救済7:カルト教団の怪!代議士を破滅させる悪女!
王都政界において、ダニエル・フォン・ガルドナー伯爵ほど異彩を放つ男はいなかった。
世の悪徳政治家というものは、大抵、仮面を被っている。愛国者の面皮を貼り、右翼や、左翼や、または中立派のフリをしながら、裏で他国やテロリストに利益を誘導し、私腹を肥やす。敵対者に、味方を売る。それが『売国』というビジネスの常道だ。
しかし、ガルドナーは違った!
彼は民主主義のルールに従って、公然と「この国など滅びればいい」と放言し、あからさまな売国者であることを己の売りにしていた。他国の使節と堂々と密会し、王国の利権を切り売りする。市民や他の貴族からは当然のごとく忌み嫌われ、罵倒されたが、彼は嘲笑うだけであった。
なぜなら……彼にとって政治も、金も、名誉も……何一つ価値を持っていなかったからだ!
「金に、愛に、人生に。一体何の意味がある」
ガルドナーは自邸の豪華な執務室で、ワイングラスを弄びながら不快そうに吐き捨てた。
彼が売国取引によって得た途方もない裏金は、そっくりそのまま、ある秘密組織へと流し込まれていた。
王都の地下に巣食う、極右過激派団体『灰の救済会』。
普通であれば、極左の売国者が、極右の団体を支援するなどという矛盾した行動はあり得ない!
国粋主義者は売国奴を最も憎むはずだからだ!
だが、ガルドナーが資金援助していたその団体は、国粋主義でもなければ、経済的な利権を狙う組織でもなかった。ましてや、神や悪魔を崇める宗教ですらない。
彼らの正体は「この世に生きるあらゆる生命体への恨みを募らせた、虚無・カルト」であったのだ!
生まれたことそのものを苦痛とし、生き物すべてを憎み、世界そのものを無に還すことだけを目的とする狂人たちの集まり。
歴史上、これほど無駄で、無価値で、不条理な悪党が存在したためしはない。利権のためでも、思想のためでもなく、ただ「無駄に悪意を振り撒く」ためだけに、己の命と財産を投げ打つ男。
ガルドナーは、己のこの徹底したニヒリズムを、何よりも誇りに思っていた。
(人間の欲など、底が知れている。金が欲しい者には金を、名誉が欲しい者には名誉を与えれば操れる。巷では、王都の闇で貴族たちの欲を突いて自滅させる『死神』とやらが暗躍しているらしいが……笑わせる)
ガルドナーは薄汚い笑みを浮かべた。
欲望や保身に執着する愚者だからこそ、二択を迫られて自滅するのだ。
だが、自分には守りたいものなど何一つない。己の命すら、世界を破滅させるための玩具に過ぎないのだから。死神の示そうとする「損得の駆け引き」など、最初から自分には何の意味もなさない。
(今夜の晩餐会が終われば、いよいよ『最後の計画』の発動だ……)
ガルドナーの胸の奥で、愉悦が首をもたげた。
詳細な内容など語る必要はない。ただ一つ確かなのは、それが実行されれば、この王都は、いや、この王国は、明日には歴史から完全に消滅するということだけだ。政治、経済、命、そのすべてがついに地獄へと叩き落とされる。
その未曽有の破滅のカウントダウンを懐に抱きながら、ガルドナーは最高級のタキシードに身を包み、王立サロンで開かれる社交界の晩餐会へと足を踏み入れようとしていた。
シャンデリアの輝きが煌々と広間を照らし、名だたる大貴族たちが談笑する晩餐会。
ガルドナーは給仕から受け取ったシャンパンを舐めながら、周囲の愚か者どもを見下していた。明日には全員が絶望の悲鳴を上げて死ぬのだと思うと、酒の味がいつもより美味しく感じられた。
その時である!
広間の一角、人集まりが静まり返り、道が開けた。
ラプラス公爵家の令嬢、ルミナリア・フォン・ラプラス。
(箱入りの、病弱令嬢か。社交界の飾り物だな!)
