救済1:悪を追う悪!欺瞞!悪女を追う悪女!
王都には、一つの『都市伝説』が君臨していた。
法で裁けぬ悪のに、逃げ場のない「二択」を突きつけ、残酷な処刑を下す存在。
人々はその者を「仮面の死神」と呼んだ。
その死神の正体こそが、大貴族令嬢、ルミナリア・フォン・ラプラスであった。
彼女は、ついに、その手を血で染めていた。
かつてのような「悪のフリ」などではない。
真なる正義の憎悪に燃え、無価値な悪を根絶やしにするための、完全なる悪の道を歩み始めていたのである。
そして。
皮肉なことに、ラプラス邸は、今や「仮面の死神」を追うための、巨大な捜査本部へと変貌を遂げていた……。
広間には、魔導通信機や捜査用のモニターが所狭しと並べられ、王都警察の精鋭たちが昼夜を問わず慌ただしく行き交っている。邸宅の本来の主であるルミナリアは、自身が死神であることを隠し通し、「善良な協力者」としてこの捜査本部を無償で提供していた。
そして。
この捜査本部における実質的な頭脳は、他ならぬアリシア・ヴェリタスであった……!
「……死神の痕跡が途絶えた?ならば……!」
アリシアは、巨大な捜査マップにピンを刺しながら、唇を噛んだ。
その傍らで、ルミナリアは優雅に紅茶を傾け、静かに溜息をつく。
「手強いですわね、仮面の死神。一向に尻尾を掴ませないなんて」
「私はね、絶対に諦めない。死神は……血に飢えた、ただの殺人鬼よ!」
アリシアの瞳には、一切の迷いがない。
そして。
この捜査本部には、カレル警部の姿はない。
彼は、特捜班を自ら外れたのだ。
カレルは、正義の憎悪に囚われたルミナリアの「悲しき戦い」を、もう、これ以上見ていられなかったのである。
その日の深夜。
捜査本部に設置されたメインモニターが、突如、ノイズと共にジャックされた。
『……助けてくれ!誰か!』
スピーカーから響き渡ったのは、青年の悲鳴だった。
モニターに映し出されたのは、薄暗い地下室のような場所。そこには、三人の青年たちが、太い魔導鎖で壁に繋がれていた。彼らの顔は恐怖と疲労で引きつり、見えない何者かに向かって命乞いをしていた。
「なっ!?……逆探知!通信元を割り出せ!急げ!」
警察の精鋭たちが怒号を交わし、キーボードを叩く。
アリシアがモニターの前に駆け寄り、青年たちの顔を凝視した。
「この人たちは……!魔導麻薬の流通事件で、証拠不十分として釈放された大学生たちね……」
彼らは、直接手を下したわけではない。
ただ、自分たちの遊興費を稼ぐために、裏社会から仕入れた魔導薬を売り捌いたのだ。その結果、何十人もの善人が中毒死し、子供たちが孤児となった。
そして。青年たちは巧妙に書類を偽造し、「騙されて売っただけだ」と主張して法の網をすり抜けた。
彼らには反省など一切なかった。
そう。正真正銘の『悪の自覚のない悪』であった。
モニターの中から、低く、機械的に歪められた死神の声が響いた。
『罪人たちよ。お前たちは他者を死に追いやった。その罪の重さを、今ここで量る』
「罪人だと!?俺たちは悪くない!あいつらが勝手に飲んだんだ!」
青年の一人が、鎖を鳴らしながら叫んだ。
死神の声が、冷酷に二択を突きつける。
『一つ。今ここで、自らの罪を完全に告白すること。二つ。最後まで自分は無実であると嘘を吐き通し、お前たちが殺した者たちと同じ苦痛を味わって、死ぬこと』
「ふざけるな!俺は悪くない!……助けてくれ!誰か!誰でもいい!」
アリシアが拳を握りしめ、怒りを滲ませる。
「……死神。またしても、人の命を天秤にかけているわ。こんなこと、絶対に許されない!」
ルミナリアもまた、アリシアの隣で、悲痛な表情で怒りを滲ませた。
「ええ……。こんな残酷な真似、人間のすることではありませんわ。アリシア!絶対に彼らを救い出しましょう!」
「探知完了しました!場所は、旧市街第七地下水路……浄水施設です!」
「行くわよ!」
アリシアの号令のもと、武装した精鋭の警官隊が嵐の夜の闇の中へ、魔導車両で一斉に飛び出していった。
旧市街地下水路。
壁面を這う苔と、下水の異臭が立ち込める中、ライトが闇を切り裂く。
「突入班、配置につけ!」
水たまりを蹴立てながら、武装した警官たちが廃浄水施設の重い鉄扉を取り囲んだ。
小型の爆発魔法が鉄扉の錠を吹き飛ばし、警官たちが一斉に施設内部へと雪崩れ込んだ。
しかし!
「…………なんだ!?……なんだこれは……ッ!」
先頭に立った警官が、手にした銃を取り落とし、その場に膝をついて激しく嘔吐した。
続いて突入した者たちも、次々と顔面を蒼白にさせ、悲鳴を上げて後ずさりをした。
そこは、人間の想像力を絶する、『地獄』であった。
なぜなら……ライトが照らし出したのは、足の踏み場もないほどの『死体の山』であったからだ!
