった。漣のお陰で助かったよ。このとおり私は無事だ。だから、抑えろ」
影で待機している護衛の騎士たちが、やにわに腰に手をやるのがわかった。一瞬で場に満ちた漣の殺気に 無意識に反応したのだろう。優秀なようで何よりだ。
「でも……」
まだまだ不満そうな勇者様をなだめながら、窓辺へと移動する。少しでも視線の嵐から退避しないと、お肌が荒れそうだ。