ガルドナーは鼻で笑い、関心を失おうとした。
しかし、彼女が周囲の貴族たちと交わす挨拶、その目の動きを見た瞬間!……ガルドナーの背筋に!原因不明の冷たい悪寒が走った!
ルミナリアの青い瞳……。
それは、笑っていた!
確かに、笑っていた!
高貴で、気品に満ちた、完璧な令嬢の微笑み!
だが……その瞳の奥には……完全なる「無」が存在していた!
周囲の貴族たちの追従、欲望、見栄、そしてガルドナーが放つ特有の泥のような悪意。そのすべてを視界に収めながら、彼女の瞳は何一つ映していなかった。
路傍のゴミや、足元の砂粒を見るような、絶対的な無関心。
ガルドナーは眉をひそめた。政治家として数多の人間を見てきたが、あれほどまでに人間への関心が欠落した目を、彼は見たことがなかった。自分のような虚無主義者とは違う。彼女の無関心は、次元が違った。まるで、最初から世界全体を「ゲーム盤の上のコマ」としてしか認識していないかのような……。
「あら、ガルドナー伯爵。今夜はお一人ですの?」
「ええ……ラプラス令嬢。お噂はかねがね」
ガルドナーは、政治家らしい貼りついた笑みを浮かべた。
「退屈な晩餐会ですわね。……どうでしょう、伯爵。お話のついでに、少しばかり、手慰みの『ゲーム』でもなさらないかしら?」
「ゲーム、ですか?」
ルミナリアが指し示したのは、サロンの奥にある静かなカードテーブルだった。そこにはすでに上質なトランプが一束、置かれている。
「ええ。単なる余興ですわ。そう……ポーカーなどはいかが?」
(ポーカーだとぉ……?)
ガルドナーは一瞬、警戒した。だが、すぐに思い直した。
相手は病弱な十五歳の小娘だ。しかも、ポーカーなどという運とハッタリのゲームで、自分のような老練な政治家に勝てるわけがない。仮に負けたところで、チップ数百枚程度の痛手でしかない。
「いいでしょう。令嬢のお戯れにお付き合いしましょう」
ガルドナーはルミナリアの向かいの席に着いた。
だが、この時のガルドナーは、この些細なゲームが、己の人生、そして、王都の運命を決する「処刑場」になるとは、露ほども思っていなかったのだ!
トランプが配られ、チップがテーブルの中央に積まれる。
勝負が始まった。
一回戦。ガルドナーの手札は悪くない。ワンペア。
彼は様子見として、小額のチップを賭けた。
対するルミナリアは、手札をチラリと見ただけだった。表情一つ変えず、感情の揺らぎも、視線の泳ぎすらもない。
「チェックですわ」
彼女は淡々と、最低限の対応だけをした。
結果はガルドナーの勝ち。ルミナリアはチップを失ったが、悔しがる素振りすら見せない。まるで、自分のチップが減ろうが増えようが、どうでもいいかのように。
二回戦。三回戦。
ゲームは緩やかに進んだ。ガルドナーが勝ち、時にルミナリアが勝つ。
一見すると、ただの令嬢と政治家の和やかなカード遊びだった。
しかし……五回戦目を過ぎたあたりから、ガルドナーの額に、じんわりと嫌な汗が滲み出始めた。
(……おかしい)
ガルドナーの心臓が、妙なリズムで脈打ち始める。
(なぜだ?私が勝っているのに……胸の深呼吸が止まらない……!?)
ガルドナーはルミナリアの反応を探るべく、わざと表情を強張らせ、強気な顔でレイズを行った。
普通の人間なら、ここで乗るか、降りるかの迷いが生じる。目の動き、呼吸の乱れ、指先の震え。心理戦のプロであるガルドナーには、相手の微細な変化が読み取れるはずだった。
だが。
ルミナリアは、何も出さなかった。
彼女の瞳は、ガルドナーの顔を見てもいない。
ただ、手元のカードと、テーブルのチップの数を、淡々と見つめているだけだ。
「……レイズですわ」
ルミナリアは、ガルドナーのブラフに対して、完璧なタイミングで同額を上乗せした。
コールではなく、レイズ。
(……読まれている……のか?私のブラフが……!?いや、待て。彼女の手札は何だ?まさか!?……フルハウス以上……?)
