救済9:天才からの殺害予告!染まりゆく赤い未来!破滅へ向かう悪女!
天空要塞『アーク・ノヴァ』。
雲の中に浮かぶその最先端都市の最深部には、星の運行から微細な確率の揺らぎまでを計算し、絶対的な未来を弾き出す演算装置が眠っている。
そこで、ノア・アトウッドが見た「結末」は、あまりにも凄惨な……地獄だった!
灼熱の砂漠のど真ん中。
透き通るような白い肌は無惨に焼き焦がれ、金髪の縦ロールは血と泥に塗れている。
救いの手などない、絶対の孤独の中で、苦しみながら息絶える。
それが……ノアの主であるルミナリア・フォン・ラプラスに約束された、逃れようのない未来の姿だった……。
ノアはその光景を、五年前から一日たりとも忘れたことはない!
十一歳の時。
アトウッド家が狂気の殺人鬼に襲撃され、一族が皆殺しにされ、心を打ち砕かれたノアの前に現れたのは、フリルのついた豪奢なドレスを纏った、魔力も体力も皆無な、脆い身体の、病弱な令嬢だった。
だが、その頭脳は怪物だった!
彼女は心理学と数式だけで、殺人鬼を討ち、血を流すことなく自滅させてみせたのだ。
『あなたは、今日から、私のものになりなさい』
無菌室の令嬢は、そう言ってノアに手を差し伸べた。
その後、専属の従者となったノアに、彼女は『アーク・ノヴァ』への潜入と、自らの未来の観測を命じたのだ。
結果として、ノアはあの日……嘘をついた。
『お嬢様は、温かなベッドの上で幸福な生涯を全うされます』と。
言えるはずがなかった!
かつて、特権にあぐらをかいていた無自覚な悪人の自分を激しく憎悪し、その贖罪のために、悪魔のような悪党たちを葬り去っている気高き悪女が……砂漠の砂を噛んで野垂れ死ぬなどとは!
だからこそ、ノアは決めていた。
彼女に定められた未来がどれほど残酷なものであろうと、残された時間、彼女に絶対の誠意と愛を持って尽くし抜くのだと。
……たとえ、世界中の人間が彼女を悪魔と呼ぼうとも。
五年の歳月が流れた現在。
王都にあるラプラス公爵邸の庭園は、初夏の柔らかな陽光に包まれていた。
「やあやあやあやあや!遅くなってすまないねぇ。我が愛しの妹は、随分とお世話になったようだ」
庭園の入り口に、奇妙な女が立っていた。
年は二十代半ばだろうか。
褐色の肌に、銀色の髪。
豊満な胸とふくよかな肉体を、白衣で包み込んでいる。
大賢者、エラーラ・ヴェリタスだ。
世界旅行を終えて王都へ帰還した彼女は、ここ数日ラプラス邸に滞在していた養妹の『アリシア・ヴェリタス』を迎えにきたのだ。
「アリシア様は、すでに馬車へご案内いたしましたが」
ノアが恭しく一礼すると、エラーラはハスキーな声でくつくつと笑った。
「ああ、それなら問題ないとも。それにしても……実に興味深いねぇ。この館の主は、まるで、王都全体を、いや……世界を……精緻なチェス盤にでも見立てているかのようだ。……何が言いたいか、わかるかい?」
エラーラは邸宅を見上げ、懐からフラスコを取り出して謎の液体をあおった。
その言葉の端々に、ノアは、違和感を覚えた。
エラーラの口ぶりは、ルミナリアが到達する『先の時間』すらも見通しているかのような響きがあった。
ノアは周囲を見渡し、他の使用人がいないことを確認してから、一歩前へ出た。
「……単刀直入に伺います。ヴェリタス様」
「なんだい少年」
「さては。あなたは……ルミナリア様の末路を、知っているのですか」
その問いに、エラーラはフラスコを傾ける手をピタリと止めた。
白衣の裾が風に揺れる。
青い瞳が、ノアの眼の奥底まで射抜くように細められた。
「んんむ。……彼女は、時空や、もしくは、次元の王女にでもなるだろうねぇ」
「……次元の王女?」
「特異点とは、やがては、世界の構造そのものを書き換えるだろうねえ……」
「未来を知っているのかと、聞いています」
ノアの声に、静かな殺気が混じった。
エラーラは何も答えなかった。ただ、ノアの言葉を吟味するように、口元を撫でるだけだった。
「フム……難しいねえ。……時が来て……」
やがて、エラーラは空を仰ぎ見ながら、ぽつりとこぼした。
「ルミナリア・フォン・ラプラスが悪の女王に覚醒してしまったら……その時は、私が始末するよ!」
ドクン、と。ノアの心臓が警鐘を鳴らした。
「は?……悪に……堕ちる、と?あの方が?」
ノアの声が上擦る。
あり得ない!
彼女がどれほど自らを悪女と呼んで蔑もうと、その魂の根底にあるのは、力で他者を蹂躙する者への絶対的な、正義の怒りだ!
彼女は常に、不器用なまでに正義の側に立っている!