いや、死体と呼んでいいのかすらわからない。
そこには、肉片と、血の海……。
人間であったものの成れの果ての……展示室だった!
部屋の中央には、モニターに映っていた三人の青年の姿があった。
だが、彼らはすでに、二択を間違えた代償を支払わされていた。
彼らは、スラムの住人に粗悪な薬を飲ませ、内臓を破壊して殺した。
だから死神は、彼らに「同じ文脈」の死を与えた。
一人の青年は、両腕と両足を付け根から切断されていた。
彼の顔は、苦痛と恐怖で凝り固まり、目は眼窩から飛び出していた。
もう一人の青年は、全身の血管という血管に、極めて純度の高い『魔導硫酸』を注射されていた。
そして最後の一人は、天井から吊るされた巨大な魔導ギロチンの下に固定され、頭頂部から股間にかけて、見事なまでに『縦に真っ二つ』に両断されていた。
「なんて……なんてことだ……」
さらに異常なのは、この三人だけではなかった。
部屋の奥には、これまで警察が追いきれなかった、王都の闇に潜む悪党たちの死体が、数十体も積み上げられていたのだ。
幼児を殺して鑑賞していた者は、自らの眼球と舌を抉り取られていた!
金を騙し取り労働者を過労死させた者は、身体の肉を削ぎ落とされ、その肉片を金貨の形に圧縮されていた!
それぞれが、自らが犯した罪と全く同じ文脈で、処刑されていた!
「……隊長!モニターの送信機を発見しました!これは……」
奥を調べていた鑑識の警官が、震える声で叫んだ。
「録画……だったのか!?俺たちが見ていたあの映像は、彼らが殺される前の、数日前の映像……!?」
警官たちは絶望した!
仮面の死神は、最初から警察を嘲笑っていたのだ。救出劇など、最初から存在しなかった!
現場からの悲惨な報告は、魔導通信機を通じて、直ちにラプラス邸の捜査本部へと響き渡った。
『……生存者、ゼロ。地獄です。死神は……死神は、人間じゃありません……!』
報告を聞いた捜査本部の空気は、完全に凍りついた。
誰もが言葉を失い、死神の底知れぬ狂気と猟奇性に恐怖した。
「そんな……」
アリシアは顔を両手で覆い、悔しさに震えた。
その時である!
ルミナリアが、テーブルを叩き、立ち上がった。
彼女の青い瞳には、涙すら浮かんでいた。
「……許せませんわ!」
ルミナリアは、仮面の死神に向かって、部屋中に響き渡る声で叫んだ。
「聞いているかしら、仮面の死神!貴方は……自分が正義だと思っているのでしょう!悪人を同じ目に遭わせて、世界を浄化しているつもりなのでしょう!」
ルミナリアの悲痛な叫びに、警察官たちも、ノアも、アリシアも、息を呑んで彼女を見つめた。
「ですが、それは間違っていますわ!自分の正義を他人に押し付けるなんて、それはただの偏見の押し付けに過ぎない!貴方のやっていることは、悪ですわ!偏見の反対に、また別の偏見があるだけだということに気づきなさい!貴方の独善的な正義は、ただの……残酷な殺人に過ぎないのですわ!!」
血を吐くような、正義への渇望。命を尊ぶ、気高き貴族の怒り!
その言葉は、捜査本部にいるすべての者の心を打った!
だが!
ルミナリアは、悲痛な顔を作りながら、その内心で、腹を抱えて狂ったように笑っていた。
(馬鹿どもめ!何が捜査本部だ!何が逆探知だ!その仮面の死神は、貴方たちが今、まさに、敬意の眼差しを向けている、この私だぞ!!)
ルミナリアの心は、すでに、正義という名の狂気に深く浸かっていた。
しかし。
部屋の隅で、メイドのシャルロッテだけは、一切の表情を変えず、ただじっと……ルミナリアを見つめていた。
彼女には、ルミナリアの狂気も、悲しみも、すべてが見透かせていた。
(……ルミナリア様。貴女は、ついに、ご自身を壊してしまわれるおつもりですか)
ふと、ルミナリアは我に返った。
自分の放った言葉が、頭の中でこだました。
『自分の正義を他人に押し付けるなんて、それは偏見の押し付けだ』
『偏見の反対に、また別の偏見があるだけだ』
(……私は?……私は……何を、言っている?)
それは、演技として口に出した言葉だった。
しかし……それは、かつてスラムの屋上で少年に「親の愛を信じろ」と押し付け、彼を死に追いやった『かつての無知な自分』への痛烈な批判そのものであった!
ルミナリアの心に、一瞬の迷いがよぎった!
実際に自分で手を下したわけではないが、自分が今やっていることは、あの時の両親と同じ、単なる「無価値な悪」なのではないか?
正義の仮面を被り、悪を同じ文脈で殺す?
それは、ただの自己満足に過ぎないのではないか?
アリシアの言う通り、命を奪う権利など、私にはないのではないか?
胸の奥が締め付けられる!
悲しみが、彼女の魂を侵食する!
私は、このままいけば、必ず破滅する!
誰も私を理解しない!
誰も私を救えない!
だが!
ルミナリアは、静かにモニターを見つめ返した。
その瞳には、もはや……後戻りのできない、燃え盛る闘志と熱血が宿っていた!
「私は、それでも戦う!」