ガルドナーの脳内で、冷たい汗が背中を伝う。
彼は手札を捨てて、勝負を降りた。ルミナリアはチップを回収したが、やはり喜びの表情すら浮かべない。
そして、六回戦目。七回戦目。
ガルドナーは、次第に……恐ろしい「違和感」の正体に気づき始めていた。
(違う……!こいつは……こいつは、『カードゲーム』をやっているんじゃあ、ない……!)
ルミナリアのベットのパターン。
それは、ガルドナーの手札が良い時は絶妙にチップを抑えて損害を最小限にし、ガルドナーの手札が悪い時は、じわじわと圧力をかけて彼に「降りる」ことを選択させていた。
勝敗のコントロール。
彼女は、勝とうとしていない。負けようともしていない。
ただ、ガルドナーという人間の心理と行動を、完璧に支配しているのだ。
ガルドナーは、己の誇る「虚無主義」が、目の前の少女の放つ「無関心」の前に、ただの幼稚なごっこ遊びのように、無関心に、粉々に粉砕されていくのを感じた!
自分は、悪党として、悪党らしく世界を格好良く『憎めている』と思っていた!
それは、悪党としての誇りだった!
だが、この小娘は……世界そのものを、最初から「無」として処理している!
その時、ルミナリアが不意に、優雅に紅茶のソーサーを手に取り、ポツリと口を開いた。
「……ガルドナー伯爵」
「……な、なんですかな?ラプラス令嬢」
ガルドナーの声が、自分でも驚くほどかすれていた。
「人間というものは、時に……『無駄な賭け』をしたくなるものですわね」
無駄!?
ルミナリアは、ガルドナーの顔を直接見ようともせず、ソーサーの縁を白い指先で撫でながら、鈴を転がすような声で続けた!
「勝ったところで、手に入るのはほんの僅かな満足感。けれど、負けた時に失うのは、自らの命や、積み上げてきたすべて……。勝ち目のない勝負と分かっていてカードを引き続けるのは、それは……『罪』だとは思いませんこと?」
罪!?
ガルドナーの脳内で、巨大な衝撃が走った!
(『無駄』な賭け?負けた時に失うのは、すべて?……『罪』だと!?まさか……!こいつ……私の『計画』を知っているのか……!?)
ガルドナーの脳内で、都市伝説のように語られていた「あの噂」が、凄まじい勢いで現実の恐怖として合体した。
王都の闇で、悪徳貴族たちの欲や罪を完璧に計算し、自滅の罠へ叩き落とす『見えない死神』。
二つの選択肢を突きつけ、自らの手で破滅のスイッチを押させる冷酷なゲームメイカー。
(まさか……!この病弱な小娘が……あの『死神』だというのか……!?)
ガルドナーは目の前のルミナリアを注視した。
車椅子に座る、弱々しい少女。だが、その瞳に宿る怪物的な知能と、圧倒的な無関心。
合致する。すべてが、完璧に『合致してしまう』……!
ガルドナーの脳裏に、電撃のような恐怖が走った!
冷や汗が流れるどころではない。ガルドナーの全身から脂汗が吹き出し、タキシードのシャツがぐしょぐしょに濡れていく。
もし、自分がこのポーカーで勝ち、ルミナリアからチップを奪い取ればどうなる?
死神のプライドを傷つけ、その瞬間に『計画』が暴露され、王都警察の特務部隊が自邸に雪崩れ込んでくるだろう。
逆に、負けて全額を失えばどうなる?
資金を失い、死神の罠によって社会的に抹殺されるだろう。
どちらへ進んでも、破滅しかないのだ!
(だからこそか……この小娘は、勝負の展開を意図的に遅らせていたんだ……!私に、全てを『投了』するように、手札を捨てるように、促していたのか!?)