「いいや?」
エラーラは首を振った。
「彼女自身は悪には堕ちないさ。決してね!彼女の根本にある善性は本物だ。どこまでいっても、彼女は救済を望むだろうさ!」
「い、意味が分かりません!悪に堕ちないのに、なぜ悪の女王になるのですか!なぜ!……そして、なぜ、あなたが始末しなければならないのです!」
ノアは声を荒げた!
砂漠で孤独に死んでいく凄惨な未来。
それだけでも胸が張り裂けそうなのに、さらに『悪の女王』として名を残し、親友の姉であるこの女に始末されるというのか!
ルミナリアが何をしたというのだ!
世界を変えるために、ただ、足掻いているだけの彼女が、なぜ、そんな地獄を歩まねばならない!?
悔しい!
やるせない!
……許せないッ!
エラーラは、ノアの悲痛な叫びを受け止めた上でゆっくりと、微笑んだ。
それは、悲しそうな笑顔だった……。
けれど。
同時に、知的好奇心を満たされる悦びに打ち震えるような笑顔でもあった。
そこに、悪意は微塵もない。
無垢な、笑み。
「トドメを刺すのは、私になるだろうね。フフ……粉微塵にしてやるさあ!……それも!無関心に!容赦なくね!」
殺害予告!
ハスキーな声が、予言のようにノアの耳にこびりついた。
エラーラは白衣を翻し、それ以上は何も語らずに背を向けた……。
「その日を楽しみにしているよ。ルミナリア・フォン・ラプラス!」
大賢者は、馬車に乗り込み、ラプラス邸を後にした。
残されたノアは、ただ……立ち尽くしていた。
悪に堕ちない悪の女王?
粉微塵にして始末する?
エラーラの不可解な言葉の破片が、頭の中で乱反射している。
「ノア。」
不意に、背後から声がした。
振り返ると、ルミナリアが立っていた。
「お茶が冷めてしまいましたわ。……次の方の『ゲームオーバー』まで、あと三秒ですのに。ノア。コーヒーでいいわ。淹れて頂戴」
「お嬢様の、お気に入りだったマキネッタが、先日壊れてしまいまして……」
「じゃあ、ネルドリップ。フィルターでいいわ。」
彼女が懐中時計に目を落とした直後。
金融街の方角から、爆発音と魔導サイレンの音が鳴り響いた。悪党が、無様に破滅を迎えたのだろう。
「ところで、アリシアは?」
「……アリシア様は、お帰りになられました」
エラーラが来たことは、言わなかった。
大賢者が告げた、凄惨で矛盾に満ちた死の宣告も。
「私は、歩みは止めませんわ。この世界の悪を、私は根絶やしにします。……そして」
ルミナリアの瞳に、ひどく冷たく、凄絶な光が宿った。
「全てを駆逐した後。最後に残った『私の中の悪』も駆逐しなければなりませんわ。無関心という悪。私も、誰もが、純粋無垢な白にはなれない。……その原罪を抱えた私という存在もまた、この世から消え去るべきバグに過ぎませんもの。……ええ、たとえ真理を名乗る賢者が、私を裁きに現れようとも、全て私が破壊して、喰らい尽くして、私という悪に濾過された世界に最後に残るのは……何もない、優しい、青い空ですわ。」
それは、宣戦布告だった!
その言葉を聞いた瞬間、ノアの胸に熱いものが込み上げた!
(ルミナリア様が負けるはずがない!あの大賢者エラーラなど、お嬢様が『返り討ち』にして倒すはずだ!)
『返り討ち』?
ノアは、その予想を即座に、そして残酷なまでに、自ら否定した。
いや、違う!
絶対に違う!
ルミナリア様は、「戦う」とは言っていない!
ルミナリアは最後まで、どこまでも純粋な善人であり続けるだろう。だからこそ、その気高き自己犠牲の果てに、彼女は必然として『悪の女王』へと堕ちていくのだ。
そして、彼女を粉微塵にすると笑ったあのエラーラも、絶対に悪人などではない。
彼女もまた、世界とルミナリアを愛するがゆえに、救済としての刃を振るうのだろう。
ここには、まさか。……悪人は、いないのか?
善意と自己犠牲が絡み合い、互いを殺し合う悲劇的な運命しか、残されていないのか?
善とは何か?
悪とは何か?
真の正義とは……はたしてこの王都に、いや、人の世に……あるのだろうか?
その時だった。!
真紅の夕陽の光を浴びて足元に伸びる、真白なルミナリアが落とす真黒の闇を見つめながら、ノアは……唐突に悟った!
立場が変われば、いかなる正義も絶対の『悪』として糾弾される!
白か黒かの二択など……そもそもはじめから存在せず、すべての者が、それぞれ、業を背負った黒でしかありえないのだ!
だとすれば……!
我が主・ルミナリア様は、そのどれでもない、世の悪すべてを全て受け止めて、そして自らの血で塗り潰し、破滅へと導く、苛烈な『赤』のフィルターなのだ、ということを……!




