救済7:追撃!狂愛の野人襲来す!最強を従える悪女!
「いいか!相手はテロリストだ。一気にたたみかけるぞ!」
王都北区。
かつて、時計の製造工場として使われていた雑居ビル。その周囲を、男たちが包囲していた。
王都警察が誇る特殊強行突入班。
それを率いるのは、くたびれたトレンチコートの襟を立てたカレル・オータム警部である。
カレルの鋭い合図とともに、精鋭たちが、ビル内へと雪崩れ込んだ。
しかし、彼らを待ち受けていたのは……
「ぐあぁっ!?」
「身体が……動か……っ!」
踏み込んだ瞬間、足元の『超高圧電撃網』が作動した。
それは人間の神経伝達系を直接焼き切り、運動能力を完全に奪い去る罠であった。
カレル警部をはじめ、王都警察が誇る猛者たちは、全身を激しく痙攣させて床へと崩れ落ちた。
そして、部屋の奥から靴音を立てて歩み寄ってきたのは、わずか十二歳ほどの、生意気そうな眼差しをした少年であった。
少年の名はジーク。
彼は生まれながらにして「天才」であった。
だが、その突出した知能ゆえに、同年代の子供たちからは気味悪がられ、親からは「悪魔」と恐れられ、教師からは嫉妬から拒絶された。
一度として誰からも理解されず、愛されたことのない、孤独な少年。
彼の孤独は、やがて王都全体への憎悪へと昇華していた。
「きみたちが王都警察かい?なんか、拍子抜けだなあ」
ジークは冷笑しながら、麻痺して転がる警察官を縛り上げると、奥の実験室へと戻っていった。
ジークの目的は、王都のすべての学校と家庭へと繋がる水道網に、自作の『知能強化薬』を混入させることだった。
その薬は、耐性を持つ者の知能を飛躍的に高める。
しかし、耐性のない圧倒的多数の普通の人々が一口でも摂取すれば、皮膚が存在する体の表面と、内臓が、一瞬にして裏返って死に至るという悪魔の劇薬であった。
「僕についてこられる賢者だけが、生き残ればいい」
ジークは不気味に嗤った。
一方、その頃。
王都警察の上層部はこの未曾有の危機に対し、あまりにも愚かな決断を下していた。
「……突入班が、たった一人の子供に返り討ちに遭って拘束されただと!?」
「そんな事実、公表できるか!警察の信頼が失墜するぞ!」
「……そう!捜査はなかったことにしろ!捜査などなかった!誰も突入などしていない!」
警察上層部は保身のため、事件そのものを隠蔽する道を選んだ。ルミナリアやアリシアはもちろん、王都市民の誰もが、カレル警部たちが命の危険に晒されていることなど知る由もなかった。
「ふう。少し息抜きでもしてこようかな」
ジークは自身に高度な『不可視魔法』をかけ、自身の姿と気配を完全に消し去ると、アジトであるビルを出て王都の繁華街へと繰り出した。透明になった彼は、人混みを押し分け、ドーナツチェーン店『ミスター・マジック』へと入っていった。
彼は店内の隅の席に座り、姿を現して、大好きな魔法チョコドーナツを頬張ろうとした。
その時である。
「わあぁっ!そのドーナツ、すっごく美味しそうですわねぇっ!」
唐突に正面の席に腰を下ろしたのは、フリルつきのメイド服を着た栗色のくせ毛の少女、シャルロッテであった。
ジークは不快そうに眉をひそめた。
「なんだ君は。なんか、見るからに野蛮で幼稚だな」
ジークはいつもの癖で、自らの圧倒的な知性から相手を見下した。しかし、シャルロッテは全く堪えた様子もなく、口を大きく開けておどけてみせた。
「野蛮だなんて酷いですわぁー!ほらほら、わたくしのこの可憐なお顔を見てくださいませ!どこからどう見ても、おしとやかで清楚な美少女メイドですのよー!べーっ!」
「からかうな!くだらない……」
ジークは呆れたように肩をすくめ、シャルロッテの身なりを冷ややかに観察した。
「その粗暴な立ち振る舞い、なのに、無理に言葉遣いを丁寧に取り繕おうとする姿……君、どうせ、どこかの大貴族の家に買われた、しかも、スラム出身のメイドだろう?」