ガルドナーの胸の中で、ルミナリアの「言葉」と「行動」が、悪夢のようなパズルとして完成した。
彼女は、自分に直接的な敵意を向けていない。
敵意がないからこそ、「最後の慈悲」として、このポーカーという盤面で「自ら降りる機会」を与えてくれていたのだ。
「私に挑むな。今すぐ全てを捨てて、表舞台から失せろ」……と!
(敵に回したら……終わりだ……!!)
ガルドナーの虚無主義など、死神の絶対的な支配力の前には、意味すらなかった。
己の命を投げ打って世界を滅ぼす?冗談ではない。この死神は、自分が「命を投げ打つ」という選択すら、完璧に織り込み済みで、どちらにせよ、握り潰す気なのだ。自分が計画を実行に移した瞬間、どのような凄惨な地獄へ叩き落とされるか、想像するだけで精神が崩壊しそうだった。
(掌握されている……!私の『計画』も、命も……すでにこの小娘の手に握られている……!)
ガルドナーの呼吸が荒くなり、視界が歪んだ。
テーブルの上に置かれたルミナリアの手!
白く、儚げな、小さな手!
その手が、自分には……全てを丸ごと押し潰す「巨大な神の領域」に見えた!
「……ガルドナー伯爵?」
ルミナリアが、首を微かにかしげ、不思議そうに彼を見た。
その瞳は、相変わらず「路傍の石」を見るかのように無関心で、澄み渡っていた。
「カードは、お引きになりませんの?あなたの罪に、『選択』を」
「ッ……!!!!」
ガルドナーは、もう、限界だった。
彼はガバッと立ち上がった。
ガタガタと音を立てて椅子が倒れ、広間の貴族たちの視線が一斉にこちらへと注がれる。
「ガルドナー伯爵?どうかされましたの?」
「伯爵様……?」
周囲の困惑の声を、ガルドナーは一切耳に入れなかった。
彼は血走った目でルミナリアを見つめ、震える手で、持っていた手札をテーブルの中央へ、ゆっくりと……置いた。
ルミナリアはポカンと口を開けた。
彼はルミナリアに向かって深々と不自然なお辞儀をすると、脱兎のごとくサロンを飛び出していった。自分の上着や杖すら放り出したまま、恐怖で半狂乱になりながら。
あとに残されたのは、静まり返る晩餐会の広間と、ポーカーテーブルに取り残されたチップの山だけだった。
「……ゲームオーバー、でいいのかしら……」
ルミナリアは、呆れたように小さくため息をつき、手元のソーサーに唇をつけた。
彼女は、何も知らなかった。
ガルドナーが裏で『灰の救済会』という虚無のカルトを支援していたことも。
今夜、王都そのものを不可逆の地獄へ叩き落とす未曾有の破滅計画が実行されようとしていたことも。
彼女はただ、退屈な晩餐会の暇つぶしとして、ルール通りにポーカーのカードを引き、確率と心理の基本に従ってチップを置いただけだった。
そして、敵であるガルドナーが、勝手に彼女の「無関心」に圧倒的な死神の影を見出し、勝手に自爆して、自ら計画を破棄して逃げ出したことすら、ルミナリアは永遠に知る由もなかった。
「お嬢様。ガルドナー伯爵が置き去りにしたチップ、回収いたしましょうか」
従者のノアが、至極まじめな顔で耳打ちした。その瞳の奥には、主人に対する絶対的な崇拝と誇らしさが満ち満ちていた。
「ええ。回収しておきなさい。……なんだか、急にお腹が空いてしまいましたわ。シャルロッテが作ってくれたマカロンでも食べましょうか」
「かしこまりました、お嬢様」
ルミナリアすら気が付かぬ間に。
王都を破滅へ導くはずだった最悪の災厄は、影も形もなく消滅し、王都の平和は守られたのだった。
窓の外には、静かで美しき王都の夜景が、どこまでも広がっていた。