ジークの鋭い洞察力に、シャルロッテは一瞬だけ目を丸くした。図星だったからだ。
「……へえ、ボクちゃん、なかなか目ざといですわねぇ」
「僕を舐めるな!で、どこの家だい?どうせ、僕の偉大な計画も理解できないような、頭の空っぽな貴族だろう?」
ジークが鼻で笑うと、シャルロッテは胸を張って答えた。
「わたくしのご主人様は、ラプラス家のご当主様ですわ!世界で一番美しくて、賢くて、気高いルミナリア様ですの!」
「ラプラス家?はん!聞いたこともないな。どうせ、見栄だけが取り柄の、名ばかりの没落貴族か何かだろう。くだらないね」
ジークが吐き捨てるようにそう言った、まさにその瞬間。
「……」
それまで騒がしくおどけていたシャルロッテの口が、ピタリと止まった。
彼女の顔から一切の感情が消え去り、深海の底のように冷たく、昏い沈黙が落ちた。瞳には、光が一切宿っていない。
「……何だい、急に黙りこくって。気味が悪い」
ジークは背筋に冷たいものが走るのを感じ、居心地が悪そうに席を立った。
「もういい、ドーナツの味が不味くなった。僕、行くよ」
ジークは代金をテーブルに叩きつけると、店を出た。そして路地裏に入った瞬間、再び高度な『不可視魔法』を発動させ、完璧に姿を消した。自分のアジトである雑居ビルへと戻るために。
(気味の悪いメイドだ。ラプラス家だかなんだか知らないが、明日には、お前もどうせ、死ぬんだからね!)
ジークは透明な姿のまま、人混みをすり抜けて歩いていた。彼の使う不可視魔法は、姿だけでなく、足音、体温、匂い、魔力の波動に至るまで完全に遮断する超一流の技術であった。誰一人として彼の存在に気づく者はいない……はずだった。
だが!
雑居ビルまであと数百メートルという路地裏で、ジークはふと、首筋の毛が逆立つような強い『視線』を感じた。
振り返る。しかし、誰もいない。ただの寂れた裏通りだ。
(気のせいか……。僕の不可視を見破れる人間なんて、この世界に存在するはずがない)
ジークは再び歩き出した。しかし、距離を縮めるにつれて、その視線は気のせいなどではなく、確実に自分の後頭部を射抜いているという恐怖へと変わっていった。
背後から、規則正しい小さな靴音がついてくる。
振り返ると──そこには、先ほどのメイド、シャルロッテが立っていた!
彼女は無言だった!
表情は完全に抜け落ち、虚ろな瞳で空中を一直線に見つめていた!
ジークの額から冷や汗が吹き出した。
実は、シャルロッテには魔導学的な知識も、高度な探索魔法の技術も存在しない。
ただ、彼女の中にあったのは、「大好きなルミナリア様を馬鹿にされたから、謝らせなきゃ」という純粋で異常な執着だけであった!
彼女は無意識のうちに、ジークが歩く際に生じる空気の微妙な揺らぎ、落ち葉の沈み込み、そして彼が放つ『気配』を直感で察知し、ただ機械的に追跡していたのだ!
だが、知性で世界を推し量ってきた天才少年ジークにとって、その「理屈の通らない現象」は、理解を超えた絶対的な恐怖であった。
(こいつは……人間じゃない……怪物だ!!)
ジークが逃げようと足早になると、シャルロッテも同じ速度で詰めてくる。
ジークが路地を曲がると、シャルロッテも一切の迷いなく曲がってくる。
(こいつ、まさか拘束した警官隊の仲間なのか!?それとも王都警察が放った処刑人か!?)
ジークの脳内で、絶望的な被害妄想が暴走を始めた。
(計画に気づいているんだ!だから、僕を殺す気なんだ!捕まったら最後、あの無感情な顔で……僕は、体を切り刻まれる!!殺される!!)
ジークの精神は完全に崩壊した!
自分より学も知性も身分も遥かに劣るはずの「野人」に、自らの天才的な魔法を軽々と踏み荒らされた恐怖!
それは、ジークの自尊心と生存本能を徹底的に打ち砕いたのだ!
ジークは悲鳴を上げながら不可視の魔法を解除し、自らの手に、『手錠魔法』を嵌めた。
「降参だ!降参するから!僕をバラバラに殺さないでくれぇぇぇっ!」
ジークは号泣しながら地面にひれ伏した。
シャルロッテは、ポカンと口を開けて首を傾げた。
「……あれれ?なんで急に泣いて自分で手錠をかけてますの?ただ『ルミナリア様を馬鹿にしたのを謝ってほしいなー』と思ってついてきただけなんですけど……」
シャルロッテは訳が分からぬまま、泣き叫ぶジークの首根っこを一応ひっ捕らえた。
その時。アジトの扉が開かれた。
そこにいたのは、電撃網に縛られ、全身を痺れさせたまま絶望していたカレル警部と十九名の突入班。彼らの目に飛び込んできたのは、正気を疑うような光景であった。
夕背の光を背に受け、両手にドーナツの袋を提げた、一人の可憐なメイド少女。
そしてその足元には、王都を恐怖に陥れるはずだった狂気の天才少年が、自分から手錠をかけ狂ったように泣き叫んでいた。
「……は?」
カレル警部は、麻痺した口を僅かに開けて絶句した。
突入班の精鋭たちも、目を限界まで見開いて固まっていた。
彼らの目には、ドーナツ袋を下げて首を傾げるシャルロッテの姿が、まるで「一瞬で凶悪テロリストを屈服させ、ついでに警察を救出いに来た、底知れぬ怪物」のように映っていたのだ。
「……助かった、のか? 俺たちは……」
数日後。
王都警察本部にて、異例の表彰式が執り行われた。
本来ならば「警察の失態」として隠蔽されるはずだった事件だが、カレル警部たちの強い推挙と、事件のスケールの大きさから、シャルロッテには『王都特別功労賞』の金メダルが授与されたのだ。
ラプラス邸の豪華な応接室。
胸元に燦然と輝く金メダルをぶら下げたシャルロッテが、嬉しそうに胸を張っていた。
ルミナリアは、優雅に日傘を弄びながら、いつもの冷徹な無関心を装っていた。
「……ふん。ラプラス家のメイドがそのような下品なメダルではしゃぐなど、まったく恥ずかしい限りですわ」
ルミナリアは素っ気なく言い放った。
だが!
彼女の胸の奥には、抑えきれないほどの『誇り』が満ち溢れていた!
(……見なさい、王都警察の愚か者ども!これが私の従者ですわ!私が選び、私の側に置いている、我がシャルロッテなのですわ……!)
ルミナリアは、自らの所有物であるシャルロッテの規格外の活躍に、内心で小踊りしたいほどの優越感と誇らしさを感じていた。
(今日くらいは……そうですわね、『今夜は私のベッドで一緒に寝ましょう』と、誘ってあげましょうか)
ルミナリアが少しだけ頬を緩め、口を開こうとした、その瞬間。
「ルミナリア様ぁっ!」
シャルロッテがパッと目を輝かせ、ルミナリアの膝元にすり寄ってきた。
「今夜、ルミナリア様のベッドで一緒に寝てもよろしいんですよね!」
「なっ……!?」
ルミナリアは息を呑んだ。自分が口に出す前に、シャルロッテに完璧に言動を言い当てられたのだ。
ルミナリアは、世界最高の知能と、王国家族をも動かす圧倒的な権力を持っている。しかし、彼女には野生の直感という、魔力の根幹である『才能』だけは、欠け落ちていた。
その「自分が持たざる最強の才能」を持つシャルロッテが、今、自分を理解し、まっすぐに求めてくれている。
ルミナリアは、胸の奥が熱くなるのを感じた!
自分の圧倒的な知能も、権力も、この少女の前ではただの飾りに過ぎない。シャルロッテという存在に望まれることで、ルミナリアは初めて、己の人生そのものを丸ごと肯定され、認められたような充足感を抱いたのだ!
そして、それはシャルロッテも同じであった!
シャルロッテはスラムのどん底で生まれ、権利もなく、学も知性もない。自分には何の才能もない「価値のないゴミくず」だと、内心で強いコンプレックスを抱き続けて生きてきた。
だが!
世界で一番美しく、完璧な知能と権力を持つルミナリア・フォン・ラプラスが、自分を一人の人間として必要とし、その「野生の才能」を誰よりも認め、側に置いてくれている!
「シャルロッテ……今夜は、私の隣にいなさいな……」
ルミナリアは、ゆっくりと手を伸ばし、シャルロッテの柔らかい頬を包み込んだ。いつもの冷徹な仮面は消え去り、そこには慈愛に満ちた、一人の少女の素顔があった。
「はいぃっ……! ルミナリア様っ……!」




